今、よくいわれる『戦争犯罪』という言葉に考えさせられました。
国家が領土や主権の堅守を目的として闘うとき、非戦闘員に対する攻撃が有効な手段の一つとなっている気がしてなりません。
第二次大戦でもベトナム戦争でも、事例は山ほど有ると思います。(具体的に調べてないのですが)
恐ろしい話しですが、戦争作戦行為の中に戦争犯罪と国際法上挙げられているものも含まれているのではないだろうか。
普段「殺人は最も重い犯罪」と位置づけられているこの世の中で、国家が殺人を認めることに矛盾を感じます。
戦争そのものが犯罪的行為ではないかと思うのです。(だから当事国は「戦争」と言いたがらないのでしょう)
しかし同時に『正当防衛』という言葉が思い出されます。
正当防衛は「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為」とされています。 Wikipedia
ここに武力行使を正当化する根拠があるのでしょう。
唯、『過剰防衛』ということも考えられます。
過剰防衛の要件は、(1)不正の侵害があること、(2)防衛の程度を超えたこと(過剰性)、(3)防衛の意思があること、(4)過剰性の認識があること ・・・ だそうです。
更に、『誤想防衛』ということもあるのだとか。
これは、正当防衛の要件たる事実 (特に「急迫不正の侵害」) が存在していないのに,存在していると誤信して防衛行為を行うこと。
残念ながら国連が当てにならない(200年間中立を守ったスウェーデンがNATO加盟を希望したのも、そんな所が理由なのではないだろうか)ことが証明されてしまった今日、これらを『誰が認定』するのかわかりません。
また、個人のトラブルと国家間の諍いとを同じ目線で語るのはいけないことだとも思います。
命令に従わざるを得ない所に所属している人たちが、みな指導者と意を共有しているとはとうてい思えないからです。
そこでは、「思考判断」が「命令」という所で止まってしまう・・・。
双方が勝手に主張するばかりだから、紛争は「防衛のための戦争」と位置づけられ、自国や同盟国を正当化する論調のみが飛び交います。いわゆるプロパガンダです。
21世紀とは思えない戦争が続く今、紛争を評価するのには国家と一線を画したマスコミの報道がより大切です。
プロパガンダに冒されない社会(個人)でありたいと願います。
報道統制が厳しい国の人たちにもそうであってほしい。
独裁国家のわかりやすい規制もそうですが、一見自由そうだが隠れた報道規制があるほうも危険な気がします。
いずれにしても「戦争」では多数の人の命が奪われます。
チャップリン映画の「殺人狂時代」を思い出しました。
劇中のアンリ・ヴェルドゥの台詞
『Wars, conflict - it's all business. One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify.』
(戦争や紛争、これは全てビジネス。一人の殺害は犯罪者を生み、百万人の殺害は英雄を生む。数が殺人を神聖化する。)
早く戦争が終わってほしいです。