おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

Quincy Jones / Big Band Bossa Nova

2005年06月30日 14時03分45秒 | 音楽
Big Band Bossa Nova
Quincy Jones
Verve

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◆曲目
(01)Soul Bossa Nova (2:40)
   (Quincy Jones)
(02)Boogie Bossa Nova(Boogie Stop Shuffle) (2:39)
   (Charles Mingus)
(03)Desafinado(Slightly Out Of Tune) (2:52)
   (Antonio Carlos Jobim & Newton Mendonca)
(04)Carnival(Manha De Carnaval) (2:56)
   (Luiz Bonfa & Antonio Maria)
(05)Se E Tarde Me Perdoa(Forgive Me If I'm Late) (4:18)
   (Carlos Lyra & Ronaldo Boscoli)
(06)On The Street Where You Live (2:31)
   (Frederick Loewe & Alan Jay Lerner)
(07)Samba De Uma Nota So(One Note Samba) (1:59)
   (Antonio Carlos Jobim & Newton Mendonca)
(08)Lalo Bossa Nova (3:10)
   (Lalo Schifrin)
(09)Serenata  (3:21)
   (Leroy Anderson & Mitchell Parish)
(10)Chega De Saudade(No More Blues) (5:38)
   (Antonio Carlos Jobim & Vinicius De Moraes)

◆クインシー・ジョーンズ Quincy Jones(arranger、conductor)
 クラーク・テリー    Clark Terry(trumpet)
 フィル・ウッズ     Phill Woods(alto saxophone)
 ポール・ゴンザルヴェス Paul Gonsalves(tenpr saxophone)
 ローランド・カーク   Roland Kirk(flute)
 ラロ・シフリン     Lalo Schifrin(piano)
 ジム・ホール      Jim Hall(guitar)
 クリス・ホワイト    Chris White(bass)
 ルディ・コリンズ    Rudy Collins(drums)
             Jose Paula(percussion)
             Jack del Rio(percussion)
             Carlos Gomez(percussion)

◆録音 1962年 8月13日:(1)
    1962年 9月 4日:(2)(4)(7)
             7日:(6)(8)(9)
             8日:(3)(10)
            12日:(5)

◆クインシー・ジョーンズがボサ・ノヴァに挑戦したアルバムです。クインシー・ジョーンズと言えば『愛のコリーダー』とマイケル・ジャクソンを思い出すのですが。。。ボサ・ノヴァのスタンダードがクインシーの手にかかると、、、クインシーそのものですね。クインシーの編曲の才能を再認識しました。もう40年も前の作品なんですね。ちなみに(1)は映画「オースティン・パワーズ」に使われていました。

「わからない」という方法12

2005年06月29日 07時43分01秒 | 日記・雑談
第3章 なんにも知らないバカはこんなことをする より抜粋
ここからは、著者の実践例をもとに話を進めています。以下小見出しを記載します。
2 天を行く方法ー「エコール・ド・パリ」をドラマにする
●いよいよ「私の方法」
●天を行く方法と地を這う方法
●エコール・ド・パリをドラマにする
●知らないとなるとなんにも知らない
●突然、悪徳作家になる
●用意周到なまでに「なんにも知らない」
●相変わらずなんにもわからない
●取材のしかた
●情報収集とその整理
●私の不思議な経験主義
●絵を経験する
●モジリアニと似ているボッティチェルリ
●悪ガキになって叫ぶとー
●追うべきものを追う
●予断のない目は子供の目
●アル中だったユトリロ
●「エコール・ド・パリ」ってなに?
●美術番組のシナリオをドラマ仕立てで書く

3 地を這う方法ー桃尻語訳枕草子
●バカだからそうするしかない
●磁石を頼りにトンネルを掘る
●困った作家の、もっと困った本当の実態
●古文とは「女言葉の学習」である
●男はひらがなを使わなかった
●男がひらがなを使う時
●女言葉を使う紀貫之
●現代日本語のルーツを作る男達
●論旨を翻訳する
●「わからない」だけでは「方法」にならない
●『土佐日記』の冒頭を訳してみるとー
●いつの間にか、「わからない」が「方法」へと変わる
●意外な正解
●昔の言葉が乱暴だったわけ
●『枕草子』を訳してみる
●平安時代のひらがな文章は「話し言葉」である
●平安時代は、女の文章だけが「言文一致体」である
●女の思考回路を模索する男
●女の文章、男の文章
●「磁石」だけがあった
●なんだって『枕草子』の現代語訳なんかを考えたか?
●古文が苦手な人のトンネルの掘り方
●なぜ暗記ができないのか?
●どうして古文はむずかしいか
●頭がだめなら、手に暗記させる
●そして、地を這う
●まだまだ地を這う
●ほんとうに終わったと思う?

