きのうは、去年9月に訪れた、西条、小松地区へ。そのとき気になったことがあったので、もうお一方、旧石鎚村出身の人にあっていただけるよう、お願いしてありました。結果、その方にも問題の特徴がみられ、個人的なものではない可能性が高まりました。
旧石鎚村は、住みつづけてきたさいごのお一人が、この冬、山をおりたあと、もう戻らないことにしたそうで、ついに無人に。今回お会いできた方は、昭和48年に小松町に移住したときが37歳、すでにこちらでの生活の方が長くなりました。それでも地域固有の特徴(?)を残しているのは、アクセントとはそういうもんだ、という以外に、集団移住した「石鎚団地」で暮らしてきた、ということもあるのかもしれません(前回もリンクしたこちら参照)。今回も教えていただけた前回の方とも「以前のご近所さんとあって話すのがいちばん落ち着くなあ」と話し合ってらっしゃいました。この村の事情をさらに知りたくなったので、郷土史研究家である館長に相談すると、小松温芳図書館の学芸員の方を紹介してくださいました。活字化されていない郷土史書があるそうで、近いうちに再訪して見せていただくことにしました。
終了後、伊予小松駅前のMARUBUNへ。前回来たとき気になったのですが、松山を中心に8店舗を展開するレストランで、ここが本店。入ってみると、大繁盛。世話をしてくれたオネエサマが、大きな荷物をみて「電車大丈夫ですか?」。状況を話すと、早めにサーブするよう取りはからってくださいました。伝票には「1時の電車」(赤の下線で強調)とありました。ということで無事、13:01の予讃線で帰途に。愛媛はもうポカポカで、「春になったんだ~」と思っていましたが、名古屋に戻ってみるとぐっと寒く、春はまだもうちょっと先、というかんじ。
今回はここでおしまい。得られた知見そのものもさることながら、鵜島、小松(石鎚)と、また訪れるべきところができたのが、大きな財産でした。
旧石鎚村は、住みつづけてきたさいごのお一人が、この冬、山をおりたあと、もう戻らないことにしたそうで、ついに無人に。今回お会いできた方は、昭和48年に小松町に移住したときが37歳、すでにこちらでの生活の方が長くなりました。それでも地域固有の特徴(?)を残しているのは、アクセントとはそういうもんだ、という以外に、集団移住した「石鎚団地」で暮らしてきた、ということもあるのかもしれません(前回もリンクしたこちら参照)。今回も教えていただけた前回の方とも「以前のご近所さんとあって話すのがいちばん落ち着くなあ」と話し合ってらっしゃいました。この村の事情をさらに知りたくなったので、郷土史研究家である館長に相談すると、小松温芳図書館の学芸員の方を紹介してくださいました。活字化されていない郷土史書があるそうで、近いうちに再訪して見せていただくことにしました。
終了後、伊予小松駅前のMARUBUNへ。前回来たとき気になったのですが、松山を中心に8店舗を展開するレストランで、ここが本店。入ってみると、大繁盛。世話をしてくれたオネエサマが、大きな荷物をみて「電車大丈夫ですか?」。状況を話すと、早めにサーブするよう取りはからってくださいました。伝票には「1時の電車」(赤の下線で強調)とありました。ということで無事、13:01の予讃線で帰途に。愛媛はもうポカポカで、「春になったんだ~」と思っていましたが、名古屋に戻ってみるとぐっと寒く、春はまだもうちょっと先、というかんじ。
今回はここでおしまい。得られた知見そのものもさることながら、鵜島、小松(石鎚)と、また訪れるべきところができたのが、大きな財産でした。
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