退職オヤジのひとりごと

退職オヤジが直面する新しい日々…感動か困惑か?
カオスの日々を綴ります

企業団体献金

2024年11月29日 06時04分59秒 | ニュースより

企業団体献金の是非が問題になっているようです。

政活費“廃止”はあっさり承諾も…なぜ企業・団体献金禁止はNO?自民党元議員が解説


会社は利益を追求する集団でしょう。


会社の「目的」とは何か・・・について調べてみました。
   
「会社」とは、事業を行うための組織を指します。会社法では、株式会社や持ち株会社といった責任の持ち方によって分類された会社の種類があります、いずれにしても、事業をするために出資した人の集まりである民間法人は、「事業を行い、利益を出していくこと」を目的としています。
   
会社は、自らの存続と企業を取り巻く環境へ貢献するために利益を追求すると云ってます。
具体的には次のような行為で貢献します。
1.株主へ配当を行う
出資者である株主に対して、「配当」という形で利益を還元して貢献します。配当を行うことは、会社が成長し、世の中の経済活動を維持・発展させるために、さらなる出資を促すことにつながります。
2.納税する
会社は人と場所を使わせてもらい利益を生み出し、その見返りとして国や地方自治体に税金を納めます。この納税で貢献を果たすことは、会社の大きな責任です。

いずれにしても、その利益は誰のために有るのかと云えば、勿論社に属す人たちのためにあるのでしょう。


つまり、会社が出資するお金は、社益のためでなくてはいけない。

それ以外に使えば、「背任行為」になるのではないだろうか。

背任罪とは、他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背き、本人に財産上の損害を被らせたときに成立する犯罪です。


企業団体献金は、「その企業の利益にならなくてはいけない」と読み取ることができます。

 

だとすれば、『企業団体献金』・・・それは、回りくどく行う企業の贈賄であり、受け取る政党は「忖度」をベースとした収賄なのか・・・なんてね。

そしてその送り先は、権力を持った与党だけに向けられる・・・。

そんな見方は「純粋に応援したい個人献金」も否定されかねない極論ですかね。


とはいえ、社益のために会社の財産を使わなくてはならない企業からの出資は、純粋に政治を応援する献金にはそぐわないと思うのです。

 


今年の漢字

2024年11月28日 03時44分05秒 | 雑感

年の瀬が近づいてきました。

12月に行われる毎年恒例の清水寺漢字一文字を予想してみました。


令和に入って、

「令」「密」「金」「戦」「税」と続きました。


今年は「壁」でしょうか。

所得の壁、東西の壁、貧富の壁、年代の壁、男女の壁、国論の分断の壁・・・


社会が二極化している気がします。


コミュニケーションツールが発達したにもかかわらず、なぜか意思疎通が苦手になってきているようです。


国会議員にして話し合いができない現実に、異見に対する壁が厚くなっている気がしてなりません。

 

以前こんな記事も目にしました。

「禁止仮処分」出てもクルド人へのヘイトデモ続く 別団体が…区域外で…埼玉の街、騒然とした状況続く

記事から読み取るに、「ヘイト」は自国民を守るというより、自国民に対する自信の無さによるものではないかと思ってしまいます。

これは異見というより、異文化に対する壁なのかもしれません。

 

こんな壁も、早く取り払われる日が来てほしいものです。

 


兵庫県知事選に思う

2024年11月27日 05時38分09秒 | 雑感

兵庫県知事選の結果分析が進んでいます。


Xなどによる、あまり表面化しなかった部分に注目が集まっています。


一方的な噂や中傷が飛び交い、凍結させることを目的とした書き込みが横行したとか。

 

公選法による公共報道機関に対する縛りが、ソーシャルメディアとの格差を生み、その影響力を増大させている気がします。


方や言いたい放題の嘘八百もあり、此方まともな政策批判すらできない必要以上の縛り。


課題はソーシャルメディアの行きすぎた内容への対策だけでなく、選挙期間における公共報道機関統制にもあるのではないだろうか。


斉藤知事再選のニュースを見て思ってしまいました。

 


閣議決定

2024年11月26日 07時10分59秒 | 雑感

ニュースを見ました。

きょう午後総合経済対策を閣議決定、「103万円の壁」対策も明記…補正予算案13・9兆円
 


ニュースでは、盛んに「閣議決定した」と伝えています。


閣議決定は、あくまで行政府の意思決定のはずなのに、報道で繰り返されることにより「国が決定した」と誤解してしまいます。

報道機関による世論操作ではないと思いますが・・・。


話し合うことができなかった自公独裁の時には、それも正解だったかもしれません。

そんなことの繰り返しが、自分の受け止め方に繋がっていると思うと、自分の中に民主主義が後退している気がして情けなくなります。


「閣議決定」 = 「国の決定」 という図式は、閣議による独裁の構図に見えて、不安になります。

 


司法と人権感覚

2024年11月22日 04時43分41秒 | 本を読みました

伊達秋雄氏の『 司法と人権感覚 』という本を読みました。

伊達秋雄氏は、砂川事件一審において、日米安全保障条約によるアメリカ軍の駐留は日本国憲法違反とする判断を示した裁判官です。


内容は、

 はしがき
 刑事裁判と裁判官論
 司法反動
 刑法改正
 旧法の回顧
 労働基本権
 プライバシー保護
 裁判時評

大正期のヒューマニズムと昭和初期の社会科学によって洗礼を受けた一人の裁判官の所感と云うべきものです。(・・・と、何かに書かれていました)


昭和61年11月初版の本で、少し読み慣れない文章ではありましたが、とても勉強になりました。(私がどこまで理解しているかは解りませんが・・・)


特に印象に残った部分は、
人権は常に国家の治安の前に譲歩を迫られる危険がある故、厳しい警戒を怠ってはならない段階にある。
憲法九条の趣旨は、本来明白なものであった。それは、従来の国家の防衛と平和を戦力によって維持し、国家間の紛争を戦争によって解決するという国際社会の通念に反して、戦力不保持の原則に立って戦争を放棄し軍備によらない国の防衛に徹することを内外に宣言したもので、徹底した平和主義を採択したものであった。それはまさしく空前の世界史的意義を持つものであった。
「法治主義」とは『国民よ法を守れ』ではなく『国家よ法を守れ』である。
民主国家に於いて、行政機関に秘密があってはならない。
政府の政策を遂行するために、ただ方便として刑罰を用いることは、深く慎まなければならない』等々。

また、「貧民による森林窃盗が多かった木曽の山で、ある代官が、刑罰と併せて必要な薪を与えるという裁判をしたら違反がなくなった」・・・そんなエピソードも紹介されていました。


裁判官の眼から見た「憲法」の解釈が興味深く、特に戦前の大日本帝国憲法と日本国憲法の比較から、戦後の平和憲法制定の意思が読み取れたことは収穫でした。

また、コンピューター技術の向上により、国民のプライバシーが侵される危険を、この時すでに予見していたことは、驚きでした。


本屋さんにも出版社さんにも近くの古本屋さんにさえなく、諦めかけて図書館に行ったところ、司書の方が他市の図書館にあるものを取り寄せてくれて読むことができた本です。


とてもためになる本でした。