読売新聞2011.08.09夕刊首都圏3版10面にハンプソンインタビューが掲載された。前半 2/3 が「子供の不思議な角笛から」について。PMJ が「ジャンル・歌曲作曲家 マーラー」で「子供の不思議な角笛から」のまさにハンプソン盤を書いていた時の掲載! 縁を感じる。
(鷲見一郎)
「子供の不思議な角笛」はドイツの民謡詩集を題材にとったマーラーの歌曲集。これまでにも名演・名録音が数多く残されている。ハンプソン自身にも、1990年代前半にピアノ伴奏の録音があるが、今回は、1人で全曲歌い、各楽器パートほぼ1人というきわめて小編成アンサンブルで臨んだという点でユニークだ。
「一つの歌曲集を2人の声楽家に分けて歌うのはナンセンス。男女で歌い分けずとも、登場人物像、精神世界を、マーラーは音楽だけで見事に表現している」。男性歌手と女性歌手で共演されることの多いこの歌曲集を、95年以来ずっと1人で歌っているという。「大事なのは、なぜこう歌うか、この作品では何が歌われているのか、ということです」
今の声楽界では、歌手自体が注目されすぎると指摘する。「どの声域で歌うかということより、いかに説得力を持たせるかが大切。聴く側が私の歌を聴いているのではなく、歌曲そのものを耳にする。あたかも映画のワンシーンを見せるかのようにすることが重要」
抜群の表現力を実現しながら、その歌い手自身の存在を感じさせない---。透明感がある音の追求は、オーケストラの編成にも表れている。「いかに室内楽的な音色を実現するか。マーラーの場合、『対話』の概念が中核になっている。楽器と言葉が対等、すなわち、ホルンの音色、フルートのデュエット、そして私の声が、優しく透明感を持って、会話を交わしているように」
(後半のPMF公演については、購入するか、図書館でご覧下さい)
(私高本コメント)
世界最大部数発行の読売新聞が総力を挙げた素晴らしい記事である。2011年現在『世界最高の現役マーラー歌手=ハンプソン』にこれだけのインタビューを取れたのは画期的。これまで明かされて来なかった点まで浮かび上がらせてくれたことには感謝するばかりである。
インタビュー記事は怖いモノで、思わぬところに「本音」が出るモノだ。この本音を引き出した鷲見一郎は超一流である!
ハンプソン マーラーの歌曲追求 「人間の深遠見えるように」
(鷲見一郎)
「子供の不思議な角笛」はドイツの民謡詩集を題材にとったマーラーの歌曲集。これまでにも名演・名録音が数多く残されている。ハンプソン自身にも、1990年代前半にピアノ伴奏の録音があるが、今回は、1人で全曲歌い、各楽器パートほぼ1人というきわめて小編成アンサンブルで臨んだという点でユニークだ。
「一つの歌曲集を2人の声楽家に分けて歌うのはナンセンス。男女で歌い分けずとも、登場人物像、精神世界を、マーラーは音楽だけで見事に表現している」。男性歌手と女性歌手で共演されることの多いこの歌曲集を、95年以来ずっと1人で歌っているという。「大事なのは、なぜこう歌うか、この作品では何が歌われているのか、ということです」
今の声楽界では、歌手自体が注目されすぎると指摘する。「どの声域で歌うかということより、いかに説得力を持たせるかが大切。聴く側が私の歌を聴いているのではなく、歌曲そのものを耳にする。あたかも映画のワンシーンを見せるかのようにすることが重要」
抜群の表現力を実現しながら、その歌い手自身の存在を感じさせない---。透明感がある音の追求は、オーケストラの編成にも表れている。「いかに室内楽的な音色を実現するか。マーラーの場合、『対話』の概念が中核になっている。楽器と言葉が対等、すなわち、ホルンの音色、フルートのデュエット、そして私の声が、優しく透明感を持って、会話を交わしているように」
(後半のPMF公演については、購入するか、図書館でご覧下さい)
(私高本コメント)
世界最大部数発行の読売新聞が総力を挙げた素晴らしい記事である。2011年現在『世界最高の現役マーラー歌手=ハンプソン』にこれだけのインタビューを取れたのは画期的。これまで明かされて来なかった点まで浮かび上がらせてくれたことには感謝するばかりである。
1994年までは「子供の不思議な角笛から」で「2人の歌手公演」をハンプソンは引き受けていた(1回目の録音はこの当時!)
2回目の全曲録音が「ハンプソン自身の歌い振り」については一切言及していないので、満足した出来では無いこと
インタビュー記事は怖いモノで、思わぬところに「本音」が出るモノだ。この本音を引き出した鷲見一郎は超一流である!