春の気配は東京に雪を見ぬ間に近づいたようですね。
昨夜の二次会ではパワフルなダンサーが登場して
先ほどアルコールを入れたシェイカーならぬお体を
あたかも直立歩行ができるタフな軟体動物が動くように
激しく楽しく動き、その愉快な様は早速携帯電話の機能もあるらしい
僕のカメラのムービー・ホルダーに第一号として収まりました。
右は癖のない芋焼酎とかで僕でさえ違和感無く
スイッと喉を通ってみせた宝山です。
左は「くずきり」。
僕にとっての「くずきり」は京都なんです。
春休みの数日は毎年京都方面にいました。
東京駅23時30分の最終「大垣」往き鈍行電車に乗って
金曜日の夜、東京を出ました。大船を過ぎる頃から
朝まで眠り込み、大垣で大阪方面に向かう通勤快速に
乗り換えるのですが、関西に来たと実感するのは
学生達の話し声でした。
当然のように関西弁!あぁ~来たんだなぁと会話を聞いて
僕は実感したんです。でも賑やかなのは女学生だけで
スーツを着た大人達は黙り込んでいる人が殆どでした。
当時は土曜日もお休みじゃなかったんですね。
疲れた様子の大人達を見て、僕はサラリーマンには
なれないと思ったのかもしれません。
京都で学んだことは映画館での仮眠方もその一つです。
当時の映画館は土曜日はオールナイトで朝まで上映されて
いましたね。ベテランの方を見たら折りたたみシートの
三つの座面に体を横たえて肘掛を枕にし、片足は床に着ける
仮眠ホームがオーソドックスでした。僕は初心者でしたから
小さな旅行カバンを枕にしていました。
ただ映画が終り次が始る間に人の移動とザワツキがあり、
熟睡はできませんでした。早朝映画館を出されると空腹には
たまらない匂いに誘われて開店しているカレー屋さんに
足が向いてしまうのです。コンビニのセブン・イレブンが
でき始めたのはそれから数年後だったと思います。
さて「くずきり」ですが、いかにもラシイと思われる食事の後に
ネットもなかった時代に仕入れた情報を元に「くずきり」を
食べにお店を見つけて入りました。
混雑する店でテーブルに一人旅の僕は案内されても独り占め
状態ではちょっと気まずい思いでいたんですが、外国人の方と
通訳兼パーソナルガイドさん?のカップルが相席することに
なりホッとしました。店員さんに僕が相席を承諾した時に
店員さんは笑顔で「おおきにぃ」と僕に言ってくれたんでが、
「なんて柔かく優しく心地よい言葉なんだろう」と思いましたし
それから数十年経った今でも僕は思い出すんです。
だから僕にとって「くずきり」イコール「京都」なんです。
店を出ると雨でしたが僕は傘を持ちませんし、ビニール傘も
ありませんでしたから当然濡れます。それでも気分がよければ
気になりません。それは一人でポワラーヌを探していた時も
同じでした。東京でも昨年の春を除いてメッタに電車に乗った
経験がなかったのに、地下鉄を乗り継いで奇跡的に駅に
辿り着きましたが多数の出口があることを考えてもみずにいた
自分に呆れました。電車でも車内放送もなく自分で開けるドアなんて
初めて乗ったんですからね。
「エイト」は当然かもしれませんが「ユイット、ユイット」と言っても
通じなかった「8」。店のある8番地に行きたかったんです。
デパートの近くだから大きな建物を予想してたのに
市の条例で建物の高さ規制があり、オマケに昔からの
石の建築物だらけで目印もありませんでした・・・
あの時も僕の片言英語を理解して店の場所を教えて
くれた傘をさす真赤なコートを着た人に出会えましたっけ。
濡れ鼠のような見知らぬ東洋人の僕に婦人は
建物には数字が表記されていることを教えてくれました。
その数字を辿って行き僕は8番地の店にたどり着けました。
今は何処に行ったか行方不明のステンカラーコートも
ネイビーのウインドゥブレイカーも僕と雨の中を気分上々で
一緒に歩いた親友なんです・・・と今日も支離滅裂に大きく脱線!!
復旧策を模索してみますが、暫くはカメラからの投稿で繋ぐかもしれません。宜しくお願い致します。
そやさかい本文では魚の「さ」の字も出しよりまへんでしたやろ!これで分かる人がおったらお客や思うて喜ばなあきまへんな~~~!長い付き合いさかいにgenさんは褒められて伸びるタイプの人間ちゅ~こと、ワテは分かってマ!!大船とは言わんけど、泥舟も浮くことありまっせ~。カキコおおきに、また来てや~、ホナ。