退職オヤジのひとりごと

退職オヤジが直面する新しい日々…感動か困惑か?
カオスの日々を綴ります

180円

2025年02月16日 02時26分10秒 | 日常の一コマ

リッター180円のガソリンを入れてみた。


走りは変わらないようだ。


高額医療制度の行方

2025年02月15日 04時20分51秒 | ニュースより

会期末が迫り予算審議は大詰めを迎えつつあるようです。


自民党が「予算案で絶対に変更できない項目」と捉えているところは何処なのか。

長期政権だった自民党の発案だからこそ「そこ」から見直すべきと考えます。

何故なら、長期間同じスタンスで予算案を組んでいるだろうから・・・


予算を組むにあたって、保険財政を見直す時なぜ医療費から考えるのだろうか?

全体を通して見るべきだろう。
やはり「そこ」に手を付けるべきだと思います。

 

先日の報道番組では、『命に関わる部分から削るのはおかしい』といってました。

3日間で作り上げたとか。

「高額療養費制度」長期治療患者の自己負担額は据え置く修正案示す 「長期療養を続ける方々の思いに最大限寄り添う」福岡厚労大臣

やはり修正の方向にならざるを得ないでしょう。


この変わり身の早さは、フットワークが良いとみるべきか、そもそも原案があまりにも稚拙だったというべきか・・・。


高額医療を受けている人と、町医者にかかっている一般の人とを天秤にかけた時、自民党にとって大きな違いは、その人数・・・つまり票数なのではないかと勘ぐってしまいました。

 


法治国家崩壊

2025年02月14日 12時08分27秒 | 本を読みました

吉田敏浩氏 新原昭治氏 末浪靖司氏の『 検証・法治国家崩壊 』を読みました。


これは、現在の司法の立ち位置を決めた『砂川裁判』について追求した本です。

その研究の元になった資料は、アメリカの情報自由法(30年を経た政府文書は原則開示)にもとづく「解禁秘密文書」内で発見されたものです。
それは2008年に発見されました。(この本の初版は2014年7月です)


内容は・・・
 はじめに(吉田敏浩)
 PART1 マッカーサー大使と田中最高裁長官(吉田敏浩)
       1959年3月31日から12月16日まで
 PART2 秘密文書の発見
       砂川裁判干渉の秘密工作の背後にあった米軍の世界的な戦略(新原昭治)
       アメリカと田中最高裁長官の深い関係、そしてアメリカが生み出した「九条解釈」(末浪靖司)
 PART3 検証・法治国家崩壊(吉田敏浩)
 付  録    核密約と有識者委員会(新原昭治)
 


幇間政治家や幇間官僚、さらには最高裁判事までアメリカの顔色を伺った立ち振る舞い。
日本国民に対し裏切りともとれる発言の数々。
読み進めていくにつれ、兎に角腹立たしい内容のオンパレードで、読むのに時間がかかりました。


特筆すべきは田中耕太郎最高裁判所長官による、1959年12月16日の砂川裁判判決と、そこに至るまでの数々の米国との裏交渉などにより、司法がその役割を放棄し、日本国憲法が米駐留軍の前に無力化してしまったこと。

それは統治行為論と呼ばれ「裁判所で憲法判断が可能であるにもかかわらず、高度の政治性を理由に、裁判所が憲法判断をしない」ということで、その後の日本を方向付けてしまったものです。

それにより、行政の中心にいる一部政治家により、法は自由に解釈され、彼等には「違法」というものがなくなってしまう。

1972年の横浜市村雨橋における戦車輸送禁止の道路法・車両制限令に対し、日本政府がとった適用除外改定などもその一例です。

その後無力化した司法のもとで、行政は特例法を作り続けたようです。

歴代内閣の国会答弁とは異なる憲法解釈をした安倍政権下での集団的自衛権などは、その最たるものなのでしょう。

プライドを捨て実利をとったということなのでしょうか。


乱発される閣議決定を見ていると、三権分立は中身の無い「はりぼて」に思えてなりません。

 
沖縄の米軍基地問題に興味を持ってから、日本における米軍基地使用について疑問に思っていたことが、少しずつ解った気がしました。


学校ってなんだ!

