昨日に引き続き、やはり今治市所属の、大島・宮窪地区へ。大島は御影石の産地として有名だということを今回、知りましたが(そんなことばっかりですが)、今治市宮窪支所、元宮窪町役場の前の「閉町祈念碑」もそう?(見ても分からない)。町としての歴史を終えるにあたって作った記念碑を見たのは初めて(ググってみたところ珍しくないようですが)。複雑な想いがこめられている気がしました。昨日の鵜島から、海を隔てて1Kmあるかないか。だけどアクセント体系ははっきりと違う。下の写真は、鵜島への渡船が出る宮窪港から振り返って撮ったものですが、奥の山の一部がすっかり削り取られていて、映っているところから下もずっと穴状に掘られているそうです。
「一人ずつはちょっと...」と、お三方同時の面会だったので、コーパスに沿った調査を全員にやるのはあきらめ、お二人にマイクを装着していただいて、会話を録音。今回のために買い足したヘッドセットマイクを使って、LRチャンネルに分離して録音。いろいろな話を聞かせていただきました。採石は死亡事故も珍しくない危険な仕事で、ほぼ男性のみの仕事だったそうですが、最近は男性に混じって働く女性も若干いるそう。「しまなみ海道」のおかげで、今日は今治駅前からバス一本、32分での到着でしたが、話者のみなさんの若いころは、島を出る交通手段は宮窪港からの船で、主な行き先は今治(四国本土)、行き帰りは、早くても丸一日がかり。大島内で山を隔てた吉海町とのつながりは、深くなかったそうです(吉海でも同じ情報→こちら)。でも、アクセントはほぼ同じなもよう。。。
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