太平洋戦争が始まったころ、全国に460基ほどあったと記録に残る「ラヂオ塔」。正式には「公衆用聴取施設」と呼ぶそうです。大正14年(1925)NHKの前身の東京放送局がラジオ放送を始めた。高級品だったラジオを普及させようと、公園や神社の境内にラジオ塔の建立を構想し、全国に設置していったそうです。街頭TVならず街頭ラジオのようなものなんだと思います。20数基が現存しているようで、明石に残るものは、国の有形文化財に登録されています。
明石港の風景というタイトルでブログ書いてますが、正確には明石港から見える風景です。明石港に覆いかぶさる防波堤状の敷地に建つマンション群です。多分、各部屋からは綺麗な瀬戸内科の風景を望めるのだろうなって思いますが、個人的には海際は怖いな~って思ってしまいます。でも、都会的な風景は好きです。
「玉子焼き」は、鶏卵、沈粉(じんこ)と呼ばれる小麦でんぷん、小麦粉、タコを材料につくられ、見た目はたこ焼き状に仕上がっているの食べ物です。板の上に並べられて提供され、出汁に浸して食べます。明石周辺以外の地では、卵焼きとの混同を避けるため、発祥の地が明石市であることから、「明石焼き」と呼ばれています。鶏卵を多量に使うため色味が黄色く、小麦粉以外に小麦でんぷんの粉(浮粉・沈粉)を使うので、生地が非常にやわらかく仕上がっています。具材はタコのみになります。焼き鍋は、熱伝導率の高い銅製になります。明石焼きは、結構全国どこでも提供しているお店はあるのですが、発祥の地である「明石市」で食べると、やっぱ違います。ほんと美味しい。下の写真は、明石駅近くの「お好み焼道場」でいただいたものになります。
ちなみに、玉子焼きは「たこ焼き」のルーツともいわれているようです。玉子焼きのルーツは、江戸末期頃まで遡るようで、もともと明石の重要産業の一つに「明石玉」というのがありました。明石玉は、卵の白身を接着剤として硝石などを固めて作られた模造サンゴのことで、かんざしなどの装飾品に使われていました。その製造過程で発生する大量の卵の黄身に小麦粉や明石産のタコを入れて作られたのが「玉子焼き」のはじまりだという説があるようです。真偽のほどはわかりませんが、江戸末期頃からは食べられていたようです。
ちなみに、玉子焼きは「たこ焼き」のルーツともいわれているようです。玉子焼きのルーツは、江戸末期頃まで遡るようで、もともと明石の重要産業の一つに「明石玉」というのがありました。明石玉は、卵の白身を接着剤として硝石などを固めて作られた模造サンゴのことで、かんざしなどの装飾品に使われていました。その製造過程で発生する大量の卵の黄身に小麦粉や明石産のタコを入れて作られたのが「玉子焼き」のはじまりだという説があるようです。真偽のほどはわかりませんが、江戸末期頃からは食べられていたようです。
所在地:兵庫県明石市大明石町1丁目6−1 パピオスあかし 1階
明石市立天文科学館から見た明石海峡大橋。瀬戸大橋は、橋が連なる美しさが魅力ですが、こちらは単体の吊り橋のみでもその迫力は見事なものです。
明石市立天文科学館のプラネタリウムを鑑賞してきました。上映されてる映像は撮影できませんが、投影機の撮影は出来るのでパチリとしてきました。なかなかの迫力です。
明石市立天文科学館は明石市にある「時と宇宙」をテーマとした博物館です。昭和35年(1960)の開館になります。日本に現存する天文科学館の中では、最初に竣工した館になります。平成7年(1995)の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けましたが、平成10年(1998)に新装開館しています。平成22年(2010)に国の有形文化財に登録されています。
所在地:兵庫県明石市人丸町2-6
