これから書くことは、9月12日に神奈川県で行われた「老田裕子 X 佐伯周子」の マーラー「子供の不思議な角笛」合わせ を聴き、私高本が感じたことを本日まで、新マーラー全集楽譜(オーケストラ版が主、ピアノ版も勿論照合)と突き合わせて、私高本が感じた通りに書く。素晴らしい演奏を聴かせて頂き、さらに深い「音楽の真実」を探求する 老田裕子 と 佐伯周子 には深く感謝するばかりである!!!
マーラー「子供の不思議な角笛」は摩訶不思議な曲集である。特にわからんポイントは
私高本の「犬のサンダル集め」を以てしても、「女声」どころか「テノール」さえ無かったことをここに報告する。この曲集は「バリトン向き」なのか?????
「旧マーラー全集」と言う言葉を(私高本も)使用する。だが、
ことを『大前提』として、ここに明記して置く。これって、金子建志 の一連の「マーラー著作」(音楽之友社)でも指摘されていない。誤解し易いところだ!
この「新マーラー全集」の全貌を伝えた文章を、私高本は知らない。他の作曲家、例えば「バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、リスト」とは相当に違う。(他の作曲家は研究したことが無いのでよくわからん><)
マーラー「子供の不思議な角笛」は摩訶不思議な曲集である。特にわからんポイントは
「角笛交響曲(第2番「復活」、第3番、第4番)」は全部が全部「女声ソロ」なのに、「子供の不思議な角笛」全曲録音は「女声だけ」は皆無! 全部「バリトン + 女声」 または 「バリトン」
私高本の「犬のサンダル集め」を以てしても、「女声」どころか「テノール」さえ無かったことをここに報告する。この曲集は「バリトン向き」なのか?????
「旧マーラー全集」と言う言葉を(私高本も)使用する。だが、
「マーラー旧全集」は、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト のように ブライトコプフ が出版した「体系だった全集」は全く存在しない!
ことを『大前提』として、ここに明記して置く。これって、金子建志 の一連の「マーラー著作」(音楽之友社)でも指摘されていない。誤解し易いところだ!
「旧マーラー全集」の対語 = 「新マーラー全集」である。
この「新マーラー全集」の全貌を伝えた文章を、私高本は知らない。他の作曲家、例えば「バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、リスト」とは相当に違う。(他の作曲家は研究したことが無いのでよくわからん><)