平成30年9月8日(土)、大石田町に用事が出来たので、背炙り峠を越えの畑沢経由で出かけました。本州各地に甚大な被害を与えた台風21号が4日に山形県に最接近して通り過ぎましたが、もしや通行止めとなっているのではないかと峠の被害が心配でした。
幸い通行できましたが、今回は雨よりも強風が影響を与えたようです。峠に登る途中の二ヶ所で道路上の倒木を鋸で切って処理したと思われるオガ屑が残っていました。平地の道路と異なり山地内の道路は、こんな時に管理者の御苦労があります。
下の写真は大きな倒木ではありませんが、強風でもぎ取られた小枝が散乱していました。
小枝と一緒に栃の実ももぎ取られました。しかし、本格的な実の落下はまだこれからですので、ほんの少々といったところです。
オニグルミは、しっかりと木にしがみ付いていました。まだまだ落ちる訳にはいきません。
台風の前にも大雨が二回も降りましたので、水分が大量にあるのでしょう。キノコが元気に顔を出していました。今まで私はお目にかかったことがありません。結構、大きなキノコで、表面にとげのような物が沢山、見えます。どう見ても上手そうではありません。
笠が開いているものもありました。全部で5本ありました。
開いた笠の上にもニョキニョキと棘だらけです。やっぱり不味そうです。後で調べましたら、シロオニタケという毒キノコのようです。
近くに、別のキノコもありましたが、名前は分かりません。やっぱり、これも不味そうです。
畑沢側に立石山が見えました。いつ見ても採石後の傷跡が悲しくなります。採石業者は保全措置をしないままです。
採石された斜面をよく見ると、いつもと違う箇所があります。下の写真で黄色の線で囲まれている斜面の色が変わっています。大雨で斜面が大きく浸食というより崩落したような感じです。立石山は硬い流紋岩でできていますので、浸食されにくいのではと、希望的な推測をしていましたが、残念ながらそうではなかったようです。もしも、採石が終わってから、緑化などの環境保全の対策をしていたならば、ここまでの被害はなかったことでしょう。
今回の目的地である大石田町の会場は、虹のプラザでした。大石田地役場の隣に建てられていて、極、最近に完成したようです。立派な建物でオンボロな我が家とは雲泥の差があります。(言うまでもない事ですが。)
ここで、北村山地域史研究会の講演がありました。この会の何人ものメンバーに、畑沢の楯跡、石仏、古道の調査において、御指導をいただきました。これからも畑沢のことを勉強する際に、この方々から教えていただきますので、今回も勉強してきました。
ところで、今回、この会場で思いがけない人に巡り会い、貴重な情報もいただきました。それは、「畑沢の有路慶次郎氏が書いた本を持っている」とおっしゃる方に会ったのです。これまで、ずっとその本を探していたのですが、まだ辿り着いていませんでした。昭和2年に発行した青井法善氏の「郷土史之研究」の外に、畑沢の人が書いたもう一冊があるのです。その方に本を見せていただくことをお願いしてきました。
建物の手前にある銅像は、大石田町出身で東京で成功された方のもののようです。大石田町には、功成り名を遂げた多くの方がおられるようです。最上川舟運が盛んなために、町民は外部に対して広い視野をお持ちだったのかもしれません。