『無限に広がるかのような響き』を聴かせた「カンブルランの真面目なマーラー」
極めて自己主張の強いマーラー = カンブルランのマーラー であるが、説得力の高い演奏であり、終演後は「ブラヴォーの嵐」だけが降り注いだほど聴衆に支持された。その根源は
サントリーホールの舞台巾を目一杯利用した「左右への響きの広がり」が効果抜群であり、説得力を持っていたから
である。
弦楽器の配置が、左から Vn1, Va, Vc, Vn2 で、隣り合うのは ヴィオラとチェロだけ。だが、この配置は、第1ヴァイオリン ←→ 第2ヴァイオリン だけでなく、(マーラー交響曲第6番で頻発する)第2ヴァイオリン ←→ ヴィオラ の『左右のピンポン』を、それはそれは鮮やかに浮かび上がらせた。
弦楽器だけではない! 打楽器群も、第1ティンパニ(なんと右、コントラバスのすぐ左) ←→ 第2ティンパニ(打楽器群の左端)、2本のトライアングル、最大5人の「カウベル」 などなどが、左右に「ステレオ効果抜群」に配置され、効果を挙げていた。
これほどまでに緻密に、「左右ステレオ効果」を想定しての マーラー演奏 は、猫頭の私高本は思い付かない><
「カンブルランのマーラー」は、定評ある「カンブルランのラヴェル」「カンブルランのストラヴィンスキー」「カンブルランのメシアン」と同じく
「透明感が高く、緻密に描き込まれたマーラー = カンブルラン のマーラー」
である。言葉を替えれば「粘りつかないマーラー」である。「弦楽器のポルタメント」も極めてあっさり処理するし、リズム自体も粘りつかない。例えば「スケルツォ楽章 の 粘っこいフレーズ」も、結構あっさり処理される。
結果として「田舎くさい」とか「俗人っぽい」と称される マーラーの一面 は表面立って来ない。これは、同じシーズンの 「尾高忠明のマーラー交響曲第9番」「セゲルスタムのマーラー交響曲第5番」に比べても、はっきりした主張。「ニューヨークフィルから招聘されたマーラー」をイメージさせる!!!
ちなみに
「ハンマーは2回」、「アンダンテが先」、「第1楽章呈示部繰り返し実行」
であった。明日の公演が楽しみでならない。佐伯周子 と聴きに行く。