シューベルトは、生前は「歌曲」と「ピアノ舞曲」の出版に拠り、『大人気作曲家』であった!
「悲しみのワルツ」作品9/2 は、他の作曲家2名が「変奏曲」を作曲するほど、超有名な曲であった! シューベルトの死後もしばらくは、シューマン や リスト が「トランスクリプション(編曲)」を数多く残すほどの人気作品だったのである。その中心は、作品9、作品18、作品33、作品50、作品67、作品77、作品91 の「7つの生前出版大掛かりな舞曲集」であった。
多くのピアニストは「気に入った舞曲集を1つか2つ」または「任意で抜粋して再編成した曲集」を弾く。だが、佐伯周子 は「シューベルトが生前出版した通りの曲集のまま」弾く。佐伯周子 ほど、「シューベルト舞曲」を演奏会で弾くピアニストは他に知らない。「シューベルトオリジナル」を越える組み合わせがあるかどうか? 少なくとも、リストのトランスクリプション全曲録音した レスリー・ハワード の全集を聴く限りでは、リストの「抜粋編曲」は「シューベルトオリジナル」には達していないと感じる。リスト以上の感性を持つピアニストは今後現れるのだろうか?
今回から「出版時に全曲が新曲」のシューベルト舞曲集
である。名前が「粋」である!
「ウィーンの貴婦人レントラー」(原題は「美しいウィーンの女性たちを讃えて」)
1826年末に(次回演奏する)「高雅なワルツ」とほぼ同時期に作曲され、こちらは1826年12月15日にディアベリ社から、「高雅なワルツ」は翌1827年1月22日にハスリンガー社から出版された。この2社は印刷が速いので、作曲はおそらく1826年の10月から12月だろう。
題名は「出版社が提案し、シューベルトが承認した題名」である
この件については、ほとんど全ての解説が間違ったことを記載している。「出版社が(シューベルトの意思に反して)勝手に付けた曲集名」と。
シューベルト は「出版社はカネを支払ってくれる」ことが最も重要、「題名」や「曲名変更」やら「バラ売り」は『ご自由に』が基本。
さすがに「歌曲の題名大変更」は無かったようだが、器楽曲は 「ピアノソナタ」を「幻想曲(D894作品78)」や「行進曲(D823作品63&84)」などが実在するほど!!
シューベルトにとって、最少に言って「1825年3月交響曲グレート着手後の後期シューベルトにとって」は
楽譜商は「現金収入を与えてくれることが全て」であり、楽譜商が売り易いと感じるならば「曲名変更は承認」が基本。なぜなら楽譜商からの収入が「シューベルトの生活基盤」だったから
ディアベリ が思い付いたであろう「ウィーンの貴婦人レントラー」は、相当に良い名前であるし、「曲集」の雰囲気を伝えている名称だと感じる。「感傷的なワルツ」作品50D779 までの「シューベルティアーデでの思い出深い舞曲を交えた舞曲集」では、成し得なかったことが、「ウィーンの貴婦人レントラー」と「高雅なワルツ」では成就できた。
この雰囲気を伝えてくれる演奏をしてくれるように聴こえてくる 佐伯周子 のピアノ。読者の皆様も大いに期待して欲しい。