Miles Davis (マイルス・デイヴィス)

2005年06月28日 20時16分13秒 | 音楽
◆モダン・ジャズを調べていくうちに、ジャズの変革期には必ずといっていいほど、マイルス・デイヴィスの存在が大きく作用しているのではないかと思ってきました。そこで、マイルス・デイヴィスの歴史を調べてみました。

●1926年5月26日にイリノイ州アルトンに生まれ、生後まもなくセントルイスへ移住。父は歯科医、母は音楽教師という、裕福な環境の中で成長していった。13歳の誕生日に父親よりトランペットをプレゼントされ、のめり込んでいった。16歳で結婚し、セントルイス近郊のクラブでステージに立つようになる。その後ニューヨークに向かい、ジュリアード音楽院に入学するも、一年ほどで退学。チャーリー・パーカー・クインテットのメンバーとして活動を開始。当時はビ・バップ全盛の時代であった。

●1948年に人気クラブのロイヤル・ルーストから誘いを受け9重奏楽団を結成。ホットなビ・バップに対し、クールな演奏を追求。これが、のちにウエスト・コースト・ジャズに大きな影響を与える。1949年には、ギル・エバンスの強力を得て、稀代の名盤『Birth of The Cool』を発表。1951年には、一転してハード・バップを演奏するようになり、自己のオールスターを率いて「バードランド」に出演。しかし、当時は麻薬に溺れる最悪の状況でもあった。1953年には、麻薬を完全に断ち切り復活を遂げるのである。

●1954年12月24日、ピアニストのセロニアス・モンクと衝突。それをきっかけに、自己のジャズを実現するために強力なリーダーシップをとるようになっていった。その理想を実現させるためには、小さなレーベルのプレスティッジでは満たすことが出来ず、大手のコロンビアと契約。しかし、プレスティッジとのアルバム契約が残っており、1956年5月と10月の二日間で25曲を大量レコーディング。これが「マラソン・セッション」と呼ばれるものです。当時のメンバーは、オールアメリカン・リズムセッションと呼ばれた、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)に、当時新人だったジョン・コルトレーン(ts)にて構成されていた。

●その後、キャノンボール・アダレイ(as)、ジョン・コルトレーン(ts)、ビル・エバンス(p)、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)など有能なメンバーを集め黄金時代を迎える。1959年にモードの概念を取り入れた『Kind of Blue』を発表。モダン・ジャズ史上に金字塔を打ち立てる。

●黄金メンバーとのコンボでモードの追求をしていく一方で、クール・ジャズ時代に親交のあったギル・エバンスとも共同でモードをさらに発展させていった。

●1960年に入ると、ジョン・コルトレーンたちの黄金メンバーが去り、新たにハービー・ハンコック(p)、ウェイン・ショーター(ts)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)を擁し第二の黄金時代を迎える。彼らの演奏は、1950年代のハード・バップに対して新主流派と呼ばれた。「フリージャズ」への答えを、モード手法とグループ・エクスプレッションで出して見せた。しかし、ハービー・ハンコック等バンドメンバーは、フリー・ジャズの影響下にあったようです。

●1969年に、『Miles In The Sky』でヒントを見つけたマイルスは、『Bitches Brew』を発表。エレクトリック・マイルスの誕生です。“30年先を行ってる”“世界一のロックバンドを作ってやる”など、名言を残しつつ、ジャズのアルバムとして異例の売り上げを記録。1972年には、ストリート・サウンドを取り入れた『On The Corner』を発表。1975年には達成感と虚無感を感じ引退。病気療養に専念。

●1980年に再び音楽シーンに復活。コンテンポラリーなポップミュージックも貪欲に取り入れ、マイルス・ミュージックを進化させていく。1991年には、黒人音楽に君臨する、クインシー・ジョーンズとの『Miles & Quincy Live at Montreux』を録音後、9月28日、西海岸サンタモニカで死去。

