兜割りは兜を割るというより、敵の刀を折るための長い十手の様なものだった。
戦国時代、例えば川崎のぼるの「ムサシ」では蛮刀なる、デカイ鉈(なた)や戦斧(せんぷ:おの)で敵の刀を割る事が多く、また、そうではないが敵の斬りかかって来る刃物は厚い鉄の棒で返したのです。
それがドンドン短くなって、十手になって行ったのです。
これは、先ず似た形状のサイ(Ψ)と言う中国の武器があり、まぁ、当時武術の開発をする人も多く、そういうこともあったのかもしれない。
ただ、全くの嘘が時代劇という嘘番組には存在しており、十手で刀を受けたら、最低でも刃こぼれするし、最悪割れる。
また突き出た所を使って刀を外す技が主に使われており、効果的な武器でした。
所が東京の捕縛術研究会(警察OBがやっている)では、他にも色々あって、霧吹き(当時は吐息で霧を出した)に目眩まし(灰・塩・山椒・唐辛子を細かく摺ったもの)を入れて吹いたり、或いは、釘の先に糸をつけたもので釘を畳に突き刺し、それを踏んで、相手を捕縛したり、或いは八角棒と言う奴があって、親指の筋に当てると、凄く痛いので簡単に捕まえられたり、実は十手なんかより一杯捕物の道具はありました。
さて、勝海舟の話になっていましたが、江戸・東京地名辞典だったか?にあったのは「俺の関わった限りじゃ勝の親父さんほど喧嘩に強いのは見たことはねぇ〜」と言われていたそうです。
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