Peace!!のブログ

岐阜県富加町の古い家で、小さな店をしていました。暮らしや、ご飯について、政治について思うことなど。

2013年

2013-12-29 18:13:04 | インポート
今年ももうあとわずか。
すごい寒さですが、皆さまお元気で年越しをされることを願っています。
うちも、3人で健康に1年を終えられるといいな、と思います。ただ、どうも娘は風邪をひいているので、今夜はお世話で明け暮れそうな予感。

今年も沢山のお客様に可愛がっていただけて、ありがたい気持ちでいっぱいです。
28日が今年の最終営業日でした。毎年なら、たいてい漫然と閉店時間を待つ日が多いのですが、大勢お客様がいらして下さってババロアやスコーン、ランチ、殆んど品物が無くなりました。嬉しい最終日でした。

今年は店もあり、娘もいるので、楽しく充実した年でしたが、私は、実は、暇さえあればクヨクヨしていた気もします。
随分落ち着いてきたとは言っても、相変わらずお腹に授かった子どもを亡くした記憶は抜くことが出来ず、夜中や明け方に、なんとも言えない淋しさに襲われる日があります。
そんなとき、私はいつも、「何であんなことが起こったんだろう、どうして誰にも解ってもらえないんだろう」と、泣いていたのです。それが、私の悩みの核心だと思っていました。
でも、違ったのです。
人は、たとえもう一人の当事者である夫でも、同じようには感じていないのであって、解ってもらおうとか、私の望むような言葉を掛けてもらおうなんて、どだい無理な話。

一番の問題の核は、多分、私の内部にあったのです。
夫の子どもを死なせた自分、両親の孫を死なせた自分を責め、人に哀れまれていないかを心配がる気の小さい自分自身を認めようとしていなかった。
どうして自分には不幸が起こり、他所の家は無事なんだろう、と妬む自分のあさましさを赦せていなかった。
向き合えないから、周囲の人たちの言葉にイチイチ反応して夜中に腹をたて、どれだけ悼んでも努力しても誰にも認められない、と勝手に思い込んでいた。

でも、多分そうじゃない。核心は、私自身がどれだけ赦せるか、認められるかなのです。
そこなら、自分で解決することができる。
これに気づくことができて、最初はしんどかったですがかなり、楽になれました。
今は、まだまだ時間的に無理がありますが、私はいつか、女性問題のカウンセリングを勉強したいと思い始めています。
喫茶店店主なら、お茶の資格とか、お花の関係の勉強なんかをした方が良いのかもしれないですが、
私は私の通った道を(まだ過程の段階ですけど)
をそうゆう風に生かしていきたい。そうゆう風にしか、自分自身も消化できない気がします。

店とは直接関係のない、極個人的問題ですが、私にとっては大きな前進です。





暮れも差し迫った時間に重い内容でした…

来年もどうぞよろしくお願い致します!
1月7日から営業します。