自宅に鉢植えされてた、月下美人が花をつけてました。結構、大きな花で、かなり強い香りなんですね。明日の朝には萎んでるのだと思います。いい瞬間に巡り会えました(^^)
島根県松江市のカラコロ広場近くの京町商店街の風景です。歴史的建造物が建ち並んでるわけではないですが、なんかいい雰囲気でした。
ドギの唐揚げです。シロゲンゲを山陰地方ではドギと呼ぶそうです。水深80m~2000mの深海で生息しているそうです、底引き網漁やズワイガニ漁の際、紛れ込んでで水揚げされてた魚で、最近まで流通にはのってなかったのですが、実は美味で、その味を知ってる漁師や好事家が食べてた、知る人のみが知ってる魚だったそうです。全体の形はウツボのような感じで、体はとても柔らかく、半透明のゼリー状です。それを唐揚げにしたのが下の一品です。美味しく頂かせていただきました(^^)v
宍道湖といえば頭に浮かぶのは「しじみ」。宿泊したホテルの窓から大橋川を眺めてたら「しじみ漁」を望むことが出来ました。
長い柄の貝採り網?で船の上から漁をしてる方と川に入って漁をしてる方がおられました。風物詩的なものを目に納めることが出来てちょっと嬉しかったです(^^)v
長い柄の貝採り網?で船の上から漁をしてる方と川に入って漁をしてる方がおられました。風物詩的なものを目に納めることが出来てちょっと嬉しかったです(^^)v
松江城は城を囲む堀川が比較的残っており、また堀川沿いには武家屋敷など歴史的建造物も軒をつらねています。そんな風景を楽しむことが出来る「堀川めぐりの遊覧船」が運航されています。遊覧船に乗船はしていませんが、街歩きをしてる際に何枚か写真を撮らせていただきました。
松江城です。慶長期を代表する天守として平成27年に国宝に指定されています。築城主は堀尾忠氏です。戦国大名の堀尾吉晴の子になります。城下町も堀尾時代に整備されました。堀尾家が無嗣断絶し、京極家が入封しました。京極家も無視断絶し、以後は越前松平家が藩主となり、明治まで続きました。ちなみに京極家は、播磨龍野藩として復活し、おさかなの生息地である讃岐丸亀藩へ転封し明治まで続きました。なので、松江は丸亀と少し縁のある地でもあります。
天守閣は、4重5階地下1階の複合式望楼型天守です。慶長12年(1607)に築城を開始し、慶長16年(1611)に完成しています。現存する天守として、平面規模では2番目、高さでは3番目の規模です。明治初期に破却される危機にありましたが、地元の有志の保存活動により解体を免れました。
前回の訪問は、重要文化財だったころの平成25年だったと思います。
こちらは、明々庵の高台から望む天守です。
天守閣は、4重5階地下1階の複合式望楼型天守です。慶長12年(1607)に築城を開始し、慶長16年(1611)に完成しています。現存する天守として、平面規模では2番目、高さでは3番目の規模です。明治初期に破却される危機にありましたが、地元の有志の保存活動により解体を免れました。
前回の訪問は、重要文化財だったころの平成25年だったと思います。
こちらは、明々庵の高台から望む天守です。
島根県松江市の中心部あたりの大橋川沿いの夜景です。ほのかに揺れる水面に映る光がとてもいい雰囲気です。大都会みたいに光が多くないのも良いですね(^^)v
水のある街って好きです。
水のある街って好きです。
興雲閣は、松江市が松江市工芸品陳列所として明治36年(1903)に竣工した建物です。当初は、明治天皇の山陰巡幸の際、行在所として利用される予定であったようですが実現せず、当時皇太子だった大正天皇の御旅館となり、迎賓館としての役割を果たした建物でもあります。島根県指定の有形文化財となっています。
建物内にはカフェもつくられていて、モーニングをいただいてきました。ちなみにチーズトーストです。歴史を感じさせる建物内でゆっくりさせていただきました。
建物内にはカフェもつくられていて、モーニングをいただいてきました。ちなみにチーズトーストです。歴史を感じさせる建物内でゆっくりさせていただきました。
備中松山城は江戸時代の天守閣が今も残る城跡です。天守閣はもちろん重要文化財に指定されています。今日は天守じゃなく岩盤と石垣のコラボが独特の景観を造り出している石垣の写真です。
世界遺産『白川郷・五箇山の合掌造り集落』の構成遺産のひとつである菅沼の一風景です。白川郷に比べると小さな集落ですが、観光客も少なくてゆっくりと散策出来ました。
集落には9戸の合掌造り家屋が現存しています。伝建地区にも指定されています。
集落には9戸の合掌造り家屋が現存しています。伝建地区にも指定されています。
高松藩主松平家墓所です。高松市仏生山町の法然寺にあります。墓所は、他にもさぬき市の霊芝寺にもあります。法然寺の墓所は、初代賴重をはじめとして3代賴豊から8代賴儀までの7人の藩主、正室、一族からなる202基の墓で構成されています。全国的にみても有数の規模を誇っているそうです。平成31年には国の史跡に指定されています。
法然寺は、浄土宗の寺院で、本尊は法然作と伝わる阿弥陀如来立像です。創建は寛文8年(1668)で、開基は、高松藩初代藩主の松平頼重です。
法然寺は、浄土宗の寺院で、本尊は法然作と伝わる阿弥陀如来立像です。創建は寛文8年(1668)で、開基は、高松藩初代藩主の松平頼重です。
レインボーマウンテンとも呼ばれる「ヴィニクンカ山」は、ペルーの古都クスコから車で3時間半の地点にあります。鉱物が酸化してカラフルになった地層が虹のように見えるから、レインボーマウンテンと呼ばれているそうです。
もともとは氷河の下にあったのだそうですが、温暖化で氷河が解けたことによって2013年に発見されたそうです。
ここ、行ってみたいです。ただ、標高5200mなので、かなり酸素が少ないようです。。。富士山でもあえぎあえぎだったので、行けるのかな~。
もともとは氷河の下にあったのだそうですが、温暖化で氷河が解けたことによって2013年に発見されたそうです。
ここ、行ってみたいです。ただ、標高5200mなので、かなり酸素が少ないようです。。。富士山でもあえぎあえぎだったので、行けるのかな~。