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日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

3000年前のグローバル経済から軍事国家への移行①

2021年03月31日 08時14分19秒 | 歴史の謎

地中海での文明の急速な発達
実はシュメール王国が誕生してから、地中海周辺には、ヒッタイト、アッシリア、ユダヤ王国の様な国が次々出てきました。この頃、金銀銅や、布、食料が貨幣として流通し、また、吉村作治早稲田大学教授が発掘した5000年前の「太陽の船」の発掘により、当時、大型輸送船に依る、地中海を仲立ちにした地中海貿易が活況であり、長い間営まれていました。
金銀銅は、貨幣の様に小さくせずにインゴッドで、金幣、銀幣、銅幣として目方と相場で扱われました。つまり、これら金属は「質草」として、保証金としての役割をしていたようです。
今年、東京に2つの大きな植物工場が穀物メジャーの資本で出来ますが、その基礎は、オリエントの、日本とは比較にならない野菜食文化があり、それらの流通も然ることながら、商業が活発化していました。
当時は、レバノン杉がアチコチに存在し、その流通は、大きな富が動く原動力でした。
シュメール王朝初期の頃は「サハラ砂漠が草原」だったとも言われ、その活況は、凄まじいものでした。
この頃には、楔形文字:アッカド語は、相当広まっており、これら記録メディアの発達も重要でした。
これらは、先物取引などのヘッジファンドが無いので、物重視の安定的経済でした。
今、漫画で「海賊ごっこ」が受けていますが、重大な問題がありました。この頃の地中海には、海賊がほぼ居なかったのです。
この頃の船は、今の飛行機みたいな先端技術で操船も儘なりません、加えて、天測・海図・船の建築と、当時の技術の最高峰で、船の操船出来るものはエリートで、泥棒=海賊をする必要はなかったのです。
だから、気候に依る座礁などはあっても、無保険で船舶貿易が可能でした…、紀元前1000年のカタストロフの前までは。
海の民
ここに急に、大西洋北部から異様な集団が、ジブラルタル海峡を越えて地中海を越えてきました。それは今だに歴史の「?」を多く抱えている民族で、様々な国の歴史的記録には、彼らをこう呼んでいます。
「海の民」
彼らの乗る船は、おおよそ地中海を往来する船とは違い、細く、船足が早く、波間に隠れて地中海に多く居る「輸送船」という「獲物」を捕り放題で、残虐無比でしたが、武力は圧倒的に上でした。
この時点で数年のうちに海岸の国家はほぼ全滅したといいます。恐るべきは、海の民は、陸上のシュメール国家群へも戦いを挑み、勝利を続けていました。
この頃「古代ピラミッド文明期」で、エジプトのファラオも大群を上げて大決戦に及んだのですが、それでもファラオが矢を受ける重症で、負けはしませんが痛み分けでした。
その後海の民は弱くなったわけではないのに、地中海を離れて何処かへ向かい誰も後を追いもしなければ、知りもしなかったのです。
ただ、その海の民が何語で残したか不明の文章をしめします。
「我々は一体何者で、そして、今後、何処に行くのか?」
この後、地中海での航海は危険が伴うようになり沈滞しました。自由を謳歌した商人文化は廃れ、護衛の傭兵・用心棒が幅を利かせました。
それを広い領域でやろうとする勢力が出ました。カルタゴとローマです。
その前に、大きな動きが現れました。
「アレキサンダー東征」です。


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