「日本らしさ」を見事に描き切った「狂言師 = 茂山千三郎」演出、舞台を牽引する役になりきった「井原秀人」
最近、「日本伝統文化の人」がオペラに関わる頻度が高まって来たように感じる。昨年11月に新宿文化センターで聴いた「オペラくご:ドン・ジョヴァンニ」も記憶に新しい。
私高本が伝え聞いているところでは
最初の成功例は1992年の市川猿之助演出サヴァリッシュ指揮R.シュトラウス「影のない女」
とのことなので、20年の歴史を積み重ねていることになる。私高本もいろいろなモノを見聞きして来た。
堺シティオペラ「ちゃんちき」の茂山千三郎演出は、『真正面から昔の日本の情景』を回顧させ、市川猿之助演出「影のない女」に比肩する!
私高本は全く知らなかったが
茂山千三郎は、メゾ・ソプラノ=郷家暁子(ごうけあきこ)とのコラボレーションコンサートを関西で多く重ねて来た実績あり
との記述がプログラムノートにあり。夫婦であり、クラシック音楽への造詣は深い。
(私高本の記憶に拠れば、市川猿之助演出時は「指揮者 = バイエルン国立歌劇場芸術監督 = サヴァリッシュ」がいろいろなアドバイスをした、と来日公演プログラムに記載あった。)
茂山千三郎演出は『狂言の足遣い』を徹頭徹尾貫きながら「オペラらしさ」を全く損なわない演出
である。私高本は狂言についての知識が皆無なので、どこがどのようにと「狂言用語」で説明が不可能であるが、冒頭の「狐のおとっさま & 子狐ぼう」登場から、
(ヨーロッパ狐では無く)日本狐 の雰囲気ぷんぷん!
なのだ。「衣裳」が大きく貢献していることは確かなのだが、私高本が和服を着ても「狂言師」「落語家」「将棋指し」「華道家」のように振る舞えるワケでは無い。(32年前の「成人式」に着ただけだからなあぁ、、、)
茂山千三郎演出は、『瞬間の主役』が全ての聴衆の目を惹き付ける が主眼!
「おとっさま」だったり「ぼう」だったり「おとっさまが化けた美人」だったり「だまされるカワウソのかわ兵衛」だったりするのだが、
『動 と 静』が信じられないほどはっきりと投影される!
「素晴らしい演出」は「演じる歌手」がその意図を十全に発揮しないと、聴衆には伝わらない。この日は「はっきり伝わった」ことを、評論家=高本秀行 が責任を持って明記する。主要5役のソリスト全員が素晴らしかったことをお伝えした上で
「おとっさま役 = 井原秀人」の「音楽的 & 俳優的 存在感の大きさ」が公演の大成功の牽引車の原動力
と感じた。私高本が、井原秀人 をオペラで聴くのは2度目。前回は、新国立劇場地方招聘公演「黛敏郎:金閣寺」だった。「迫真の狂気の世界」を描いて、東京でも大評判になったのだが、その後、新国立劇場オペラに招聘された記憶が無い。新国立劇場スタッフは何を聴いて何を観ているのだろうか? これほどのバリトンは、今関東に居たっけ?(爆
(もちろん、世界から招聘してくれていることには感謝して「定期会員」になってまっせ!)
團伊玖磨「ちゃんちき」を聴くのは2度目だが、「おとっさま」の存在感がこんなにあるオペラだとは知らなかった。前回はまだ團伊玖磨が存命中で「團伊玖磨の思い通り」に(演出を含め)進行していたハズだが、没後の(しかも「関西初演らしい」)堺シティオペラ公演で、「役の重み」をはっきり感じた。
バカ息子を抱え込み、「今日のメシ」さえ危なっかしい「狐親子」の世界。(「金閣寺」の時は分からなかったのだが)井原秀人は「音」だけでは無く「所作」までも含め『細部表現を実現』する。
こんなにうまいバリトン日本に過去居たかな? ディートリヒ=フィッシャーディースカウ とか プライ とか、「過去も含めた世界」には多数いるのだが、「今の瞬間の日本」では誰がいるだろうか?
指揮=船曳圭一郎、水野智絵、柳内葵衣、クリスヤニス・ノルヴェニス、片桐仁美、合唱団員、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団 の皆様に感謝する!
「ちゃんちき」がもしかすると「夕鶴」を上廻るかも知れないオペラ、と気付かせてくれたのは、誰1人欠けるところ無い素晴らしい「歌唱 & 演技」のおかげである。團伊玖磨監修(と言うか、演出も含め「全部を見渡していた」と伝聞されている)「生前の仲良かった当時の二期会公演」を遥かに上廻る公演が聴ける! なんて、さすがに私高本も全く想像付かなかった。
東京の聴衆にも是非是非「堺シティオペラ:團伊玖磨:ちゃんちき」を聴かせて見せて欲しい!
と感じる。何とかならないものだろうか???