以上が、マイルスの一生です。
あらためて眺めるとすごいですね。

Miles Davis / 'Round About Midnight

2005年06月27日 19時16分00秒 | 音楽
`Round About Midnight [Bonus Tracks]
Miles Davis
Sony

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◆マイルス・デイヴィス / ラウンド・アバウト・ミッドナイト

◆曲目
(01)Round Midnight (5:56)  (T.Monk-B.Hanighen-C.Williams)
(02)Ah-Leu-Cha (5:53)  (C.Parker)
(03)All Of You (7:01)  (C.Porter)
(04)Bye Bye Blackbird (7:54)  (M.Dixon-R.Henderson)
(05)Tadd's Delight (4:26)  (T.Dameron)
(06)Dear Old Stockholm (7:49)  (Traditional)
以下 Bonus Tracks
(07)Two Bass Hit (3:45)  (J.Lewis-D.Gillespie)
(08)Little Melonae (7:18)  (J.McLean)
(09)Budo (4:14)  (B.Powell-M.Davis)
(10)Sweet Sue, Just You (3:39)  (W.J.Harris-V.Young)

◆マイルス・デイヴィス      Miles Davis(trumpet)
 ジョン・コルトレーン      John Coltrane(tenor saxophone)
 レッド・ガーランド       Red Garland(pinao)
 ポール・チャンバース      Paul Chambers(bass)
 フィリー・ジョー・ジョーンズ  Philly Joe Jones(drums)

◆録音 1955年10月26日:(2)(7)(8)(9)
    1956年 6月 5日:(4)(5)(6)
    1956年 9月10日:(1)(3)(10)

◆マイルス・デイヴィスが自身のバンドを率いてハードバップのスタイルを確立させたアルバムです。テナーサックスにジョン・コルトレーンをサイドマンとして起用。録音は「マラソン・セッション」をはさんでのものとなっているようですね。<1>はセロニアス・モンクの名曲であるが、マイルス流の斬新な解釈によってマイルスの代表曲となっています。お気に入りの曲です。

The Red Garland Trio / Groovy

2005年06月26日 18時16分39秒 | 音楽
Groovy
RED GARLAND
Fantasy/Original Jazz Classics

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◆レッド・ガーランド / グルーヴィー

◆曲目
(01) C Jam Blues (8:15)  (Duke Ellington)
(02) Gone Again (6:40)  (Lewis-Hammer-Hampton)
(03) Will You Still Be Mine? (4:38)  (Dennis-Adair)
(04) Willow Weep For Me (9:29)  (Ann Ronnell)
(05) What Can I Say, Dear (7:08)  (Donaldson-Lyman)
(06) Hey Now (3:39)  (Red Garland)

◆レッド・ガーランド   Red Garland(piano)
 ポール・チェンバース  Paul Chambers(bass)
 アート・テイラー    Arthur Taylor(drums)

◆録音 1956年 5月24日:(6)
    1956年12月14日:(4)(5)
    1957年 8月 9日:(1)(2)(3)

◆ブルージーな演奏で絶大なる人気を誇っているレッド・ガーランドの代名詞となっている作品。特に(1)の演奏には引き込まれてしまいますね。1950年代後半のレッド・ガーランド人気は凄かったそうです。レッド・ガーランドは32歳でマイルス・デイヴィスのクインテットに参加し、マイルスのマラソン・セッションにも参加しています。

えびの素揚げと茄子のぶっかけ(明水亭)

2005年06月25日 17時08分42秒 | うどん
久し振りに明水亭に行ってきました。今回は『えびの素揚げと茄子のぶっかけ』を食べてきました。名前の通りえびとなすなのですが、素揚げのえびはプリプリでほのかに甘みを含み、さっぱりと旨味をしみ出す茄子とのハーモニーが見事に調和しておりました。暑い季節にはピッタリの一品でしょう(^^)v

◆うどん明水亭
  丸亀市垂水町中村956ー2
  営業時間 11:00~20:00
  定休日  月曜日、第2日曜日
  電話   0877-28-9981

双龍居(中華料理)

2005年06月24日 23時18分08秒 | グルメ&お酒
昨日の大阪の夜は、友達と中華料理でした。
天満にある『双龍居』ってお店に行ってきました。総勢10人です。いや~おいしかったです。いままで食べた中華料理の中では一番ではないだろうか(^^)v17品目食べたのでした。

