それは、色々な幕臣だった人への挨拶回りを公務の間に欠かした事が無かったのですが、この中でクレーマーに近い煩いのが居ました。
それが「天璋院篤姫」でした。
この顔でして、まぁ性格は宮﨑あおいのやっていた役通りで、非常に迷惑なほど「活発な婆ぁさん」でした。
加えて「世間知らず」で、まぁ大奥を追い出された後、ちゃんとした屋敷に住んでいたのですが、
兎に角お気に入りが「勝海舟」でして頻繁に呼ばれたそうです。
それは全くもって「田舎者東京に来る」ようなもので、
「これ!勝!これは何じゃ?」
「ああ天璋院様、これはXXと申すもので、この様にして使うものです。」
「おお、これは面白い!所望じゃ!」
と詰らないものから、とんでもないものまで興味を持って大声で勝海舟を呼んでは、色々聞きまくり、色々買ったそうで、大体、勝と天璋院の二人+お付の女衆(屁負い比丘尼の類)ぐらいだったので、大体荷物は「勝」が持つ事になったとか?
そう性格は良いから「意地悪ばぁさん」ではないのですが「迷惑なばぁさん」だったようです。
ハイパークラスの…。
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