2025年02月12日 02時40分00秒 | 本を読みました

工藤勇一氏 鴻上尚史氏の『 学校ってなんだ! 』を読みました。


リタイアしたとは云え、それなりに関心がある学校教育なので読んでみたくなりました。


内容は・・・
 はじめに(鴻上尚史)
 第一章 学校が抱える問題
 第二章 自立をさせない日本の学校
 第三章 同質性への違和感
 第四章 対話する技術
  おわりに(工藤勇一)

不覚にも工藤勇一氏を存じ上げなかったのですが、千代田区立麹町中学校で校長をされている時に、宿題廃止、定期テスト廃止、固定担任制廃止などを打ち出し話題になった方と知りました。
(鴻上尚史氏はNHKのcoolJapanで知っていましたが、劇団を主催されていた演出家とは知りませんでした)


本文は対話形式で、読みやすいものでした。

タトリング」と「テリング」や「第一次資料」と「第二次資料」、「シンパシー」と「エンパシー」など、私にとってためになることが多く記されていました。
     

 

最近ハマっているドラマに『御上先生』があります。

そこで提起されている問題とこの本で扱われている内容がリンクしているいるように感じました。


読んで良かったです。


少数与党の振る舞い

2025年02月11日 01時37分07秒 | ニュースより

最近の国会のニュースで思いました。


高校無償化、3党協議は平行線 維新、自公に不満伝達
                                    
自民・公明と維新 社会保険料の負担軽減めぐり引き続き協議

自公、社会保険料改革の協議継続で維新と合意
 

 

少数与党ということで、自公は今までになく野党との話合いを行っていてイイなと思ってました。


でも、このところのニュースでは、与党自公と維新との話合いだけが盛んに伝えられています。


衆議院議員全465議席の内訳は、自民191、立民148、維新38、公明24、共産8、国民28、れいわ9、社民1、参政3、政治団体の日本保守党3、無所属12です。

過半数は233。それに対し、与党は自民191+公明24=215 です。

その差18を埋めるために比較的政策が近い維新38とだけ話をしているのでしょう。

 

せっかく少数与党で「話し合わなければ進まない」状況になったのに、維新とばかり話し合っているというのはなぜなのでしょう。


議員は「国民の声を聴く」ことと「話し合う」ことが仕事だと思うのですが、話合いの目的が違う。

自分の意見(案)を通すことだけで、この日本をより住みやすくすることは二の次のようです。

間接民主主義では「国民の声」は「全議員の声」でしょう。

「会期」などというつまらない決まりに囚われ、話合いが疎かになる・・・。

215+38=253 の声だけで事を進めるのは、ただ単に多数決で勝つためだけの所業に過ぎないのでは無いか。


 
多数決原理                     Wikipediaより
近代議会は個々人の政治的主張を調整することにより社会を統合する機関であり、その統合は社会全体の代表者である議員達の自由で理性的な討論と説得、そして妥協の積み重ねによるが、現実に解決すべき政治的課題の緊急性から意見の一致が得られぬ場合には、集団的意思決定手段として、相対的多数者の意見が暫定的に議会の意思とされる。
しかし議会による統合の観点より、多数派と少数派の差異は常に相対的とされて将来の状況変化や討論進展による逆転可能性が留保されている必要がある。議会制を採用していても、(a)相対主義的価値観の社会への浸透(複数の価値観が承認されうる社会) (b)議員とその背後の社会構成員の一体的同質性(階級、宗教、イデオロギー等の対立が激しくない社会) (c)理性的かつ客観的な判断ができる議員 (d)意見発表の自由とその機会の均等、などの条件が揃わない場合には議会主義は変質または形式化する。

 

『多数決』・・・これは民主主義の根幹ではなく、必要悪であると思うのは私だけでしょうか。