歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

双腕ロボットについて、勝手な推測。(サイエンスZERO)

2013年12月15日 23時48分41秒 | 日記

サイエンスZEROで双腕ロボットを取り上げていた。

見た限りにおいては、ロボット自身は変わっていない。双腕ロボットが出てきたのは10年も前か?その価値を誰も理解しなかったので、今になるまで出てこなかった。

実は、こんな事ぐらい簡単だろう?と言うのが結構難しい。例えば、その中で出てきた協調制御と言う問題があった。これは何故そうなのか?

テレビで解説していたが、実は、ロボットの動作は回転運動の積み重ねで出来ている。それを制御するのがロボットの制御回路で、結局直線運動を指示しても、円運動の重ね合わせとなり、結局細かい振動が出てくるのだ。

また2台のロボットでも双腕ロボットの様な動きになるはずだが、実際には基礎土台の踏ん張りや引っ張りの力がかかると、歪が発生するので、それで相対位置が崩れてしまう。実はアームの相対位置が1mmずれると硬いものなら数百キログラムの力がかかるのである。

そこで強調制御となるのだろうが、この協調制御は一方のアームがマスターで、もう一方がスレーブだろうと思われる。それは回してはめ込む作業を見ると、一方の手は固定されもう一方が微調整をしている。移動するときは、固定されている手が先に動き、残りの手が相対位置を調整しながら進むのであろう。

また、画像を見ている目の働きについても、大部オミットしている。画像処理の方法論についてはCQ出版やオーム社で出されている画像処理をやるソフトが実に細かくソフトがすぐに実験できる程度に書かれて出版していた事を指摘しない。

実は、こう言った簡単なサンプルを作れると言う事が極めて重要な事は私は知っていたし、ソフト関係者も知っていた。だが、それがナカナカ出てこないのが現実だったのだ。

何しろ研究者は自分の研究で分かれば良いと、細かい点についてソフトを実演する事は少ない。それは実際にその手のプログラムとか制御の昔の本は、計算式とか、アルゴリズムは書いても、細かいソフトは書かなかったのだ。

それが近年細かい最新のプログラム言語で書いて出すものが増えた事を何故サイエンスZEROは指摘しないのか?と私は思うのである。

完成したものをドンと見せて「ほら、日本は凄いだろう?!」と自慢する姿はチョングソか虫獄か?と思わせる。低能化が進むNHK教育的無いテレビの正体を見せた姿であろう。

実は、協調制御もそうなのだが、目の技術が進み、特に今トランジスタ技術やインターフェースは、この間のロボットバトルでも出た人体動作分析3DカメラKINECTの特集をやっており、実は東工大は、この記事を見て使ったのだ。

正直、余計な機能だとは思ったが。

事ほど左様に、実用化にはサンプルを制作する事が大事で、その為の実用的なおもちゃを作ることが製品開発の先手を取ると言う事は、頭の悪くて悪くてしょうがない島耕作の湧いて出る外道の最果てパナソニックの糞馬鹿は理解しない。

また技術者をオタクとほざいて本田宗一郎とは違い技術者の声を黙らせる馬鹿文科系大学出の糞馬鹿の糞臭い地獄ルネサスでは全く理解しないだろう。その結果H8で作った下からの需要を完全に否定したのである。

つまりサイエンスZEROもパナソニックもルネサスも馬鹿文科系大学出の糞馬鹿品性で今後の日本のモノづくりを根底から破壊する事は確実なのである。

今、センサレス、ブラシレスモーターの実演回路が色々出ており、その最先鋒なのがマイクロチップなのである。一万円を切るセットはあっという間に売れてしまった。コレに対して馬鹿文科系大学出の糞馬鹿の「おら、オタクども売ってやる」と言わんばかりのセットは数万円もする。

双腕ロボットなどの技術的進歩を今走っているが、その先は何ともおぼつかない。何故か?

サンプルとなる技術は、特徴的なチップを作るメーカーが応用で使うのが結構知られており、センサーを作る事が重要となる。そして、その応用を使うのである。この辺を馬鹿文科系大学出の島耕作クズレはレイプ以外何も出来ない。下衆な行動しか出来ない。パナソニックそのものである。

実は、この方面で結構やってくれるのがシャープだった。そしてオムロンである。また、何処だっけ?秋月でよく出しているメーカーがあるんだけど、そこの独壇場で、結構少ない。アナログデバイセズのADXLという加速度センサーはアナログデバイセズでは珍しいほどのものだ。

そんな感じで、今出来ている事は、人の技術の後を追って、その結果馴れて使うように成ったに過ぎない。その結果である。別に日本だけが凄いと言うわけではない。良い本が出て良いサンプルが出たからなのだ。そして、それを出している本屋さんとか研究者にバックする金を島耕作だから徹底的に無視する。その結果、次の矢は出てこない。

当たり前だ!ばぁ~か馬鹿馬鹿馬鹿文科系大学出!

