人形と言うと雛人形や五月人形と思う向きも居るだろうが人形はこけしや、その類の木片が人形だったりする。
何気なく人に見える木片が人形だったのである。だが、これは世の東西を問わないようである。
出来損ないの薪ほど、人形に代わりやすい。そう言う意味で出来損ないを駄目と称する今の「経団連の根絶やし品性」は日本文化と何より合わないのだろう。
人形は農家では藁人形で、無論呪いに使うものではない。案山子を作った技術は人形にも使われている。それ以外にも子供用の人形を作っている。
日本では往々にして、貧相な造形が広く広まっている。一方で手遊び(てすさび)と言う大工の腕を見せる為の遊びが結構広まっており、これは奈良時代の建築から存在している。これは通常の木組みでは到底出来ない構造をやって見せるのである。
これが手本となり、どうすれば「有り得ない構造を構成できるか?」と言うものが各所の名建築の中に散りばめられており、それを解く事が大工の力を磨く原動力となった。それは到底南大門を無様修理をして他人の所為にするウンコ野郎には出来ないものだった。
この人形作りでは大量産をしたのが江戸時代貧民救済難民救済に走り回った「円空」坊の円空佛である。この円空佛は日本中に広まっており、ノミで荒く削っただけの仏像は、出来の悪い木片からインスピレーションを得て、早々に作り上げるもので、なるべく心の支えとなるべく作り上げられた仏像である。
これ以外でも、地元の色々な人々が手づから刻んだ仏像を刻む一方で人形を作っている。ある時は木で、ある時は竹で、ある時は陶器で、ある時は紙で、ある時は藁で、自由自在に、様々なものを使って。
そこには今馬鹿文科系大学出の「何々だったら、これに決まっているでしょう」と言う馬鹿の決め付けは無い。それが自由で柔軟な人形文化を作り上げたのだ。
近年、草鞋の製作マニュアルがPDF化されて、ネットにあった。それを見ると東北の流儀だそうで、藁沓も様々な様式があったらしい。
驚いた事に藁長靴は、ブーツの様に履くのではなく、実は藁縄で固定するようになっていたのである。
それらも今となっては散逸しているのである。
藁の文化は、本当に色々あって自由自在で凄いものだった。
またチョングソは通信使が着てから毎度毎度「日本の水車は凄いニダダニニダ、ウリも捏造するニダ」とほざいていたが、そんな寝言をほざいている間にパクレず国が滅んだ。
この水車は専用の大工が居て、この様なものを作ったのだが、最終的には三連水車のように驚くような凄いものまで作るようになった。これもよく知らないのだが大工がするようなものとは思えないのである。
水車もそうだし、大八車の車輪もそうだし、桶もそうなのだが、日本は回転体をろくろで作る事は珍しいようで、水車も線引きはコンパスのような道具を使うのだが、バラバラに作り上げ、最後に組んでから微調整をするのである。この辺の技も、驚きなのだが、大体、自分達で作り上げる。
思えば、この手の組み文化は虫獄では余り見られない。
思えば虫獄では早々から「金属文化」が多く、鼎や鍋、皿などは陶器もあるが、金属製のものも多い。またお椀などの削りモノも多いが、組み物は少ない。
この組み物の中で意外なものが、桶を組む時、鉋を寝かせるのではなく、ドンと大きな鉋を水平にして、それに対して削られる木を傾けて削るのである。この水平に置かれた鉋の事を「正直」と言う。
語源をご存知だろうか?
って事で、色々なものを色々な形で使い作り想像する。その文化は、決まりきった見方をする馬鹿文科系大学出の低能名決め付けではないのである。
経団連のように固まりきった柔軟性の無い思考で根絶やし品性を振りまいている馬鹿ではなかったのである。その馬鹿な無様な姿は一万円を見るとそのオリジナルが見える。
今ふざけた諭吉を賞賛する声は国内のキチガイだけである。海外では「良くある勘違いした欲ボケ」である。
それよりも、ふざけた諭吉の嫌悪したものに世界は恋焦がれている。慶応はその名前を出さない方がいいだろう、所詮馬鹿で下衆で低能であることは竹中平蔵が証明して周知徹底している。
日本の未来を輝かしいものにするにはふざけた諭吉醜のするものを抹殺するのが一番だろう。慶応を丸ごと皆殺しというのも良いだろう。今まで卒業生の「行状」を並べ立てると丸ごと皆殺しでも世界は納得してくれるだろう。それにしても、2012年の現役性が30億の詐欺をしたのはどうなった?毎年毎年どうして、そう現役性が「経済犯罪」をするのか?何故止められないのか?全く分からない。
それとも経団連のゴキブリは分かるのか?
毎度思う、エリートとはなんなのか?と慶応がエリートとホザク馬鹿が居る。もしそれが正しいならエリートとは限りなく詐欺師に近いのである。
硬直した馬鹿、下衆と違い、日本の底辺から豊かな文化は、本当に世界が認める暖かさと優しさに満ちており、様々な未来が見える。何より、チョングソのように修復しようとしてボロボロにするゴキブリと違い、世界の修復をするのに日本文化の製品が必要なのである。
無論馬鹿文科系大学出はそんな事も分からない。
まとめてチョングソにくれてやりたい。。。。