畑沢の実家でペンキ塗りを開始して、既に三日も作業したのですが、天候に恵まれなかったことや危険な場所であることが災いして、作業が遅れていました。平成30年10月25日は快晴となり、ペンキ塗りを完了すべく山形から勇んで出かけました。などと言うと、真面目に仕事をやる様に見えますが、実は元々が真面目な性格ではありませんので、行く途中からの道草です。この日から尾花沢の「清風・芭蕉歴史資料館」で庚申信仰の展示が始まりました。大分前から楽しみにしていたものです。しかも、展示を企画なさった方は、私が畑沢の石仏等を調査する時に指導して下さった方です。尾花沢市内の石仏800体近くを調べたというのですから、大したものです。展示の概要は、次のチラシを御覧ください。
展示のテーマになっている庚申信仰に関する石仏は、「庚申塔」や「青面金剛王」の文字を刻んだもの、「青面金剛」の像です。畑沢にも庚申塔が3体と青面金剛像が1体あります。しかし、他の地区には畑沢では見られない石仏もあり、他地区と比較すると面白さが増します。庚申信仰以外の石仏の展示もあり、その中で畑沢の如意輪観音の説明がありました。説明文に「朱漆が塗られていた‥‥」の文字が見られ、さすがは専門家の観察が深いことに感心しました。
資料館を見学して、畑沢でのペンキ塗りを完了したのが午後2時半ごろでした。しばらく休んでから背炙り峠を通っての帰路につきました。かなり明るい時間帯でしたので、いつも以上に道草が多くなってしまいました。そう言えば、今年は一回も古道と楯跡に行っていません。せめて写真だけでもと、古道の峠(背中炙り峠)を下から写してみました。下の写真の杉が先がちょこんと見える場所が峠です。直ぐ近くにあるのですが、直線コースで登ろうとしても、急峻な崖に進行を妨げます。まず無理です。
私たちが歩いてこの道を村山市方向へ行った頃は、途中の湧水で喉を潤していました。自動車で通ると、喉が渇きません。湧水を飲む機会が減りました。
落ち葉が湧き水の所に溜まっていました。よくもこんなに積もったものです。けっして、私が詰め込んだものではありません。
久しぶりに落ち葉を掻き出してきました。そのAFTER写真が次です。まだ、水が濁っています。
いつもはビューポイントから写真を撮っていますが、ビューポイントを写真に撮りました。道路が左から右に向かって降りて行き、急に曲がっているところがビューポイントです。尾根になっていますので、カーブの外側が急な斜面です。下側に中沢地区の棚田か広がって見えます。砂利道だったころは、急カーブで急ブレーキをかけても、そのままカーブの外へ飛び出す事故が何度も発生しました。しかも、当時は木を伐採していましたので、かなり下まで転落しました。今は事故が発生していないようです。
中央から少し右寄りに聳えているのが、甑岳(こしきたけ)です。江戸時代は山岳信仰の対象となり、多くの信者が参詣したと聞いています。
今度はビューポイントからの写真です。この日、残念ながら逆光でした。最悪の状態でしたが、どうしてもお見せしたいものがありました。水田は殆んど刈り取られていますが、山際のなどに綿を被ったように白い所があちこちに見えます。よく見ると、萱の穂でした。元々は水田だったのですが、耕作を諦めた結果、萱に覆われたのです。昔は萱が生えている場所も「萱畑(かやばたけ)」と呼んでいました。萱は萱葺屋根の大事な材料になり、価値がありました。今、萱は使われませんので、「萱畑」とも呼ばれなくなりました。
萱を近くから見た写真です。珍しいものではありません。ありすぎるくらいに生えています。遠くに見える山は大平山です。畑沢で桂葉(かつらぱ)と呼んでいる方向です。