今、世界はトランジスタ技術の特集でもあったようにAVRのArduinoとARMのmbedが2大勢力である。簡単なプログラムで色々なサンプルが作れるのである。これは本来日本がやっていたのである。だが、結局島耕作のような馬鹿が幅を利かせたので、結局口先だけの利口猿(松下幸之助)の様なゲス外道のパーのクズのレイプ魔の扇動する馬鹿の集団となったのだ。

誰も日本のマイコンなんて使おうとは思わない。当たり前だ。島耕作の腐臭の漂うようなチップを誰が使う!

またロボットがココまで制御性を挙げた理由はコントローラーを一つにしただけではなく、機能を増やしたからだろう。それは単にプログラムを書き換えただけではなく、チップのアーキテクチャーを書き換える事ができたからだろう。つまり日本が製造を放棄したFPGAを使った可能性が高い。最近はARMプロセッサを複数台内蔵した奴が出てきている。

もうRXなんかのルネサスのチップなんて誰が使うか!?

私は目障りだからパナソニックなんぞ無くなった方が国の為だろう。それよりもシャープのマシな所は伸ばしたほうが良いと思う。まぁ姿見ディスプレイに嵌っている奴は論外だが。

こんな感じでサイエンスZEROの開発できた根底を無視した結果賞賛の、最早報道とは呼べない提灯番組なんぞ、全く恥かしいばかりだ。ガリレオXや夢の扉の方がまだマシだ。十分立派だ。知ったかぶりのおっさんと、キャァキャァ騒ぐねぇちゃんには飽き飽きだ。無論勘違いした博士課程を出たねぇちゃんもだが。

今出来たものを見てキャァキャァ騒ぐ時点でサイエンスZEROは終わりに近づいているのではないだろうか?嘗てはワンセグの携帯端末の開発状況を先取りして見せていた。また、瑣末で、何処で使うのか?だが意外な技術についても伝えていた。しかし、どうもトンスル臭のする汚い世界になっているようだ。

トランジスタ技術が実に薄くなっているのを見て、不憫に思う昨今である。小泉や安倍の糞政策でぼろ儲けを当然とする糞ゲスが増えれば増えるほど、昨日の本田宗一郎を持ち上げる番組がやたらと何度も出てくる。それは、そんな企業が無いからだ。少なくとも大企業は、ゲスのカスの外道のレイプ野郎の集まりだろう。まるで島耕作の漫画の中の様に。

私は「エリートさん」には何も話したくは無い。反吐が出るような話ばかりだろうだから。

私は結構タモリクラブのオーディオオタクとか、役に立たない機械を作る事を競う大会とか、自分が練った最強のコンクリートとかの大会をやる方がよっぽど教育的であり、為になると思う。

そういう意味でサイエンスZEROは「有害番組」にありつつある。


安堂ロイド最終回の柴崎コウを見て思う。歳取ったな…

2013年12月15日 22時27分51秒 | 日記

キムタクの「オーラ無くなった」コールが多くて、辟易した。

だけど、そんなに悪い出来かな?

まぁビデオエンジニアにサイエンス・エフェクトを一任して、これが「金がかかっていない」と言うのが見え見えで、その辺が興ざめだった。

木村にしては台詞が単調なのを体の動きで、補っているのが見えて「打ち身が酷かっただろう」と思うばかりで、そんなの週刊誌の嫌な馬鹿女は見ないんだろうな?と思う。

キムタクの酷いドラマは「エンジン」とか「月の恋人」とか色々あった。南極大陸も最初だけが良くて後は「泣いて耐えるばかり」と言う芸の無さに演出の不足を感じてしまう。それはTBSにしてもフジにしてもそうである。

木村拓哉の傑作と言えば私的には「GoodLuck」「Hero」「Change」でしょうか?

そんな中勘定の演技は柴崎コウに任される感じであったが、柴崎コウの小皺の多さが目に付いた。

大体こんなバタ臭い顔で、痩せていると、こうなるものだと思った。最近、化粧品が良いのがあるから、もっと良く使えばいいのに?とは土屋アンナと同じく「美人を浪費している」と思う昨今です。

柴崎コウは出た時から「とんでもない美人」と思っていたのだが、それ以上にビックリしたのは「作詞家」としての柴崎コウだった。「世界の中心で愛を叫ぶ」の主題歌「かたちあるもの」は歌っているのが柴崎コウで、作詞は「中島みゆき」でもしたんだろう?と思った。

あの何とも滑らかに格調のある言葉で切なさを描く技量は、ティーンエイジャーのそれではない。はっきり言えば荒井由美よりもずば抜けている印象がある。

それなのに柴崎コウの出番は少ないように見える。ああ見えて、エコに五月蝿いし、つましくて、ゴージャスなのは結構嫌いだし、料理は上手だとのお話だし、本当に普通といえば普通の女の人であると思うし、それは周囲の人も言っているし、本人もそう言っている。

