播州、姫路の浜手育ち ♪日々の出来事をつぶやいています

まあブログですから、覚え書きみたいなもの

母の緊急入院 3 循環器病センターで決断

2014年12月21日 | 親・母(2014.12.23.84歳)父(2020.1.5.92歳))逝去

ここでもすばやい処置で

広畑記念病院のデータとともに

すぐに診断され 医師から詳しい説明を受けました。

 

急性大動脈解離スタンフォードAと言われ

大動脈解離でも一番厄介な症状。

 

これは通常なら今すぐに手術ですと説明され

当然リスクや成功率も説明。このまま手術しないときのリスクも。

しかし高齢ゆえの成功しても数々の合併症のリスク。

そして最大は認知症の悪化で寝たきりの全面介護に

家族がサポートできるかの覚悟を一番重要とされました。

 

手術をするなら、今すぐなのですから

決断はその場で。

母が元気なころから、無理なことはしないといわれていましたから

気持ちは決まっていたものの、

医師には失礼ですが救命に使命をもって手術をしたがる医師もいるとききますので

おそるおそる、しない決断を問うてみたら

医師も、そして今いるスタッフも この年齢だと

そういう決断をするのは妥当だと背中を押してもらえたので

手術はしないと決めました。

もしもの時の延命処置はしない。

電話がかかるということはそういうことですからと。

 

それを私一人で即断を迫られ

母のこれからを私が決めるのかと思うと

さすがにこれはつらいものがありました。

 

医師は、「今、私は出会ってこのときしか知らないですから」

私の今までの認知症の母の被害妄想とかかっわってきたこと、

これからのことをもあるでしょうからと

いろいろ決断に配慮いただいたときは 涙しました。

 

七時前に家をでて

帰ったのは11時過ぎ。

怒涛の4時間。

循環器の看護士から今夜は帰るのかと言われましたが

家に要介護3の父がまっておるのです。

 

この夜は気がたって睡眠3時間、

土曜日はさすがにぐったりでした。

 

 

母の元気なときの言葉。

 

「嫁いらず観音に参ってきたから」

  (娘と言えども最後は厄介をかけないから) 相当厄介はかけてもらっていますけど・・。

「急死したら心残りだろうから、1週間くらいわずらって死ぬわ」

 

なんと 母らしい上から目線の私に対する気遣いのある言葉だこと。

 

 

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母の緊急入院 2 広畑記念病院で

2014年12月21日 | よしなしごと・日々のつぶやき

地域の基幹救急救命センターですから

処置の早いこと。

もろもろの書類を書ききらないうちに間に検査が済み

急性大動脈解離と診断され

身内には連絡をとってください・・でしたから

素人でもこれは緊急とわかります。

 

すぐに心臓血管外科のある循環器病センターへ搬送が決まる。

今度は病院の救急車で搬送。

救急車の中で 検査データのディスクが出来上がるのを待ってすぐに出発。

 

ここでも循環器までの道は揺れますので

しっかりつかまってて下さいと注意される。

 

病院でトイレにいったのに

また揺れる車内で行きたくなった私。

あ やっぱり私も緊張してるんだわ。

 

母も自分の苦痛を訴えるだけの力はありますが

普通の人でも混乱するのに

アルツの母の困惑振りも・・

すばやく親切な処置に感謝です。

 

救命センター内で説明待ちをしているとき

見てはいけないのだろうけど

パソコンの画面で見えたのは

本日の救急搬送された人のデータ

氏名、年齢、どこの地域の救急車か。

 

それより 緊急度合いがランクわけされてそちらに目が行く。

緊急性なし から緊急まで5段階くらいだったかな

その日の緊急は3人 みなさん年輩。

寒いしね。

当然だけど 私がみた最後の欄は母でやっぱり「緊急」

 

ふ~ん そりゃ 救命センターだからいろんなデーターはいるわねと

ぼ~っと見ていました。

 

それにデータ入力や作成を担う専門の人がいました。

 

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母の緊急入院1

2014年12月21日 | 親・母(2014.12.23.84歳)父(2020.1.5.92歳))逝去

アルツハイマーは気付かぬうちに

ゆっくりやってきたが

さすがに これはいきなりでした。

 

夕食中、それも壬生娘の作った白菜の煮物を口に入れた瞬間

ピリピリする、胃が痛いと吐き出した。

 

え? 毒、盛ってないし

じいさんはパクパク食べたし

壬生娘困惑。

 

しかしそこはさすが子育て中の観察力。

すぐに唇の色が紫になったと

レッスン中の私に報告。

 

隣のかかりつけ医はまだ開いていましたが

動けそうにないので

119を呼んだ。

 

ちょうどレッスンの境目時間付近。

救急を呼んだ後、レッスンを壬生娘に代わってもらい

救急車のなかで以後のキャンセルをだし

それからあわただしい時間を過ごすことに。

 

白菜の煮物を食べたとたんだから

救急車の中では 研修中隊員から聞かれるのは食事のそこ。

しかし血圧も下がっていることだからと

広畑記念病院へ搬送。

 

もう父で何回か、救急車添乗はなれているものの

父の場合はすぐそこの中央病院でした。

 

今度は少し遠いので 急いでくれてるのはわかるけど

揺れる揺れる救急車。家をでる前にトイレにいったもののまた行きたくなる始末。

 

もうここ1年で

両親の 保険証 おくすり手帳 あらゆる診察券に

既往症、病歴を自分なりにまとめたファイルと

まさかの時の現金、印鑑はひとつにまとめているから

持ち出すだけ。

あとそれに私の携帯の充電コードと充電できない時の予備バッテリーと

手帳をつかむだけ。

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