 青菜の強火炒め:青菜のシャキシャキ感が素晴らしい
 豚の耳:とっても柔らかくて美味
 ハチノス:ちょっぴりピリカラで美味
 小龍包:熱々スープが絶品
 玉子焼き:ほんのり甘いチジミみたいな生地と玉子焼きのハーモニーが最高
 金針菜とキュウリの玉子炒め:金針菜ってここでしか食べられないらしい
 湯葉とチンゲン菜炒め:湯葉おいしいよ
 焼き餃子 2種類:ジューシーでカリカリ熱々
 麻婆茄子:ピリ辛だけでなく茄子そのものの旨味も出ています
 海老マヨ:海老がプリプリ
 牛肉の四川風煮込み:超カラです。咳き込まないでください。食べるとそれが病み付きに。
 大海老の豆腐のうま煮:はい~!これもおいしいですよ~。
 海老入り炒飯:スパイシーです。
 ごま団子:熱々のごま団子です
 椰子のミルク菓子:これおいしいよ。
 マンゴープリン:マンゴーの果肉入りです。
 杏仁豆腐:正統派杏仁豆腐です。

 紹興酒 5年もの:これもおいしかったですわ~

どれもこれもおいしかったです。4人いるシェフ総て北京の五つ星シェフだそうです。ほんとうおいしくて、しかも安い。また行きたいお店です。

◆中国食府『双龍居』(そうりゅうきょ)
  大阪市北区池田町10-11 辰巳ビル1F
  営業時間 平日 AM11:00~AM2:00
       日祝 AM11:00~PM12:00
  定休日  第1、3月曜日 祝日の場合は翌日
  電話   06-6358-8808

大阪ブルーノート

2005年06月23日 16時11分29秒 | 音楽
 大阪に出てきたついでに、梅田のハービスPLAZAの大阪ブルーノートの前までやってきました。まあ、昼間ですから営業はしてないです。お上りさん状態ですね(^^;;
 ジャズのはまった人間のミーハー的な行動です(藁)。香川にもこんな施設ができるといいのにな~。ちなみに
6/27・28:鈴木重子
6/29・30:ロッカペラ
6/29:リアルブレンド
6/30:宝船
7/1・2:フライド・ブライド
7/4・5:ロン・カーター・カルテット
等々
大阪の人達はいいな~

照明器具

2005年06月23日 15時53分12秒 | デザイン・グッズ
照明器具メーカーのオーデリックの新商品の展示会に参加するため大阪へと向かいました。わりとよく使ってるメーカーなので皆さん知っていると思いますが。。。。結構オシャレな新製品が沢山ありました。写真はスポットライトの一つですが、結構アンティークメカっぽいイメージでお気に入りになりました。どこかの物件で登場するかもね(^^)v

雑記

2005年06月22日 18時52分07秒 | 日記・雑談
 今日は、叔母の法事で岡山県建部町に行ってきました。今日も一日暑かったですね。わたしの住んでいる香川では、最近雨らしい雨が降っていません。岡山でも同じく雨が降ってないそうですね。なんだか、夏の渇水が。。。。雨は嫌いなのだけど梅雨くらいは降ってくれないと、季節感が出ないですよね。
 法事の昼食は、『慶華園』というところでした。広大な日本庭園や植物園などがありました。地元の食品会社が経営してるそうです。写真は、植物園の中で咲いてた赤い花です。印象に残ったので撮影しました。

 そうそう、お花と言えば、夏の向日葵も大好きだけど、雨の紫陽花もいいですよね。ということで、雨降らないかな~。あっ、明日は大阪出張だから、あさって以降がいいけど。。。

画像撮影2005/06/22 Canon IXY Degital 4.0M

Sonny Clark / Cool Struttin'

2005年06月21日 18時41分50秒 | 音楽
Cool Struttin`
Sonny Clark
Blue Note

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◆ソニー・クラーク / クール・ストラッティン

◆曲目
(01) Cool Struttin' (9:22)  (Sonny Clark)
(02) Blue Minor (10:17)  (Sonny Clark)
(03) Sippin' At Bells (8:17)  (Miles Davis)
(04) Deep Night (9:33)  (Vallee-Henderson)

◆ソニー・クラーク       Sonny Clark(piano)
 アート・ファーマー      Art Farmer(trumpet)
 ジャッキー・マクリーン    Jackie McLean(alto sax)
 ポール・チェンバース     Paul Chambers(bass)
 フィリー・ジョー・ジョーンズ Philly Joe Jones(drums)

