退職オヤジのひとりごと

退職オヤジが直面する新しい日々…感動か困惑か?
カオスの日々を綴ります

隠蔽する体質

2025年01月31日 07時06分05秒 | ニュースより

気になるニュースがあります。

【速報】法廷内で拍手!森友公文書改ざん 妻・赤木雅子さんの訴え認める               文書不開示めぐる訴訟で大阪高裁が逆転判決「不開示とした国の決定を取り消し命令」  2025.1.30

真相を知りたいという遺族の思いを、「とにかく隠し通す」という行政のスタンスはいかがなものか。
認諾」などという見栄も外聞もない手段を使ってでも隠し続ける・・・。嫌悪感を覚えます。

遺族の無念さは如何許りか。 


それでも真実を知ろうと、遺族は財務省が任意で検察に提出した文書の開示を求めた裁判で、大阪地裁は”不開示決定”は妥当だとする判決を言い渡しました。

 

どうも、未だに都合の悪いことは隠蔽する体質が改善されていないようです。

こんな記事もありました。

「飯塚事件」検察の証拠リスト 裁判官のみで行う審理で提示へ

 

いつになったら、歴史(過去)を冷静に評価し、間違いは間違いとして正す方向に向かうのでしょうか。

 

なお、佐川氏の賠償責任を求めた裁判では、「改ざん指示の責任は国が負うべきもので、個人として賠償責任は負わない」などとして、2022年に大阪地裁が訴えを退けました。こちらの裁判は、大阪高裁も控訴を棄却。遺族は最高裁に上告しているとのことです。

法廷の場での佐川氏の証言を聴いてみたいと思うのですが・・・。

 


質問者の質

2025年01月28日 12時53分42秒 | ニュースより

フジテレビのやり直し記者会見があったようです。


あまり興味がなかったので放送は見ていないのですが、ネットのニュースで気になるところがありました。


10時間もの時間を要したこと。

真相解明より、会長・社長の辞任と新社長のお披露目をする会見のように感じたこと。

 


質問者の前振りや意見が飛び交い、回答時間より質問に要する時間が膨らんでいったこと。


これって、国会における質問に似ていると感じました。


質問の内容よりも、質問者が目立つことに主眼が置かれている気がするのです。

 

政治の劣化と同様に、マスコミの劣化が顕在化した会見だったようです。

勿論、フジテレビだけではなく質問した報道記者込みです。

 

民主主義の屋台骨であるマスコミには頑張ってほしいものです。


「疑惑追及してきた弊社がカメラから逃げた」「女性本人に会い直接おわびしたい」…フジ記者会見の要旨

 


ペットロス

2025年01月27日 07時26分35秒 | 日記


1月4日、掛け替えのない家族だった愛犬が逝きました。

プロフィールにあるシーズーです。

 

やっと、ぽっかり空いた時間と空間を振り返られるようになりました。

 


『ペットロス』という言葉は知っていました。

でも、それは知識だけで何も知らなかったのかもしれません。

 

私のペットロスは、淋しいとか、想い出に浸るとかではなく、唯々茫然として時間が流れるそのことだけでした。

 

今はやっと、「楽しかったよ、有難う。」と言えるようになりました。

 

 


戦後史の正体

2025年01月23日 04時10分07秒 | 本を読みました

孫崎享氏の『 戦後史の正体 1945-2012 』を読みました。


以前読んだのですが、どうしても読み返してみたいと思った本です。

やはり、読み返すと新しい発見が多くありました。
忘れたくないところに貼る付箋も、ずいぶん違う場所に貼り替えたりしました。


内容は・・・
 はじめに
 序 章 なぜ「高校生でも読める」戦後史の本を書くのか
 第一章 「終戦」から占領へ
 第二章 冷戦の始まり
 第三章 講和条約と日米安保条約
 第四章 保守合同と安保改定
 第五章 自民党と経済成長の時代
 第六章 冷戦終結と米国の変容
 第七章 9.11とイラク戦争後の世界
 あとがき
 資料① ポツダム宣言 
   資料② 降伏文書
   資料③ 年表


ベストセラーになっただけの充実した内容の本です。

戦後の日米関係を、米国の圧力を軸に「高校生にも読める本」を意識し記されたものです。


ネットのレビューに『高校の教科書にすべき』などと書いた人がいましたが、本当にそう思わせるものです。

内向きになりがちで、自分の考えに近い意見の中だけで生活している若い世代の人には、この本に触れて「視野」を広げ、表面化しない見えにくいところに視線を向けることが、より良い未来の選択に繋がる気がします。


本当に読み返して良かった。

戦後日本を支えてきた高齢世代も、読んで気づくことはとても楽しいことだと思うのです。


選択的夫婦別姓

2025年01月21日 07時20分02秒 | テレビを見ました

クローズアップ現代を見ました。
  

『「選択的夫婦別姓制度」の議論が高まっている。経団連は夫婦が同じ姓を名乗らなければならない現行制度がビジネス上のリスクになると、政府に「選択的夫婦別姓制度」の早期実現を求めた。一方、家族の絆がゆらぐなどとして制度導入に慎重な意見もある。国はパスポートや国家資格などで旧姓の通称使用ができるよう対応を拡充している。30年にわたって続く議論の現在地を多角的にとらえ、令和の時代の夫婦の名字について考える。』


選択的夫婦別姓(あくまでも選択的)に反対する人の考えが理解できません。


「選択的夫婦別姓」は、本人たちが選択するもので、そこに大きな意味がある。

個人の人権を守る意味でも、男女ともに社会で活躍する現在の社会環境に対応する意味でも、「個人の価値観による判断」に任せる時が来ているのではないだろうか。

家族の絆なんて、家族の構成員が作りますよ。 国に云われなくても・・・。

 

以前、道徳が「教科」になったことが問題になりました。

道徳指導要領 中学校学習指導要領解説  特別の教科 道徳編

そんな指導要領の中で、こんな文章があります。
3 改訂の要点 (2)第2  内容 
(エ) 「郷土の伝統と文化の尊重,郷土を愛する態度」。 
(オ) 「我が国の伝統と文化の尊重,国を愛する態度」。


自国や故郷を見つめる気持ちは生まれながらに持っているものだろうし、大切なことだと思う。

ただ、「愛する」かどうかは、本人の価値観に基づくものだから、強制すべきではないだろう。

「教科」として指導すると云うことは、それが正しいものだと大人が示して行くことだと思うので、道徳の教科化には違和感があった。

社会の変化に抗って現状を維持し続けることが「伝統」と勘違いしている人がいるようです。

夫婦の姓と共に、国を愛するかどうかは本人の判断となるべきではないか。

どうも人の心の中にまで干渉しようとする輩には、困ったものです。

政治家がすることは、「国を愛せ」と命じることではなく、「誰もが愛するような国」を作ることではないだろうか。

 

日本には100年以上続く会社が世界で一番多いのだそうです。

そんな会社が創立当時と全く同じ形で組織されているとは思えません。


変わるところは変わる、守るところは守る。

守るべきは個人の尊厳で、そこから考えをめぐらせば、選択的夫婦別姓はたいしたハードルでは無い気がします。


なんと云っても夫婦同姓が法律で強制されているのは、世界広しといえども日本だけなのですから。
https://tsunagood.net/couples-same-surname/