『與杼神社(よどじんじゃ)』は、淀城跡にある神社です。式内社で社格は郷社になります。祭神は3体で、豊玉姫命(とよたまひめ)・高皇産霊神(たかみむすび)・速秋津姫命(はやあきつひこ)になります。
社殿によると、応和年間(961-964)頃の創建となっていますが、日本三代実録には貞観元年(859)に従五位下の神位を賜ったという記述があり、延歴5年(927)に成立した延喜式神名帳では山城国乙訓郡の小社として列していることから、応和年間以前より存在していたと考えられています。
桂川河川敷の拡幅工事により、明治35年(1902)に現在の位置に遷座されたのですが、元々の鎮座地は現在地より北の桂川右岸あたりだそうです。このあたりは旧・水垂村であったことから「水垂社」とも呼ばれていたそうです。
拝殿は、重要文化財にしていされています。慶長12年(1607)に豊臣秀頼の再建によります。もともとは舞殿で、簡素な意匠ではありますが、桃山時代の特徴をあらわしています。桁行二間・梁間一間で妻入り入母屋造のこけら葺きの建物になります。
本殿は昭和55年(1980)に再建されました。三間社流れ造りで銅版葺きの建物です。以前の本殿は昭和50年(1975)に花火による失火で焼失したのですが、重要文化財に指定されていた建物です。焼失した本殿は5間社流れ造りだったようです。
こちらは、境内末社です。左より川上大明神・豊丸大明神・長姫弁財天となります。
こちらは参道附近です。鳥居の横が有料駐車場になっています。
社殿によると、応和年間(961-964)頃の創建となっていますが、日本三代実録には貞観元年(859)に従五位下の神位を賜ったという記述があり、延歴5年(927)に成立した延喜式神名帳では山城国乙訓郡の小社として列していることから、応和年間以前より存在していたと考えられています。
桂川河川敷の拡幅工事により、明治35年(1902)に現在の位置に遷座されたのですが、元々の鎮座地は現在地より北の桂川右岸あたりだそうです。このあたりは旧・水垂村であったことから「水垂社」とも呼ばれていたそうです。
拝殿は、重要文化財にしていされています。慶長12年(1607)に豊臣秀頼の再建によります。もともとは舞殿で、簡素な意匠ではありますが、桃山時代の特徴をあらわしています。桁行二間・梁間一間で妻入り入母屋造のこけら葺きの建物になります。
本殿は昭和55年(1980)に再建されました。三間社流れ造りで銅版葺きの建物です。以前の本殿は昭和50年(1975)に花火による失火で焼失したのですが、重要文化財に指定されていた建物です。焼失した本殿は5間社流れ造りだったようです。
こちらは、境内末社です。左より川上大明神・豊丸大明神・長姫弁財天となります。
こちらは参道附近です。鳥居の横が有料駐車場になっています。
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