◆録音 1958年1月5日

◆日本のジャズ喫茶史上最も多くプレイされたアルバムの一枚だそうです。日本では凄く人気があったのですがアメリカではさほどではなかったそうです。このアルバムは、ソニー・クラークは26歳で3枚目の作品です。カテゴリー的には、ハード・バップ(ファンキー・ジャズ)なのでしょうが、都会的なスマートなイメージも醸し出してますね。惜しむらくは、ソニー・クラークが31歳でこの世を去ってしまったことですね。

ジャズって?その2

2005年06月20日 17時10分50秒 | 音楽
 え~、最近になってジャズを聴き始めたわけです。それまで耳にすることはあったのですが、本格的に聴き始めたのは2年くらい前からかな~。最初に買ったCDは『Jazz Millennium』という、コンピレーションCDです。入門編にしてはよかったかなって思ってます。それからレンタルCDで、コンピレーションものを数枚。。。。『I Love Jazz』シリーズ、『Love Jazz』シリーズです。しばらくは、仕事中や運転中のバックミュージックで聞き流していました。ある時、ジャズってなんだろうって思い始めたのでした。それから、Jazzの歴史とかを読んで行くと、ますます興味が湧いてきたのでした。でも、モダン・ジャズ全盛の時代には生きていなかったわけだし、その後のジャズも本格的に聴いていたわけでもない。しかしジャズの大まかな歴史は知っている。マイルス・デイビス、オーネット・コールマン、ビル・エバンス、ジョン・コルトレーン、ハービー・ハンコック等が新しいジャズを作り上げていたいったのも結果としては知っている。だから、その当時リアルタイムで体験してた人達とはまた違った聞き方や接し方が出来るのではと考え始めてきました。まあ、そういった意味で、ジャズシリーズは続けていこうと思ってます。

「わからない」という方法11

2005年06月18日 21時29分25秒 | 日記・雑談
第3章 なんにも知らないバカはこんなことをする より抜粋
1 基本を知らない困った作家
◆二羽目のウサギ
 「やってみなけりゃわからないこと」はいくらでもある。「セーターの本」を書いていた時にも、「とんでもなくヘンテコリンなウサギ」を捕まえた。「文章に関するウサギ」である。「セーターの編み方」を説明するため、やたらの数の絵を描いた。次はその絵に合わせて、文章による説明を書いた。わかり切ったことの絵を描くことも面倒だったが、文章にいたっては飽きてしまっていた。そんな時、目の前に「とんでもなくへんなウサギ」が突然現れる。
◆写生文のお手本
 そのウサギの名前は、「志賀直哉」というものであった。有名な写生文『城の崎にて』を思い出した。谷崎潤一郎は『文章読本』において《此処には温泉へ湯治に来ている人間が、宿の二階から蜂の死骸を見ている気持ちと、その死骸の様子とが描かれているのですが、それが簡単な言葉で、はっきりと表されています。》と語っている。ここで重要なのは「蜂の死骸を見ている私の気持ち」ではなく「私」に見られている「蜂」なのである。
◆「説明」は作家の基本である
 「対象をきちんと書く」が出来ていなかったら、「それを見る私の気持ち」なんかは伝わない。「説明」は小説の基本で、「説明をする」がすべてでもあるような「実用の文章」なら、これはもっと重要である。
◆「基本」は死なない
 作家になった1970年代の後半、既に「写生文の必要」とか「重要性」は、もう古いものになっていた。重要なのは「新しい感性」で、それは「写生文に頼らない感性」だとういことになっていた。しかし「写生文」とは、「書かれて必要な対象をきちんと書く文章」なのである。「比喩」とか「表現」とか言われるものは、「なにかに仮託して別のなにかを語ること」なのであって、「対象」をきちんと書けなかったら、成り立たない。文章において写生文が重要であることは、一向に変わりがない。
◆「基本」に気がつく
 「説明する」は、作家であることの基本である。「編み方のプロセスを教える絵」は、「城崎温泉の旅館の陰にある蜂の巣」であり「そこをブンブン飛び回る蜂の姿」なのである。これを理解したとき、「単純な説明」を単純なまま書くことが出来た。これが私の捕まえた「二羽目のウサギ」である。
◆困った人と困った時代
 「就職するまで〝働く〟ということを考えたことのない人間」はいくらでもいる。目標は「大学に行く」で、「大学に行けたら就職はできるはず」と考えていた若者達は、バブル以後の不況前まで、いくらでもいた。目的は「就職」であって、その先にある「働く」がまったく見えていない。「就職した以上は仕事もできる」という錯覚に陥る。「できるはず」と思い込んでる人間が壁にぶつかると「自分の無能」を理解せず、「自分を不適合にする状況が悪い」という、とんでもない判断をしてしまう。仕事が「自分のもの」にならないのは、その仕事の中に隠されている「基本」が見えず、マスターできなくなっているからである。教えられた通りのことを教えられた通りにやっていたって、その先はない。薄っぺらな自分が薄っぺらに見た程度のことだけを「仕事」と勘違いしていたら、すぐに壁にぶつかってしまう。ただそればかりのことである。

