チョーシこいて武田の爺ぃが「科学万能」を吹聴したが、実際は様々な問題がある。
1)無人運転自動車
無人運転自動車は、最終的に放棄されるだろう。
何故か?
四日市方式と水俣方式の問題である。
つまり産業を衰退させるからだ。
(1)必要最低限の車が提供される:生産総量の減少ー>GDPの大幅減少ー>財政崩壊
(2)車が公共財となる:個人所有が無くなるー>駐車場経営が崩壊
(3)保険会社の営業規模の減少・あるいは消滅ー>コレに変る金融ビジネスはあるか?
(4)エネルギー会社の大変動・小規模化ー>既に始まっている。奪い合い。
(5)高級車、特別車は、それでも必要ー>VIPは、保護、行幸などで今の形態が不可欠
(6)陳腐化し、営業規模が減る道路工事と公共車両ー>公共工事の減少
(7)自動車関連工業の別産業への移転或いは廃業ー>継続的デフレ社会
これでGDPは軽く5兆円は減るだろう。次は何が「三種の神器」となるのだろう?
飛行自動車か?そんなもの下らない暇つぶしだろうさ。
実はコレはトヨタの社長が、将来のEVでは、トヨタの規模が1/10になりかねない現実から「それは困る」と言ってきたことなのである。
私は、コレを検討していた時「華麗なる一族」を思い出した。戦後すぐの資源とか物資が足りない時代である。経済は或る意味大起業は、到底出来ない社会だった。
キムタクの演じた主人公は、新日鉄をイメージした大企業から「鉄の割当」を拒否され、最後自殺したが、社会は共産主義的にならざるを得ない。社会は配給の時代になりかねない。
何故か?
自動車は公共財となったからだ。
それは経済的インセンティブを極端に下げる。
劇的に儲かる起業も、国家の自動車増加計画が大きな壁となるだろう。
何とはなれば、経済的な駆動力は、(1)〜(7)で綺麗に無くなっている。
アチコチに穴だらけの御高説に、得意満面で浸っていたが、須田のオジキがあのザマじゃぁどうしようもない。
「科学で解決すればいい」とバイデンの同類はホザク。
「これは経済・社会学の問題ですよ」と私は強硬に反論する。
この基本的な経済・社会の問題に「科学の権威」は実に曖昧であり、蒙昧の楽観主義だ。
思えば、エコエコと五月蝿いが、トヨタでとみに生産が増えたのはレクサスだ。70kgの人間を運ぶのに2トンのエコカーを動かす品性は、到底エコではないだろう。
また貧困になるとわかっている事に誰も希望や野望を抱かない。
反論が欲しいところだ。
ねぇ先生?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます