

いよいよ3日目・・・伊江島からフェリーで本部港・・そこから高速バス「やんばる急行」で名護を通り許田IC~西原IC、そこで降りて、町中を通って、ゆいレール古島駅までだ。
高速道路はほとんど米軍基地のヘリを走る。いや?道路の両側にほとんど米軍基地と言ってよい。
まず、許田からほどなく、辺野古で揺れる「キャンプハンセン」・・・俺の思いは「キャンプ反戦!」だ!
ついでに言っておく!この米軍基地に付くおびただしい数の人の名・・ハンセンとか、シュワブとか、フォスターとかレスター・・・みな、大戦や沖縄戦で武功を立てた兵士の名前だ。しかも、一等兵とか二等兵と言った、位の低い兵士の名だ。多くの「敵」を殲滅した英雄で、位の低い人でも、こんなに大事にしているという、自国の駒や市民へのいやらしいアピールなのだ。沖縄の基地に沖縄戦の武功を立てた兵士の名を冠する神経が恐ろしい・・・占領軍たる米軍の心底を見る。
さて、話がすぐわき道にそれる・・・・悪い癖だ。シュワブを過ぎると、金武町の巨大な海兵隊の基地が延々と続く。キンバル演習場・レッドビーチ演習場・・皆海兵隊の基地だ。そしてあの空軍の基地「嘉手納」が続き、海兵隊司令部のある「キャンプフォスター」最後は普天間基地を抜けて、やっと高速を降りるのだった。

古島からゆいレールで首里駅。今日は首里をどっぷり散策する計画だ。まずは、駅のコインロッカーに重い荷物を押し込み首里の街へでた。
明治まで続く王朝の歴代の王が葬られている、王陵にやってきた。


巨大な墓は3室に分かれ、中央の部屋に最初は葬り、20年ほど待って骨だけになった王様を洗骨し、東室に王と妃・・西室に他の王族が葬られる。



僕が行っていない場所・・・今なら高校生の鉄血勤王隊の慰霊碑だ。師範学校の勤王隊の慰霊碑は摩文仁にある。
広大な土地に、見事に管理された芝・・・・遺族や同窓生の思いが積もる・・・第一中学校・・あの甲子園に出場した最初の高校にして、エリート校の首里高校だ。


完膚なきまで壊された首里(なんせ、沖縄大本営のあった場所)・・・壊されなかった石畳を含め復興されたいにしえを忍べる有名な「金城石畳」にやってきた。琉球時代の軍用道路だ。
ステキな景観なのだ。


大事にされた湧水・・・などいい感じなのだ。


首里で最高の見どころ、ずっと王朝時代の首里や明治・戦後を見続けた「アカギの巨木」は当然訪ねる。

かなり歩いてへろへろなので、ブルーシールアイスで一休み。

昼飯時・・・名店「ほりかわ」にやってきた。


まずはビールOR泡盛の水割りで乾杯。
進化系の沖縄蕎麦はやはり、噂通り旨かった。古き良き蕎麦とはかなり違う蕎麦だ。

昼から呑んでばかりのわりわりは、時々「反省」などするのだが、その効果は2時間くらいしかもたないのだった・・・


彼らは正剛さん初めての「首里城」見学・・・僕は、たぶん5度目になるのでパス。2時から始まる「舞踊」の体験まで自由行動だ。


僕は大好きな「弁天堂」の廊下で昼寝した。

やがて有料区域の正殿まえの庭で2時に待ち合わせ。



沖縄の「舞踊」が5つの演目で披露される。毎日なのだが、こちらは首里城を訪ねたらぜひ見るべきなのだ。



続いて、沖縄戦で大本営をこの首里城の地下に掘った穴など見学。
あの大田知事も師範学校の学徒だった時代にせっせとこの穴を掘らせられたばしょだ・・・
3つの掘り始めの口が、わずかに残され、ひっそりと案内されている。ほとんど観光客は居ない・・・・


帰りがてら、このような跡地。今は県立芸大だわさ・・・時々トイレを借りる。

那覇に戻って、ホテルにチェックイン。土産の買い物などに市場へ・・・3Lも揃う安い国産のアロハを求めに散策・・・

フルーツやら、野菜など沖縄ならではを物色・・・
その後ホテルに戻り、2時間の自由時間。

夜の那覇にやってきた。最近お気に入りの「大寿司」!


定番らっきょとモズク。

くつろぐわりわり・・・


さすが、寿司屋の卵と、アグー豚。

幻に近い、波照間の「泡波」など大将からおごってもらって、やはりここは素敵!

2軒目は、セイボーのタンパラヤ。(写真は翌日の昼の店の外観)


セイボーも加わって乾杯!
こうして、那覇の夜は更けるのだったが・・・・

ついにこやつら、3日連続「スナック」だ!
やっと教わったセイボーの妹の店。セイボーの妹は美人なのだ!!!
この喜んでいる写真はあきれるのだが・・・・わしゃ、この後すぐさまホテルに帰って寝た。
この日は、何と!24300歩であった。
実感は15000ほどだが、結構歩いたんだな。
しかしまぁ・・・3日連続スナックには恐れ入ったな。
お二人!恐れ入りました!!!