おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

淀の桜【京都府京都市伏見区】

2020年02月29日 23時56分04秒 | 街の風景
 淀城跡周辺は、早咲きの桜(河津桜やエドコヒガンザクラ)が植えられ、桜のスポットとしても有名だそうです。淀水路の河津桜が一番の見所なのだそうですが、淀城跡を見学した際に、その情報は知らなかったので、見学することなく帰路についてしまいました。それでも、淀城跡や與杼神社境内、京阪淀駅前で咲いてた桜を楽しむことが出来ました。
 こちらは與杼神社の桜です。



 淀城跡の桜です。後方には京阪電車が走ってます。



 京阪淀駅前の桜です。



淀城跡【京都府京都市伏見区】

2020年02月28日 23時51分34秒 | 街の風景
 淀城は稲葉家10万2000石の居城でした。稲葉家の治世下になったのは、享保8年(1723)に稲葉正知が下総佐倉藩から転封してきたのが始まりで、以降12代の正邦で明治をむかえます。歴代藩主の中で、名が知られているのは12代の稲葉正邦で幕末時に老中を2度務めていました。
 稲葉氏の歴史を掘り下げてみると、戦国期の稲葉氏当主・良通(一鉄)は、美濃の斎藤氏に仕え、安藤守就・氏家卜全と共に西美濃三人衆として権勢を振るっていましたが、のちに織田信長の配下となりました。本能寺の変で織田信長が倒れた後、豊臣秀吉の配下となりました。良通の子貞通は、関ヶ原の戦いでは東軍に属し戦功をあげ、美濃郡上八幡4万石から豊後臼杵5万石に加増移封され、臼杵藩の藩祖となりました。
 良通の庶長子の重通が分家して大名となり、美濃清水を領地としました。その後、家督を稲葉氏の一族の尾張林氏より養子に入った正成が継ぎました。この正成の妻が3代将軍徳川家光の乳母となった春日局です。そういった関係から、正成系の稲葉家は譜代大名となりました。淀藩の藩主家稲葉氏は、この正成系の稲葉氏です。
 現在城跡として残っている淀城は、徳川時代のもので、豊臣秀吉時代の淀城は「淀古城」とよばれ、城跡北の妙教寺付近にあったとされています。
 淀藩は、稲葉家の治世になるまでは、藩主家が定着しない藩でした。元和9年(1623)に遠江掛川藩から松平定綱が3万5000石で入ることで、淀藩が立藩しました。寛永10年(1633)からは下総古河藩より永井尚政が10万石で入り2代にわたって支配、寛文9年(1669)からは伊勢亀山藩から石川憲之が6万石で入り3代にわたって支配、宝永8年(1711)からは美濃加納藩より松平光煕が6万石ではいり、2代にわたって支配、享保2年(1717)からは伊勢亀山藩より松平乗邑が6万石で入り支配。藩主が定着したのは、稲葉家になってからのようです。
 淀藩の基盤を整備したのは永井家で、初代の永井尚政によって城下町の拡大や水上交通の整備、地子免許などを行なっています。石川憲之は幕政に参加。松平乗邑は、大坂城代代行を務め、、徳川吉宗に見出されて老中まで務めた大名です。
 現在の淀城は、本丸の石垣と堀の一部が残っているだけで、10万2000石の大領の藩の城跡としては少し寂しい佇まいとなっています。ただ、本丸跡に実物大の櫓や、内堀の再掘削、淀城のシンボルだった水車を復元する計画があるようです。どのようなものになるか楽しみではあります。





 淀は、諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる海産物や塩の陸揚げを集積する商業地でり、河内国・摂津国方面や大和国方面から山城国・京洛に入る要衝でもありました。しかし、稲葉家は山城国唯一の大名家で10万2000石という大領ではあったのですが、その所領は山城には2万石程度しか無く、摂津・河内・近江・下総・越後などに分散し、藩の経営は不安定な状況だったようです。

小岩井農場の一本桜

2020年02月27日 23時50分15秒 | 行ってみたい
 四国に住んでると東北へはなかなか行く機会が少ないです。岩手県には3回ほど訪れたことがあるのですが、雫石町の「小岩井農場」は、気になってはいるものの、まだ訪問したことがない場所です。重要文化財に指定されている建物が21棟あるのも魅力のひとつではあるのですが、樹齢約100年の一本桜(エドヒガンザクラ)を花の季節に見てみたいと思ってます。見頃は4月下旬から5月上旬、GWの頃です。


 大草原(牧草地)の中にそびえる一本桜、とても美しい風景です。

ホテル窓からの風景【京都府京都市下京区】

2020年02月26日 22時23分46秒 | 街の風景
 今回の京都遠征では、東本願寺近くのホテルで2連泊しました。初日は祇園で夜中2時過ぎまで飲んでたので、流石に早起きは出来なかったのですが、二日目は朝6時過ぎには起床することが出来ました。歯磨きして着替えを済ませたあと、天気も良かったのでバルコニーに出てみました。冷たい空気が気持ちよかったです。

 上の写真はバルコニーから撮影したものですが、東本願寺本堂の屋根と京都タワー、そしてその奥の京都駅、なんか新旧の建物が並ぶ様がいい感じです。ちょっと得した気分に(^^)v
 4階建の小さなホテルだったですが、周辺には大きな建物が無いから視線が伸びて心地よかったです。最寄りの駅からは少し歩きますが、京都で宿泊する際には、候補のひとつに残しておかなければね。

