私は毎度、腹の立つ言葉がある。
それや「優秀」と言う言葉を人に付けることだ。
だが、どんな優秀な奴が居ても上司が「馬鹿」なら役に立たない。
実際仕事上色々な事を認めると言う存在がないと、その素晴らしい発想は生かせない。
先ずもって「優秀」とは「何の何処がどうなっているのか?」を示すものが無い。
「優秀」とは「観念的な言葉」であり、指標化されない言葉だ。
だが、頭の悪い馬鹿文科系大学出は、この言葉を使いたがる。
例えば頭の悪い馬鹿文科系大学出はDNAさえあれば生物は作れると思っているなら間違いだ。
これはゲラー博士にも言いたいのだが、早稲田大学の池田教授(ほんまでっかTVに出ている)が週刊朝日に連載していた時、細胞の全てを刷新し、DNAも合成して入れても、人間が作った細胞から生物は発生しないのだそうである。
遺伝子組み換えは出来ても、0の状態では、たった一個の細胞すらも作っていない。
また初めてのクローン羊ドリー以降、クローンが提供できるのはオリジナルより劣った生物なのである。
「ヘーフリックの限界」という言葉がある。これはエヴァンゲリオンの中でゼルエルと戦った後に出てきた言葉だが、これは細胞分裂が行われる限界が50回から60回の間で、それ以上は癌化するか、細胞が分裂しないと言う事なのである。
これは細胞内のテロメアが細胞分裂する度に数を減らす事から、それを増やせばいいと、テロメアを増やす酵素を造ったら、ある程度は伸びるようになった。
このテロメアを増やす酵素は、実は癌細胞の仲に既に存在するものである。
そんな遺伝子的に考えると、生まれる子供は劣化した人間のチョット代わったコピーだとすれば、その命は、年代を経る毎に短くなる筈である。
それがコピー羊ドリーが言うものである。
ところが、子供の細胞は綺麗さっぱり刷新されているのである。
遺伝病の場合は仕方ないが、しかし、細胞分裂活性は綺麗に直っている。
今生命科学と呼ばれているものは生きているものを、ああしたり、こうしたりして、変容させて道具として使っているだけだ。
全く0のものから命を生み出すものは、細胞一つにしても成功していない。
もう一方で、先ほどテロメアが細胞分裂活性に影響があると言ったが、果たして、1950年代に無限細胞というものをアメリカ医学会が探していた。
それは無限に増殖する細胞である。
最初癌細胞を幾つか選んで増殖させたが、それらの殆どは死亡した。
例外は1つだけである。
それがヒーラー細胞、ヘンリエッタ・ラックスという黒人女性の乳癌の細胞である。
このヒーラー細胞は50年の時を経ても活性に一切衰えを見せないで同じ性質を維持する人の細胞として医学会で使われている。
ポリオワクチンの効果を見るキットに、その細胞が使われているのだ。
赤ちゃんの細胞の活性とヒーラー細胞の活性は医学の魔法の中で際立つものである。
この問題は全く解決の糸口が見つからない。
ここに神を見るのである。
また人間にしても生物にしても、どん詰まりの状況があるが、今の所生き延びてきていて、今の地球がある。
46億年の間3回は凍結してしまい、何回かの生物の大絶滅と、近くがひっくり返るスーパープルームを何回か経験して今に至る。
偶然といえば偶然であるが、こんな危ない綱渡りで今に至る地球をどう見るのか?である。
まだ人は、人のレベルの存在でしかなく、また一番悪いのは、金と言う道具だけが最近妙に増殖しており「欲」と言う一番の精神の害毒が蔓延している。
これが悪魔だろう。
今もっとも投資が盛んな産業は生物産業である。
そして必死に蛋白質を合成している。これも生物ではない。
だが、もう一方で、その蛋白質が100%の死亡率の病気を起こしている可能性もまだ分かっていない。
つまり狂牛病であり、CJD病である。
狂牛病は元々羊の病「スクレイピー」が原因とも言われ、一時期、ゴキブリの集団フリーメーソンが羊を牛に食わせ、そのスクレイピーを牛に感染させたと言う。
更に、フリーメーソンが低能のキチガイなのは、肉骨粉を牛に食わせた事である。
これもユダヤ・フリーメーソンの利口だろう。
だが、この馬鹿どもは私も知っている医学的なことは知らないのだろう。
所詮は人ではなくゴキブリの類である。
食人の風習のある所では、実は狂牛病のようなプリオンを脳に発生させる病気となる。
パプアニューギニアのそれはクーリー病と呼ばれている。
頭の悪いフリーメーソン・ユダヤは、この肉骨粉の使用停止を最後の最後まで否定したが結局馬鹿が馬鹿であるレベルを上げただけだった。
我々は生命どころか、蛋白質やアミノ酸の効果も把握しては居ない。
都合の悪い事は隠して「欲」と言う病気を悪化させつつ、神の深遠の領域を無邪気にぶち壊して、制御不能な状態を作る。
アメリカは1978年、トウモロコシの70%を一気に全滅させた「ゴマ枯れ病」で痛い目を見たはずなのに、それでも妙な形質を入れ続けている。
耐モンサント代謝特性、耐虫性忌避物質、これらは、既に自然の中にばら撒かれた。
更には、蟻や蜂、蝿に徹底的に強力な殺傷効果のあるニコチノイド系殺虫剤は、死亡率100%に近いものであり、このお陰で、受粉による被子植物の全滅を起こしかねないところまで来ている。
頭の悪い馬鹿女は「全ての領域に好き勝手にしていい」とほざいたが、その結果が、どうなっているのか?
分数の計算も出来ない法政では、それで有頂天が可能だが、世の中には分数の計算が簡単に出来る人間も居るのだ。
最近、絶望的な状態を見た時に只一つの慰めとは、それは子供だろうと思う。
可能性・未来・生命全てを体現している、この世に生まれた只それだけが嬉しい、嬉しいとハシャグ子供こそ、神だと思う。
いや神と共にあるのだと思う。
そしてもう一つ。
偉そうに宗教とホザクイスラムもキリストもユダヤも、揃いも揃って自然破壊のための宗教である。
実際連中の活動が広がると不毛の台地が増える。
私は「砂漠宗教」と呼んでいる。
そして、この連中の頭の中には植林と言う考え方が無い。
まるで宗教の教義でやってはいけないとでもかかれているかのようだ。
ユダヤ・フリーメーソンのキチガイどもは、木の遺伝子には手をつけていない。
所詮悪魔の低能は分からないのだろう。
そして森と自然と水の関係は安田先生の水と木の話に集約される。
この自然も神だ。
神とは、生き物と共に在り、互いに影響し合って、均衡を得る存在なのだと思う。
そして、それは人の形をしているとは限らず、形すら持たないもの、そんな考え方は「砂漠の欲まみれの宗教」とやらには存在しないが、日本には居る。
いや「おわす」
その名を「すくな彦の命」である。
ここの命が神の名を現す点にも神道の精神がある。
そん所そこらの、御都合主義の宗教とは質が違うのだよ質が。。。。。。。。。。。。。。