おすすめの本です。
沖縄の上間陽子さんの「海をあげる」
エッセイのように、日常が切り取られた中に、沖縄の若年層の貧困の問題や、辺野古埋め立て工事の理不尽さが描かれています。
分かりやすく、手に取りやすい文章だからこそ、これらの問題が日常と地続きのものなのだ、これが解決しないことには安心できないのだという事がリアリティをもって見えてきます。
日本の国の安全のため、沖縄に広大な基地が必要なのだ。そういう理論が長く使い続けられています。
だけど、そのために沖縄の人々が、ひどい騒音や、暴力や、環境破壊、事故などを引き受けなければならないのは、それは沖縄の県民は守るべき国民ではないと見なしているのではないか。
それに、これは福島にも言えることですが、沖縄に基地があることで、国からたくさんのお金が流れている、恩恵を受けている癖に文句は言うな、という発言もよく見受けます。
ですが、札束を握らせて口を封じるような真似を政治はしてはいけないし、そのお金のせいで、他の経済的な自立の手段を絶っている点を忘れてはいけないと思います。
いま、誰もが一度、考えてみるべきだと思います。一番身近な海や川が埋め立てられ、そこに軍事施設が作られる可能性について。
自分の住む町に、突如演習場が出来て、そこにミサイル発射施設が作られることについて。
しかもその町は、有事が起こるだろう、とやたら叫ばれている土地にとても近いのだとしたら。
それでも私たちは日本にある米軍の軍事施設の7割以上を、沖縄に押しつけるのでしょうか。
有事がありそうだ、という言葉は、防衛費を倍にすることへの理由になり得るのでしょうか。
アメリカ合衆国が関わる戦争に、巻き込まれる危険が増えるのではないでしょうか。
私たちには、自分の孫子はもちろん、これからずっと先、この国に住む人たちへの責任があります。
それは、防衛費を増やすことや、原発を増設することではないはずです。
取り返しのつかない事故を起こすことや、戦争の当事国になるようなリスクは出来るだけ避けるべきです。それなのに、現政権はそのリスクを承知していながら、「そんなことにはならないだろう。すくなくとも自分の生きている間には」というような、非常に無責任な楽観論に陥っていると思います。
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