辻仁成の原作で映画化されたものとして「ほとけ」というのがある。
いい加減な記憶だけど、何故か海中にあった仏に魅せられて、引き上げて修復する男の話だったのだが、私も暇な時に適当小説を考えるのだが、
最近テーマとして、仏教とか、昔の葬式、墓地、仏教の経典の中身とか、まぁ色々です。
結構、仏教も古いが、仏教は庶民の人々と基本的に関係無かった。
あれは朝廷などの貴族か、後の武家の為で、庶民の生活と乖離していた。
それが変わったのは先ず弘法大志の四国に於ける布教と土木事業、その後親鸞などの民間宗教としての仏教が出てきたのだけど、江戸の回向院が出来る前は、行き倒れの野ざらしは放って置かれました。
野ざらしは「山上たつひこ」の漫画じゃなくて、行き倒れの人がそのまま死んで腐敗して骨になるのが路上に晒されているもので、江戸時代の初期まで、こんなものでした。
いざ江戸時代の状態とか平安時代の状態とかを絵で見ると、全く違います。大体墓石自身が、こう色々霊園を整備するのは珍しいものだった。
家の田舎の祖母の最初入っていた墓は、早世した祖父の時の墓石で、本当に見てくれは大した事はないけど、出来の良すぎる、後のおじさんが入る墓は立派すぎて、自分たち自身が「えらーまー立派な墓なこと!肩身の狭い感じがするよ」と言うほどでした。
その前の墓自身はないので、九州北部の墓に墓石を使うのは昭和以前では珍しい感じです。
何故か?墓石が高いのね。切るのも材料費も、刻印も。
これも隠れた不動産で墓石屋と不動産屋と寺がタイアップして、色々儲けているようで、そりゃぁそりゃぁスゴイものです。
但し土地が余裕のある田舎に限りますが。
時代劇って奴は、本当に現代の都合に合わせた話で、基本的に本当の事が殆ど無い。
そこで真田丸や清洲会議の原作の三谷幸喜さんは、リアルな考証をしているので、安心して見られます。
また神仏の建物ですが凄くなったものや、大分ダメになったものがあります。
1500年頃までには出雲大社が50m超の高さを持つ高層だったり、その一方で坊主は金を儲けて寺院が大きくなりました。
ただ、真面目なお坊さんも居ますが、そうでない方が圧倒的に多かったのも事実で、それはそれは「都市型坊主」は完全バブリーだったそうです。
そんな中、引導を渡したり、埋葬に関しては、必ず坊主が必要であり、人別帳から、埋葬記録(鬼籍)に移して戸籍の役割をしていました。
でも、それは浅草寺や回向院ぐらいで、商人や武家のお得意さんの寺がありました。
最終的に宮崎哲也と同じで「死」を見つめる、最もしっかりとした理論は仏教にあると見ています。
その関係で、仏教的なものを生活でもネットでも探して、考える毎日です。
私にとって、今、生きる意味がないので、大変こたえます。