-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

いよいよ「延沢城跡国指定史跡30周年記念式典」です。

2015-10-14 17:15:52 | 行事

 10月18日に予定されている式典が間もなくとなりました。昨日、実行委員会長から詳しい内容が葉書で連絡ありました。それを見て、少々、驚いています。延沢で8時30分となっています。私は山形から行きますので、7時には出発しなければなりません。背炙り峠から畑沢に入って、大先輩方を車に乗せます。その時間を入れて、1時間と30分かかるかなと計算しました。8時40分から常盤小学校の脇から城跡を目指して登るようです。本丸跡で大明神参拝と居合の奉納が行われます。絵になる光景が次々と繰り広げられそうです。当然、私は「撮ります」。そして報告します。

 

会長名は、個人情報保護のために消しております。

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畑沢のお祭りでした

2015-04-16 09:05:56 | 行事

 久しぶりの投稿になりました。山形でのリフォーム作業が山場を迎えて、下手な大工仕事で忙しい毎日でした。ようやく、14日に一段落しました。15日は朝6時半に山形を出発して、畑沢へ向かいました。畑沢はお祭りですが、世の中は平日で仕事に忙しい曜日です。東根、楯岡辺りでは、出勤中の車が道路を埋め尽くしていました。

 畑沢のお祭りは、かつて上畑沢、中畑沢、下畑沢でそれぞれ別の日に行われていたそうです。15日はあくまでも下畑沢の熊野神社の祭礼だったようです。しかし、3年ほど前から祭礼の日を統一して総て15日にしたそうです。私は中畑沢出身ですので、中畑沢の稲荷神社の掃除に行きました。

 稲荷神社の清掃は15日の朝8時から実施するとの情報を得ていましたので、それに間に合うように15分前には稲荷神社の下に到着しましたが、既に皆さんが清掃を始めていました。「皆さん」と言っても、私以外は4人です。昭和30年代には中畑沢に13軒ありましたが、今も住んでおられる家は4軒だけになりました。県道から神社に至る参道には、周囲の杉の葉がうず高く積もっていました。それを素手、箒、熊手で脇に掻き分けました。私は生まれて初めての清掃作業でしたので、どのように清掃すべきなのかを分からずに、玄関を掃除するちゃちな箒と塵取りを持参したのですが、この作業にはまるで役に立ちません。幸いゴム手袋をはめていましたので、手で杉の葉を片づけました。例年ですと、この時期には参道には積雪がありますので、お祭りのための準備は、雪の上にショベルで階段を付けることだったと思われますが、今年は雪が消えてしまいましたので、このような作業になったようです。

 参道の掃除が終わると、神社の中を掃き清めて蝋燭を灯し、神主なしでお参りしした。誰も詳しい神道の作法を知らないので、とりあえず柏手(かしわで)を打とうと言うことになり、2回打ちました。何となく、神様をお参りしたような気分になりました。昔は隣の細野から神主が来てお祓いをしていました。

 

 中畑沢の稲荷神社と熊野神社の両者のお祓いを熊野神社ですることになっていましたので、区長の大戸Mさんに電話で確かめたところ、10時半とのことでした。神主さんが来られる前に、畑沢地蔵庵周囲の「雪椿らしき椿」について調べてみたいと思っていましたので、早めに10時には神社に到着しましたが、既に皆さんが集まっておられました。私もそのまま室内に座りました。神社の入口周辺には、朝早くに村の人達による赤飯が、笹の葉に盛られて沢山、捧げられていました。

 すると、神主さんも、かなり早めに到着しました。神主さんは、いつも荒町の八幡神社の宮司さんが来てくださっています。今年は宮司さん本人ではなくて、その娘さんでした。宮司さんが体調を崩されたそうで、代理として来てくださいました。若い女性ですので、プライバシーに配慮して、画像を処理しています。御容赦下さい。

 神主さんの吹く法螺貝が畑沢の村中に響き渡りました。熊野神社は高台にあり、前が広く開けていますので、目でも耳でも神社での法螺貝が分かります。神社の直下には県道が走っています。

 法螺貝が終わり、神社の中で祝詞をあげお祓いが行われました。若い女性による祝詞は初めてでしたので、その張りのあるお声には、何だか「とても有難い気分」になりました。後で聞いた話ですが、私以外の出席者にも大分、評判が良かったようです。畑沢では女性に限らず、若い人たちの声を聞くことが極めて少なくなりました。畑沢に、若い人たちの声が聞こえるような日常を取り戻したいところです。最近、全国的に「田舎暮らし」を求めて、田舎に移住する人たちが多くなっていると言う記事などを目にしますが、畑沢に移住した方はいません。PR不足と努力不足です。

 