この逆なのはベッキーだと思う。この子も柴崎的な顔つきだが、やたらと頑張って露出も多いし、歌も歌詞を作るのだが、正直、貧弱である。これは何とも残酷なのだが、柴崎の「かたちあるもの」を越える歌詞は永遠に出てこないだろう。

考え方と言うか頭の構造がまるで違うとしか言いようが無い。「かたちあるもの」を聞くと、人間本体としてはなんて事の無いゴージャスな顔をしたおねぇちゃんが書いたとは到底思えない内容だとつくづく思う。

彼女がベッキーと違う生活をしていたとは到底思えない。どちらかと言うとベッキーの方が素養があるのかもしれないと思えるほどの生活だが、やっぱり柴崎の歌詞は超然と立っている。

私は中島みゆきの歌が好きだが、最近の中島みゆきよりも柴崎コウの方が優れている。多分搾り取るような思いで柴崎は書いていないだろうが、それでも良いものはできるのである。

自然体で、美人で、スタイルも悪くは無いし、性格も良く、健康で、友達も多くて良い人だ。友達を見ると、この世代にしては、垢抜けていない。柴崎は頭抜けて綺麗だった。それを一番否定するのは彼女だが、それが嫌味なぐらい美人なのである。

最近思うのは「美人を無駄に使う」とは、人が生物である事を忘れてしまい、何か精神の世界を追い求めすぎる結果、時を逸する感じがする。美人はやっぱり子供を作らなきゃと思うのである。

綺麗な人で家庭的な人が、結構一人で、死んでいくのを見ると、所詮動物、DNAを残す事は必要だと思うのだ。素晴らしい言葉をつむぐ人なのだが、人としてのルーティーンはやらないと、後で愚かさを身に染みる事が出てくる。

私自身がそうだから、綺麗で良い人には悪い結果になって欲しくないとつくづく思うのだ。

柴崎コウもベッキーもともすれば、一生懸命が祟って、後の人生で後悔を残さないか?大原麗子がギランバレー症候群で無様な死に方をしてしまった。あれほど綺麗で、陽気な人が「誰か私を助けてよ」とインターホン越しに泣き叫んでいた。

ゴシップ好きの芸能レポーターもただの人になって助けたいと思うほどだ。だが、助けられるのは「かたちある肉親」でしかないのだ。それほど肉親は「勝手にして」と言う本人の意向を無視して「入り込む権利」を持っている。

ありえないだろうが、もし柴崎コウに会う事があったら「アンタはいい加減歳だ!多少悪い男とでも良いから、元気で、馬鹿といえない程度の子供をさっさと作れ」と「余計なお世話」を言うだろう。

今日の安堂ロイドで泣く演技が「さほど、上手い」とは思えないので、女優業は、それ程続かないだろうから…って、福山と話が出ないね?あれ、結構好きだと思うんだけどなぁ~。柴崎の事。と勝手に思う私です。

前福山雅治と噂になって潰れた内田由紀も真面目で一生懸命な女の子だった。だから演劇に没頭したのだろうが、こう言う子に子どもを作るのは、結構力技でやらないといけないんだろうな?結局、内田由紀も、悪くない存念と品性の結果「美人を無駄に使う」事だろう。

彼女らは、子供が可愛い事を忘れてはいないか?私はこの歳になって、姪や甥が出てきて、可愛くて仕方ない。従妹の子は黒人との合いの子で、本当に黒人であるが、やっぱり可愛くて可愛くて、多分一番可愛いんではないかと思うぐらい可愛い。

「小さくまとまるなよ!」とロックのカリスマは言うのだが、女の子はまとまっても良いんじゃないんでしょうか?と思う。

最近一番の時間の無駄な使い方としては、何を考えているのか分からない子供の心を想像する事である。完全な独り相撲だ。

所詮人は、成り成りて成り余る奴と成り成りて成り合わぬ者しかいないのだから、成り合わせる運命なのであろう。美人なんだから、なり合わせるのはいいんじゃないのだろうかとつくづく思うのであります。

もう私は子供を生ませるほど精子もないし、私が、と言う事も無い。だから、女の人と話すのに気負いが無くて、今結構話せています。

柴崎さんの可愛い子が早く見たい、余計なお世話の他人の寝言でした。

ああ、それとベッキーも元気元気で健全なだけでは、人生の喜びを結構知らないですごすと思う。

何故か?私がソープランドのおねぇちゃんが私のテクニックで「初めての体験」を「処女喪失」以降したと言う人が両手の指の数だけいますので、勘違いした力技の馬鹿が多い芸能界では、さぞや下手が多いだろうと思うのです。

そんな女の子を行かせるテクニックの私は結構息子が気持ちよくならないもので、最近エッチを1年以上していない。そんな私が女の人と一番気持ちが良い行為は?と聞かれると「裸で抱き合う」と答えます。

性的な衝動がなくなると、結局、人間をそのもの受け入れると言う事が一番なのかもしれないと今になって思う私です。まぁ今は枕しか抱けませんが。

そうなっちゃ駄目だよ。やっぱり。

早く死にたいね。まったく。