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日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

穀物問題について①

2021年03月26日 11時13分52秒 | 権力に執着する完全な無能で魅力の無い馬鹿の無様過ぎる末路

日本は、江戸時代から種苗輸入には熱心だった。大根・蕪(かぶ)・今の味噌は室町時代。サツマイモ(当時は琉球芋)人参、唐辛子、茄子、トマト(最初は観賞用)等、今我々が食べている野菜の殆どは江戸時代以降の輸入品で、種を固定化した。白菜・ジャガイモは明治に入ってで、特に白菜は日清戦争で中国で食べた餃子が食べたくて兵士が持って帰った話は有名である。また、穀物や大豆の改良は極めて熱心だった。種のタキイやサカイは、明治維新後、早々に株式会社化した。国内の大手問屋から株式会社になる流れに乗ってのことだろう。この頃から「食糧独立」の体制は盤石だった。
他方で、人を奴隷化するが如き、アフリカで主食を駆逐し、小麦を売りつける穀物メジャーもタキイやサカイと同時期の創業だったと思う。若干日本の方が古く、例のシェアなどの強引な国際ビジネスは、相変わらずだった。それには欧州市場が成熟したことも要因だ。
この種子ビジネスが進化したのは、1950年代の種子の原種主義と気候順化主義の議論で、原種主義はソビエトのバビロフと京大の木原等教授で、気候順化主義はソビエトのルイセンコが主張していた。ソビエトの権力闘争で負けたバビロフはシベリアで死亡したが、種苗理論では、原種主義が正しいことが証明された。それにより、ソビエトの穀物政策はバランバランになり、1972年アメリカの小麦を輸出先を誤魔化した「大穀物泥棒事件」が発生し、この時穀物メジャーの暗躍がクローズアップされた。
また穀物メジャーは、ソビエトに小麦は輸出するが種技術は伝えず、ソビエトの穀物政策は、基本的に無い。他方で京大の木原等教授は東大に嫉妬され、予算の問答無用のカットを行い世界中から文部省が避難されたが、1998年木原等教授の死後、種子28万種の木原コレクションは散逸したが、東大は屁の河童だったようだが、日本の種子開発能力を下らない嫉妬で悪影響を与えた東大は許されるべきではない。
何れにしても、この種苗は「継続は力なり」であり、遅れを取ったら挽回が極めて難しいのも事実である。


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