 熊野神社を昼過ぎに失礼して、上畑沢の延命地蔵堂を訪ねました。

 今日は、畑沢のお祭りなので、入口が開け放たれていました。こちらは「地蔵」を祀っていますので、仏教です。神主さんのお祓いの対象にはなりません。しかし、昔の宗教の良いところで、神も仏も一緒です。神仏習合に大賛成です。一番大事なことは、人を大切にすることです。神が一番大切なのではありません。仏が一番大切なのでもありません。最近、世界では神のために人を傷つけることを正当化しいます。これでは何のための神なのでしょう。神はそのようなことを教えていないはずです。人を救うためには、神は黙って踏みつけられても喜ぶでしょう。どこかが狂っています。宗教を騙った強欲者の仕業でしょう。強欲者は宗教を上手に利用します。その点、畑沢に残る石仏の素朴さは実に心を和ませます。ただひたすら村人の安寧を願っているように見えます。

 延命地蔵堂の中は、きれいに掃除されていました。捧げ物も見えます。千羽鶴は何方が下げたのでしょうか。どんなお願いをしていたのでしょうか。村の人達の様々なお願いが伝わってきます。

 延命地蔵堂にお参りした後で、昔、小学生時代に見た縄文式土器を探して周囲をしばらく眺めていたところ、遠くで私を呼んでいるような姿が見えました。腰を曲げながら懸命に私に近づいてきます。間近になると、どなたであるかが分かりました。古瀬K氏の奥さんでした。お祭りの赤飯をお土産にと持ってきてくださったのです。

「おさいどを手伝ってけだり、写真持ってきてけだりしてありがど様」

と言うのです。私は個人的に好きでやっていることなのに、何とも律儀な方々です。私は涙が出るくらいに嬉しくなりましたが、さすがに涙を流すことができないので、ぐっと堪えて感謝の言葉を申し上げました。本当に嬉しいことです。嬉しいお土産を貰って山形へ帰り、赤飯が大好きな妻と御馳走になりました。畑沢の米と真心に溢れた赤飯は格別でした。


明日も真面目に投稿します。

 

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2月24日は「おさいど」でした。

2015-02-25 18:11:38 | 行事

 畑沢での「おさいど」は、かつては3つの地域に分かれて、それぞれに行われていましたが、現在も行われているのは上畑沢だけです。実施時期も大きく変化しました。本来なら、地蔵堂の「おさいど」は、旧暦の1月15日だったようです。しかし、旧暦とは言えども極寒の時期でしたので、少しでも暖かな時期にと新暦の2月24日に実施されています。ずっと昔は、さらに今と異なり、「雪中田植え」も同時に行われていたそうです。そのことを知っている年代は70歳代以上のようです。

 さて、今年のおさいどは心配事があって実施が危ぶまれていました。と言いますのは、作業する人の数が足りなくなる心配がありました。昨年に作業した方々の中で、入院した人、怪我をした人、体力が危うい人が出ました。確かに人数が少な過ぎます。そこで、私と一つ年上の先輩が「応援」を申し出ました。二人とも畑沢の外で生活しています。「それならやろう」と言うことになり、ようやく実施できることになりました。

 

 会場となる場所は、写真の左側ですが、道路から3m近くもの段差があります。除雪車が作った大きな雪の壁です。最初の作業は、この壁に年寄でも安全に登ることができる階段を作ることです。

 写真右の建物が「延命地蔵堂」で、おさいどの主人公です。こちらも大きな段差がありますので、安全な階段を作る必要があります。


 雪面での作業には、カンジキが必要です。このカンジキは、私の父が50年以上も前に作った「輪っか」に私が紐を付け替えたものです。これで足元はバッチリです。


 すると、足元に「雪虫」が現われました。雪虫と言われる虫は、多種ありますが、これは「クロカワゲラ」とか言う昆虫のようです。この日は温かい日ですが、それでもまだまだ冬です。寒いのに、御苦労さまです。

 

 地蔵堂と向かいになる山で、突然、ザッザツと雪が崩れる音がしました。気温が高くなったので、山の急斜面で小さな雪崩が発生したのであろうと思いながらも、一応、山腹に目をやると、一頭のカモシカが雪を崩しながら下ってきました。その動きを見ているうちに、さらにもう一頭のカモシカが現われました。先のカモシカを追っているようです。二頭は色が違います。先のカモシカは白っぽいのに対して、後のカモシカは、全体的に黒っぽい色でした。さてこの二頭は親子かな、親子にしては二頭とも体が大きいし、距離があり過ぎる気がします。とすると、「子離れ」を宣告された子供のカモシカが未練がましく親の後を追いかけているのかなとも思いました。それとも発情期を迎えた雌雄かな、それにしては時期的に遅いのではないかとも考えましたが、分からなくなりました。それ以上を考えると、「おさいど」の前に頭脳がオーバーヒートしますので、カモシカから目をそらしてしまいました。

 

