元々、知識が乏しい頭です。少し学習することにしました。7年前に畑沢の椿を雪椿と思って投稿を始めましたが、御親切な方から「ユキツバキではなくてユキバタツバキだろう」と教えて貰いました。お陰様で私には不釣り合いなほどに勉強する機会を得ました。折角ですから私の拙い学習の内幕を紹介します。
植物の蔵書はありませんので、ひたすらインターネットで検索すると、石沢進氏の論文がヒットしました。昭和49年1月に博士号認定のために出された「ユキツバキの生態学的研究」という論文で、実に10数年間にもわたって、新潟県を中心として北は秋田県田沢湖から南は滋賀県北部の山地までも調べられたそうです。私たちの知らない所で、雪椿には研究者の大変な苦労が捧げられていました。研究されていた当時を想像しますと、おそらく石沢進氏は重いキスリングというザックを担いで山中に入り、日に焼けた顔で藪を漕ぎながら雪椿を調査し続けたのではないかと思います。私が理想とする生物学者の姿です。山形県内でも植物の研究者はいますが、残念ながら雪椿を研究する人は出なかったようです。折角、昭和11年に現在の村山市内の葉山の椿を柳田由蔵氏が先駆者の一人として雪椿を発表したのですから、その研究を受け継ぐ人が山形県から出て欲しかったものです。因みに石沢進氏は新潟県内で研究されました。
この論文について、得意の「つまみ食い」的に説明します。石沢進氏が挙げている雪椿の生理的な特徴のうちの一部を次のように取り上げてみます。なお、難解な用語は平易な言葉に置き換えています。
- 耐寒性と乾燥に弱い。
これは意外でした。寒い地域に適応しているとすれば、第一に耐寒性を供えているだろうと想像していました。
- 耐陰性がある。
大平地区での観察でも、そのことは充分に納得できます。雪椿が生えている場所は薄暗くて、明るい落葉樹が多い東北の林の中とは大きく異なっています。
- 幹と枝には柔軟性がある。
大量の積雪が雪椿を押しつぶしても、折れません。雪国の樹木に広く見られる特性です。
上記①で示されている雪椿の弱点は、大量の雪が雪椿を覆って冬季の低温と乾燥から守ります。③の柔軟性があるので、大量の積雪に堪えられます。さらに夏季には大木の下層に位置しているので昼なお暗いのですが、②の耐陰性がありますので問題なく成長できます。一つの山でも、方角、標高及び水の流れなどによって、気温、湿度、積雪量が異なります。その結果、標高が高過ぎるところは気温が低いので苦手のようです。南向きの日当たりが良くて雪が消えやすい所は乾燥するので、むしろ北側の斜面に生育します。尾根部よりも沢筋の湿気が多い所を好みます。
以上、一部だけをつまみ食いしました。同氏の論文はこれだけでなくもっと重要な事柄が記述されていますが、私の力ではこれが限度です。
山形県内での椿類の分布は、海岸に沿って藪椿、海岸部から東に離れた山地に雪椿、その間に雪端椿です。一方、雪椿が分布している山地の東斜面側には、白鷹山を除いて椿類は分布していません。太平洋岸には藪椿が分布していますが、雪椿の分布地とはかなり離れています。
私の頭を整理するために、これをより単純化して表現します。模式的な図を次に示して説明します。なお、図の中で「山地」としたのは、朝日山系、出羽丘陵、白鷹丘陵やなどの奥羽山脈の西側に平行している標高が高い所を意味していますが、出羽丘陵が雪椿の自生地であるかどうかは、問題が残っています。つまり出羽丘陵の雪椿神社仏閣の境内に人工的に植栽されたものが多いからです。特に村山市葉山の雪椿は大円院の境内だけに生えているもので、その地域一帯に分布しているものではありません。
本州の北部は、南部と比べれば気温が低いので、暖地性の照葉樹にとっては、北部は適地ではありません。しかし、北部でも海岸部は暖流の影響で内陸部よりも気温が高く保たれます。照葉樹のタブノキなどのように藪椿も海岸に沿って北上して分布を広げています。しかし、内陸部は暖流の影響が少なくなり、冬の季節風で寒さに晒されて分布を広げることができません。ところが、耐陰性と柔軟性を備えている雪椿は出羽丘陵を含む一連の山地に分布を広げることができました。一見、北日本に分布している雪椿は、当然のように耐寒性を備えているように見えるのですが、上述した石沢氏の論文のとおり雪椿は寒さと乾燥には弱いそうです。しかし、柔軟性があるお陰で、大量の雪に伸しかかられてもしなやかに受け止めて耐え、耐寒性などなくても雪が冬の寒さから守ってくれています。また、耐陰性があるお陰で、大木が鬱蒼と繁る森の中の長い冬の暗い雪の下でも春を待つことができました。
しかし、雪椿が雪国に適応できた理由は分かりましたが、どうしても分からないのが、何故、雪椿は奥羽山脈に進出しなかったかです。雪椿が持つ特質は県内多雪地帯の奥羽山系にも十分に通用しますので、雪椿は分布を広げることができるように見えます。何が妨げになったのでしょう。現在の雪椿の分布は、現在の気候だけが決定したものではなくて、雪椿と藪椿が別々の種として歩き始めてからの長い地質年代のレベルで分布を考えるべきものかもしれません。氷期と間氷期が何回も繰り返され、その中で種の分化が起こったとは考えられないでしょうか。