Miles Davis / Kind Of Blue

2005年06月18日 19時17分14秒 | 音楽
Kind of Blue
Miles Davis
Sony International

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◆マイルス・デイヴィス / カインド・オブ・ブルー

◆曲目
(01) So What (9:22)  (Miles Davis)
(02) Freddie Freeloader (9:46)  (Miles Davis)
(03) Blue In Green (5:37)  (Miles Davis)
(04) All Blues (11:33)  (Miles Davis)
(05) Flamenco Sketches (9:26)  (Miles Davis)
(06) Flamenco Sketches (Alternate Take) (9:32)  (Miles Davis)

◆マイルス・デイヴィス   Miles Davis(Trumpet)
 キャノンボール・アダレイ Julian “Cannonball” Adderley(alto saxophone[except#3])
 ジョン・コルトレーン   John Coltrane(tenor saxophone)
 ウィントン・ケリー    Wynton Kelly(piano[#2])
 ビル・エバンス      Bill Evans(piano[all other])
 ポール・チェンバース   Paul Chambers(bass)
 ジミー・コブ       Jimmy Cobb(drums)

◆録音  01~03:1959年3月2日、 04~06:1959年4月22日
     Columbia 30th Street Studio,New York City

◆50年代末、ジャズの中心的なスタイルであったハード・バップが、一部の先駆的なミュージシャンには、発展性に限界を感じ始めていたようです。マイルス・デイヴィスは、「モード」と呼ばれる新しい音楽理念を導入した。「モード」はこれまでのコード(和音)に基づく即興演奏ではなく、スケール(音階)に基づく即興演奏を特徴とします。この「モード奏法」を取り入れることで、アドリブの発展性は無限に広がって行きました。
 また、このアルバムに参加しているメンバーも凄いですね。キャノンボール・アダレイ、ジョン・コルトレーン、ビル・エバンス等が参加しています。
 ハード・バップとは、表現方法が両極端に違う「モード」は当時はかなりの衝撃があったのではないだろうか。

「わからない」という方法10

2005年06月18日 07時31分14秒 | 日記・雑談
第二章 「わからない」という方法 より抜粋
4 「わかる」と「生きる」
◆「学ぶ」とは「真似る」である
 「習う」は「倣う」であって、その根本は「真似る」である。「学ぶ」も、その元は「まねぶ」で、「真似る」である。学習の根本にあるものは、「教師となる人のあり方を真似すること」である。教える側の教師には、その教師個人のクセがある。教師の体質が、教えられる生徒の体質と合致するかどうかはわからない。しかし、学ぶ側の生徒は、その初めにおいて、自分とは関係のない「教師のクセ」を、なんらかの形で共有しなければならない。それが「真似る=学ぶ」である。初めにマスターするのは教師である「他人のやり方」である。その後学ぶ側の人間は、自分の特性に見合ったものとしてかえていかなければならない。すなわち、「学ぶ」とは、「師」となった他人の人生と、自分の生き方を一致させることであり、「わかる」とは、その一致からはずれるような形で存在している「自分自身のあり方」を理解することなのである。「学ぶことのうっとうしさ」も、そこから生まれる。
◆「教育の崩壊」はなぜ起こるのか
「学ぶ」とは、教える側の持つ「生き方」の強制なのである。「その生き方がいやだ」と思われてしまったら、その教育は崩壊する。学ぶ側は、手っ取り早くノウハウだけを学びたい。抽出されたノウハウは、既にはっきりしているー「いい加減でいい」である。「初めはいい加減でもいい。慣れればなんとかなる。まず慣れることである。」ということは、すべてにわたっての根本原則のようなものである。ただゴールを明確に規定していないと「いい加減」は野放しになってしまう。