 実施が危ぶまれていましたが、蓋を開けてみると思いのほか順調なスタートを切ることができました。先ずは好天に恵まれました。ここ2、3日、好天が続き、24日も気温が高く風もない最高の一日でした。材料となる萱(かや)も例年以上に集まりました。去年は来なかった人も作業に駆けつけて下さいましたので、去年と同じくらいの人数に、さらに「応援」が加わりました。この調子だと、いつもの2塔だけでなく3塔作れるのではないかと話が進んだのですが、「3」は何かの理由で好ましくないとのことでした。結局、2塔だけとなりましたが、贅沢な2塔です。作業開始は午後1時でした。

 

 高いところの作業は、若々しい応援部隊が引き受けました。皆さんの顔には明るい笑顔が見られます。「若い」と言っても、私よりも一つ上の先輩ですから……ですが、実に若々しい働きでした。

 

 

 着火は午後6時の約束ですが、そこは「畑沢時間」。6時になっても、まだ全員が揃っていません。しかし、既に到着している人は、まだ集まっていなくても一向に気に停めません。

「しー、点けっか―」

「もう少す、待っでみっかー」

「えーべあー、火点けっど明るぐなっから、そのうぢ来んぺー」

「どれやー、点けっぞう」

実に、大雑把です。どうも私の「大雑把」はこの先輩たちから仕込まれていたようです。

 

 火はたちまち燃え上がりました。今年のおさいどの中には、例年以上の萱がたっぷりと詰まっていますので、火の勢いは凄まじいものです。ものすごい炎のことを「紅蓮の炎」し言いますが、正にそのとおりでした。

 このとき、お一人がおまじないのような言葉を発しました。あとで確認したところ、「いわいー、いわいー」だそうです。「祝い、祝い」の意味のようです。

 

 観客は、いつの間にか増えていました。さすが先輩が言うように、

「しぃー点けっど集まっから」でした。

 

 2塔あったおさいどは、オリオン、天の川そして月光が輝く天空の闇に吸い込まれていきました。私は、つい雪上に仰向けになって、火の粉が黒い天に昇って行く姿に見とれてしまいました。まるで、子供の様な振舞をしてしまいました。今年は特に厳かな雰囲気でもありました。

 おさいどが燃え尽きると、お堂で今年一年の健康と安全をお祈りし、それぞれ持ち寄った飲み物と食べ物で懇談が開かれました。私たちの年代が知らない畑沢の昔のことをあれこれ話してくださいました。実に貴重なお話ばかりでした。

 なお、おさいどが燃え尽きると、夜道での怪我を心配して先にお帰りになった方もいますので、お堂の人数は全員ではありません。

 

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畑沢のお祭りに行きました。

2014-04-15 19:48:29 | 行事

 4月15日は畑沢のお祭りです。昔と違い、他地区からのお客さんや屋台の店はありません。でも、私は昔よりもお祭りに対する関心が高くなりました。畑沢の人達と会えます。いろんなお話をしてくださいます。去年、今年と2年連続してお仲間にしてもらいました。

 入口の鳥居には、しめ縄が下げられています。今年は上畑沢の当番でした。上畑沢の古瀬K氏の小屋で、昨年中に製作したそうです。しめ縄作りを御存知の方は数少ないそうで、大変に御苦労されたようです。さらに、しめ縄の材料である藁(わら)も簡単には手に入らなくなっています。コンバインの普及によります。

 作り方を伝えるために今度は、ビデオに残してくれとの依頼を受けました。

 入口の階段は、雪が積もっていましたので、13日に歩けるようにスコップで片づけたそうですが、積雪が多い場所は地面を出すまでは無理でした。でも、坂を上った場所は、地面に到達するまで除雪されています。

 10時30分にお祓いです。その前に、荒町の八幡様の神主さんが、見晴らしの良い高台から法螺貝で村中に知らせます。高台からブオー・ブオーと鳴り響きました。すぐさま、熊野神社の中に入って、厳かなお祓いが行われました。祝詞が上げられてからは、しばしの歓談とあいなり、懐かしい話、村人の近況が話されました。

 午後、上畑沢にある延命地蔵堂にも足を延ばして、地蔵さんにもお参りをしてきました。こちらは、お地蔵さんですから「神様」ではありません。それでも、15日に一緒にお祭りです。地蔵堂の中には、お祭りの幟(のぼり)が飾られていました。

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畑沢の祭りが近づきました

2014-04-05 12:29:07 | 行事

 使用を26年の畑沢祭が、近づきました。4月15日の予定です。その日は、上、中、下のそれぞれで、近くのお堂をお参りした後で、熊野神社において畑沢全体のお祭りをします。結構早くから集まります。去年が私の熊野神社デビューでした。今年も参加します。去年はまだ畑沢のことを知りませんでしたが、一年間猛勉強をしましたので、半人前ながらも話についていけるのではないかと思っています。そして、さらに勉強させていただくつもりです。

 写真は、熊野神社から荒屋敷(アラスギ)方面の眺めです。

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