その時に問題となるのが、氷期には対馬海流(暖流)が全く流れなくなるか又は無視できるほどに弱い流れになることです。日本海に暖流が流れ込まなくなると、冬に日本海からの水蒸気が極端に少なくなって積雪量が激減してしまいます。雪椿を寒さから守ってくれる雪がなくなって雪椿は大幅に後退し、局所的に雪が多い狭い範囲に細々と生き残っていたのかもしれません。とても飯豊山系、朝日山系、出羽丘陵、奥羽山脈へ分布を広げていたとしても、寒さで生き残れなかったと思います。特に最終氷期は最も気温低下が大きかったとのことでしたので、雪椿は大きなダメージを受けたはずです。そしてもっと壊滅的なダメージを受けたのは藪椿だったでしょう。氷期による気温低下とさらに暖流が北上しなくなったことによって海岸部の暖房効果がなくなり、日本海側の藪椿は全滅したと思えます。
そして最終氷期が終了した約1万年前に間氷期になると再び気温が上昇しながら、積雪量も多くなって雪椿は分布を広げて来たことでしょう。藪椿もタブノキなどの暖地性の樹木とともに、暖流の援護を受けながら海岸沿いに再度、北上してきたのでしよう。今、見られる椿類の分布は、1万年にスタートして、まだ分布が拡大を進めている途中の姿と言えそうです。これからさらに時代が経過すれば、雪椿は飯豊山系と吾妻山系を経て奥羽山脈の西側にも分布を拡大するかもしれません。
これで一件落着に見えますが、まだ解決していません。朝日山系と奥羽山脈の間に白鷹山があり、白鷹山の東斜面(村山盆地側)には県内随一と言えるほどに雪椿の群落が広がっています。私が何度も白鷹山やその山腹とも言える大平地区で雪椿を観察したのはそのためです。ところが、朝日山系の東側と白鷹山の西側(置賜盆地側)及び奥羽山脈における雪椿の分布に関する文献を見たことがありません。おそらく分布していないだろう思います。にもかかわらず、日本海側から朝日山系によって隔てられている白鷹山に何故あれほどの大群落で雪椿が分布しているのか。白鷹山の東側が雪椿分布の飛び地になっています。説明には特別の理由が必要です。ましてや雪椿が種子を実らせるのは極めて稀ですから、リスなどによって拡散するのも少ないはずです。白鷹山が飛び地になって居るのは、「氷期と間氷期の繰り返し」のせいでしょうか。
例えば
「間氷期に白鷹山まで分布を広げたが、氷期になると周囲が全滅してしまい、白鷹山の東側だけに雪椿が残った。再び間氷期になると白鷹山の雪椿が元気に群落を形成しているが、まだ周囲の山地までは日本海側から広がっていない」
などと素人の妄想は大胆です。
おまけの妄想は続きます。もしかして、今から420年余り前の西暦1598年に秀吉によって国替えさせられた上杉景勝と直江兼続の家臣たちが、越後を懐かしんで越後領から大量に雪椿の苗木と種子を運び込んで、白鷹山の参道がある東側に移植や種蒔きをしたのではないか。「ん?、じゃあどうして西側には」……。妄想しても理屈は通りません。
この話を発展させて物語も作れます。その筋書きは次のとおりです。
「上杉家の人々によって持ち込まれた雪椿の話は最上領内にも伝わり、最上領民は自国にない珍しさと冬でも落葉しない縁起の良さから、我も我もと上杉領内から苗木などを買い求めた。野邊沢城では馬場の周囲に花木として植栽し、領内の神社仏閣の境内にも榊のような神木として珍重されて植栽された。その名残が今でも畑沢の熊野神社周囲にある椿の大群落である」とまあ、こんなものですが、作家ならもっと上手に話を作れるでしょう。
日ごろ、私のブログの文章は長すぎると不評です。今回もブログとしては、嫌に感じになるほど長くなってしまいましたが、開き直ってしまいました。もう少しだけ話を続けます。
畑沢と言う小さな集落の椿の話でしたが、考えを深めようとすると、地域的には全県、さらに全国、ついには地球規模へと広がり、時間のスケールも何百万年もの地質時間の流れへと発展してしまいます。また、歴史にも絡めてみることも面白く感じています。とかく、「素人だから」とか「専門家でないから」と口をつぐみがちになりますが、臆することなく自由な発想を楽しんいます。
さて、本来の話に戻します。もしも、雪椿の分布に関するより詳しいデータとヤブツバキとユキツバキのゲノム解析などが行われれば、十分に解明できそうな気がします。学者さん方の奮起を促したいところです。研究対象として面白いはずです。
ということで、数々の「分からないこと」を残して、今年の「ユキツバキかなあ」シリーズを終わります。間もなく、畑沢の熊野神社にも雪が積もり、来春の雪融けまで、謎の椿もお休みに入ります。