ピアノ製造100年超のヤマハ 最大の功績 = CF, C7, C3 発売の1967年
である。川上源一社長は「イタリアの調律師兼ピアノ製造者=タローネ招聘して コンサートグランドピアノ=CF 製作指示 だけだった、と後世残された資料からは読み取れる。だが、実際は
フランスを起点に ヨーロッパ中の音楽学校に ヤマハC3 が蔓延した
が「1980年までにヤマハ世界一の生産台数」の牽引力となった。CF では無いのである。これは
シフラ が ヤマハC3 を自宅用に購入
の宣伝が功を奏した結果である。
亡命ハンガリー人で、フランスに帰化したピアニスト=シフラ は、「ピアノの魔術師」と呼ばれた。1964, 1967, 1977, 1980 の4回来日している。
ヤマハがシフラを 初来日1964年に CF 開発に招聘、その際 シフラ が「G3 にCFアクション + CFハンマー装着 → C3 提案」、CF完成時に C3+C7同時発売
と相成った様子。
「シフラ がヤマハC3購入」がヤマハキャンペーンだったが、ヤマハ支払いギャラから支払う形式的な購入
であった。
G3 は、1954年に開発された「アメリカ学校ピアノ用」の響板で、ボールドウィンを目標にしていた。そのような「低品質響板ピアノにコンサートグランドピアノ用アクション + ハンマー 使用」は世界に例を見なかったし、その後も2024年に至るまで皆無。
ヤマハC3 は、ヨーロッパ音楽大学に蔓延した
ヤマハC3 の衝撃デビュー 1967年(No.2559) - Piano Music Japan
シフラの読み通り、パリ・コンセルヴァトワール を初めとする ヨーロッパ有名音楽大学に蔓延したのであった。