橘木俊詔氏の『 津田梅子 明治の高学歴女子の生き方 』という本を読みました。
新紙幣発行に伴い「渋沢栄一」は大河ドラマになるなど話題は豊富ですが、五千円札の津田梅子について知識がなかったので読んでみました。
内容は
はしがき
第1章 戦前の女子教育と岩倉使節団
第2章 津田梅子の幼少期と渡米
第3章 アメリカの大学へ留学する
第4章 帰国後の梅子と津田英学塾
第5章 山川捨松と永井繁子
第6章 三者三様の生き方と現代への含意
あとがき
です。
津田塾大学創始者の津田梅子(幼名は梅であったが、38歳の時に梅子と改名した)の生い立ちと、その関係者について記した本ですが、著者が伝えたかったことは副題にあるように「明治の高学歴女子の生き方」に置かれていたように思う。
それは、①結婚せず独身で職業を全うする。 ②専業主婦となって良妻賢母を貫く。 ③職業人でありながら妻・母として生きる。という三通りと整理されていました。
そして岩倉使節団の5人の女子留学生(上田悌子⑮、吉益亮子⑮、山川捨松⑫、永井繁子⑨、津田梅子⑦(数字は年齢)のうちの3名(梅子・繁子・捨松)の生き方を①~③の生き方として比較し考察したものでした。
ちなみに、日本で最初の米大学卒業生となった山川捨松の生き方は②、永井繁子は③、そして津田梅子は①で生涯独身で通したようです。
印象に残った部分は、大学を卒業した三名の留学費用を明治政府が負担していたこと。
期間10年間、3往復の旅費、学費、その他生活費、そして年間800ドルの小遣い全てです。
明治政府がとったこれら支援には、欧米文化を吸収しようとする並々ならぬ決意が伺えます
また、梅子・繁子・捨松の三人は、日本語が苦手で、帰国後かなり苦労したという事実も驚きでした。
大いなる決意をもって教育により女性そして国を支えていこうとする梅子の姿勢は、目先の評価に縛られている現在の政治家の方々が見習うべき点が多いと感じました。
梅子がつくった「女子英学塾」が「津田英学塾」と校名変更したのは、梅子の死後4年経ってのことで、こんな処にも梅子の人柄が偲ばれるエピソードと云えそうです。
未だ私の財布には無い新五千円札を、早く手にしたいと思いました。