京都タワー【京都府京都市下京区】

2020年02月25日 23時05分11秒 | 街の風景
 京都駅のスカイウォークから見た『京都タワー』です。全体を正面から見ることが出来ます。いつもは地上から眺めてますが、正面から見るのも良いですね。スカイウォーク、いままで歩いたことがなかったので、とても新鮮でした。


与島PA【香川県坂出市】

2020年02月24日 23時14分00秒 | 日記・雑談
 京都からの帰り、もうすぐ自宅に到着間近だったものの、トイレ休憩が必要になって、与島パーキングエリアに寄り道しました。最近多いですけどσ(^_^;)


 やっぱ祭日はいつもより人が多いような気がします。でも他のエリアより少ないです。採算取れてるのかちょっと気になりますが。でもなかなかいいパーキングエリアですよ。


板取宿【福井県南越前町】

2020年02月21日 22時35分47秒 | 街の風景
 福井県南越前町の板取宿(いたどりしゅく)です。北国街道の入口として初代福井藩主の結城秀康が関所を設けました。現存している茅葺の住宅は、「妻入兜造り」と「妻入入り母屋造り」で、石畳の旧道に面して建っています。



富山城【富山県富山市】

2020年02月20日 22時47分42秒 | 街の風景
 富山県富山市の『富山城』は、加賀前田家の分家であった越中前田家の居城です。石高は10万石でしたが、実質的な石高は20万石以上あったそうです。現在の天守は昭和29年に完成した再建天守となります。続日本100名城の一つに選定されています。


 立藩は寛永16年(1639年)で、加賀藩第三代藩主前田利常が次男の利次に10万石を与えて分家させたのが始まりです。当初、婦負郡百塚に城を築く計画でしたが、藩の財政が厳しく、万治2年(1659年)に加賀藩との領地交換によって富山城を居城としたようです。万治4年(1661年)に幕府の許しを得て富山城を本格的に修復し、城下町を整え、富山前田氏13代の居城として明治維新まで至りました。
 模擬天守の富山城は、「富山市郷土博物館」として運営されています。



三光稲荷神社【愛知県犬山市】

2020年02月19日 23時33分18秒 | 街の風景
 愛知県犬山市の犬山城麓に位置する『三光稲荷神社』です。創建は不明ですが、戦国期においては犬山城主であった織田信康の保護をうけていたとの記録が残っています。織田信康は織田信長の叔父にあたります。江戸期に入ってからは、犬山城主であった成瀬氏の守護神となっていました。


 縁結びの神様として、上の写真で鳥居のトンネルの先に映ってるピンク色の部分に、ハート形の絵馬が沢山掛けられていました。
 また、「倍返し神社」との別名もあります。銭洗い池の御神水でお金を洗うと、何倍にもなって返ってくると言われているそうです。

先人たちの底力 知恵泉

2020年02月18日 22時44分44秒 | 日記・雑談
 NHK Eテレで放映されてる『先人たちの底力 知恵泉』、好きな番組で、時間が合えば見るようにしています。


 「人々が組織や社会の中で直面している様々な課題は、先人達が取り組んできたものと通じているという意図のもとに、現代人の課題や関心事項を毎月1つのテーマに設定して、歴史上の人物の知恵と行動から解決のヒントを探っていく」というコンセプトで、番組を構成しています。
 今日は「大久保長安」でした。大久保長安は、江戸幕府の草創期の頃、徳川家康の側近として財政再建を担い、幕府財政を立て直した人物です。もともと武士出身ではなく、猿楽師の子供として生まれました。父親が武田信玄お抱えの猿楽師となったことから、武田信玄に見いだされ、金山などの鉱山開発や税務などに才を発揮しました。武田家が滅んだあと、徳川家康がその才に着目し家臣として召し抱えました。晩年は不遇をかこったようですが、江戸幕府の経済的基盤を整えたことが、長期にわたる政権が維持できた要因のひとつだったのではと思っています。

梅の季節

2020年02月17日 23時42分04秒 | 自然風景
 急に寒くなっちゃいましたが、今年の冬は総じて超暖冬です。今回の寒波が過ぎれば、ぼちぼち梅の見頃になりそうですね。


 梅の品種には詳しくないですが、見るのは大好きです。今年は、どこに出かけようかな~

大黒島灯台【北海道室蘭市】

2020年02月16日 21時05分07秒 | 街の風景
 北海道室蘭市の室蘭港の入口に大黒島という灯台があるのですが、その島のてっぺんに白い灯台が建っています。点火されたのは明治24年(1891年)で、昭和49年(1974年)に消灯され、現在は灯台としての役割は果たしていません。建物はそのまま据え置かれ、室蘭市が管理しているようです。


 ロケーションなのか、全体的なフィルムなのか、どことなくヨーロッパの一風景みたいな感じがします。あくまでも「おさかな基準」ですが。陸地とは繋がっていないので、近くに行くことが出来ないのですが、一度見学してみたいです。

石田堤【埼玉県行田市】

2020年02月15日 23時08分58秒 | 街の風景
 天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原(北条家)攻めの際、石田三成を別動隊として、武蔵国・忍城(成田家)を攻撃をしかけました。映画「のぼうの城」で舞台となった戦いです。石田三成は、最初は力攻めを行いましたが、地形条件などから、なかなか成果を上げらず、結果、水攻めによる城攻めを行うことに至りました。結局、水攻めも失敗し、城を落とすことは出来なかったのですが、北条家自体が降伏したことによって、忍城側も戦う意味もなくなったので、開城しました。その戦いの際、築かれた堤が「石田堤」として、いまも部分的に残っています。




 現存してる堤は「石田堤歴史の広場」として整備されています。駐車場も整備されていました。