明石市街地と淡路をつないでいた「たこフェリー」が廃止されたのが平成24年(2012)になります。明石海峡大橋を通行できない125cc以下の小型バイクには重宝されていました。結果、125cc以下の小型バイクの輸送手段がとぎれていましたが、平成27年(2015)から新造船「まりん・あわじ」が新たに就航し、バイク問題が解決されています。明石~岩屋間を13分でつないでいます。船体に施されているイラストもタコ単体からタコやタイを中心にした賑やかなものとなっています。
明石港がつくられたのは元和7年(1621)になるそうです。当時の藩主は小笠原忠政になります。寛永年間(1624~44)頃、港の入口にあたる波門崎に石壁を築いて港を改修しています。旧波門崎燈籠堂(明石港旧灯台)が造られたのは、明暦3年(1657)頃で、藩主は松平忠国になります。現存する日本の旧灯台のうち設置年代は2番目に古いとされ、明石市指定文化財にもなっています。昭和38年(1963)まで、現役の灯台として利用されていたようです。現在は明石港の歴史を語るシンボルとしてランドマークとなっています。
所在地:明石市港町2-9
明石港旧灯台西側の小さな港「明石港中外港」です。本港は淡路島とつながるジェノバラインが発着するメインの港になるのですが、こちらはのんびりとした穏やかな港です。個人的には好きな風景です。写真中央奥に見えるのが、明石港中外港南防波堤灯台になります。
祇園祭の間(正確に言うと7月17日の神幸祭から24日の還幸祭までの間)八坂神社からの神輿が「八坂神社御旅所(西御殿)」に渡御するそうです。地下鉄の四条駅まで歩いてたら偶然前を通りました。想像もしてなかったので、なんかちょっと嬉しい。初めての祇園祭になりました。
庄原市内を走ってるときお昼時だったので、比婆牛を食べようと思い、グーグルマップで検索して出てきた『お食事処 味久良』に立ち寄ってみました。何を食べようか迷いましたが「比婆牛ばら焼肉丼」をチョイス。中央にのっている卵は「もみじ卵」になります。肉がとてもやわらかくて美味しい焼肉丼でした。混んでるのもわかる気がしました。また行きたいと思いましたが、果たして行く機会に巡り合えるか。。。です。
お食事処 味久良
所在地:広島県庄原市殿垣内町183−2
所在地:広島県庄原市殿垣内町183−2
普段は天ぷらひとつだけど、ちょっと豪華にふたつのっけてみました。天ぷらは「ちくわ」と「ししゃも」です。ししゃもって珍しいですよね。
「三次もののけミュージアム」では、現在「もののけ大冒険~妖怪と出あう夏休み~」の企画展が行われています。内部の撮影OKだったので、何枚かパチリとしてきました。その中の一枚、人魚の骨格ミイラです。もちろんフェイクの造形物です。いまだと、フェイク画像や動画の類なのでしょうけど、かなり精巧につくられているので、情報が限られてる中で、もののけの存在が信じられていた時代だと、かなりインパクトのあるものなんだと思いました。実際、かなりの衝撃を受けましたよ(^^;;
鵜飼といえば長良川っていうイメージだったのですが、三次の鵜飼も450年の歴史を持つ「広島県無形民俗文化財」だったのですね。車で走ってたら、鵜飼の看板が見かけたので、夜になって川の方へ出かけてみました。多分、漁師さんが持っている灯りは、LED何だろうと思うけど、初めて目にする鵜飼でした。橋の上からの撮影なのと、結構な暗闇なので肝心の鵜は写ってませんが、確かに鵜が漁をしてました。
三次市のご当地グルメ『三次唐麺焼』の始まりは平成24年(2012)になります。三次市に本社がある毛利醸造社の一般販売されていない「カープソース辛口」と、三次市で古くから創業されている江草製麺の「唐麺」を組み合わせた「広島風お好み焼き」が『三次唐麺焼』なんです。三次駅近くの「たむ商店 三次駅前総本店」でいただきました。結構辛味があり、普段食べてる広島焼きとは一風変わってて、美味しかったです。