石破茂の地方創生と岸田文雄のデジタル田園都市構想 - 政治は夢を若者に語れ
総裁選に向けて石破茂が4日に政策集を発表した。「石破ビジョン」と名付けられている。この中身が非常にいい。「一人一人が居場所がある日本を作りたい」と言い、まるで野党の選挙公約のような内容になっている。持論である防災省の設置に加えて、東京一極集中是正担当相を設置し、地域分散と内需主導型経済への転換を図り、300万人の地方移住を実現すると言っている。PCR検査の抜本的拡充も言っている。私は、防災省にも地方移住策にも賛成だ。前回、「コロナ時代の経済と生活 - 農業立国の展望とテレワークの新都市・新住宅の提案」という記事を上げたが、ここで論じた具体策を採用してもらいたいと思う。地方移住は、300万人と言わずもっと規模を拡大し、今世紀中頃と言わずもっと前倒しの計画にしてもらいたい。10兆円の農水産物加工品の輸出産業を創出する野心的挑戦を、石破茂の「地方創生」の中身にすることを期待する。人を大都会から地方に移住させるためには、そこに産業がなければならない。
ドイツは8兆円の農産物・食料品の輸出額を誇っている。フランスにも同規模のその産業がある。ワインやチーズやチョコレートを生産して、世界に輸出して国富を築いている。前回も述べたが、日本には恵まれた市場的条件があり、日本ブランドの製品をほとんど信仰のように愛好し、品質や安全性を信頼しきっている14億人の胃袋が隣に存在する。その向こうにはさらに6億人のASEAN圏があり、中間層の所得と生活を持ちつつある消費者がいる。日本がやるべきは、チーズやチョコレートのような食品類型を開発してマーケティングすることだ。嗜好品・スイーツの定番商品とブランドを確立し、アジアと世界の日常の食習慣に定着させることである。それを成功させれば10兆円の新産業を実現することができ、地方に就業機会を作ることができる。私はこの大型の国家戦略事業を、新しく公社を作って実行するべきだと考える。地方創生公社を立ち上げる。優秀な人材を民間から集め、満鉄みたいな組織にして経営したい。経産省には所管させない。
コロナの時代になり、テレワークの時代になり、俄に人々が地方に自宅を持って暮らすことを考え始めている。自然の豊かな地方に定住するライフスタイルを夢見始めている。ぜひ政府は、若者たちに夢を持たせるべきなのだ。嘗て、高度成長の初発のとき、政府は2DKの公団住宅を設計建設し、宣伝し、農村の若者たちに夢の都会生活を憧憬させ、東京や大阪に労働力人口を集中させた。そうやって日本経済を発展せしめた。それと同じことを逆方向でやればいい。今回、岸田文雄がデジタル田園都市構想を打ち上げ、大平正芳の田園都市構想が回顧されている。40万人の定住圏が構想されていた。大学生だった頃の話で懐かしい。これは、高度成長で大都市に人口が集中しすぎた歪みを是正しようという動機から発想された四全総の政策案だった。私は、平井卓也のデジタル田園都市構想を何も知らず、20万人規模のテレワークタウンを分散して新規に建設をと書いたが、考えることは誰も同じなのだなと思わされる。つくばのような新都市を各地に造成すべきだ。
岸田文雄や平井卓也になく、私のコンセプトが独自なのは、その中核に住宅構想のアイディアが入っている点である。これからの若い日本人に広い間取りのマンションを供給するという革命的な住政策だ。一戸150平米から200平米の快適な住居を与える。テレワークとオンライン授業に十分なスペースを持ったフロアプランにする。また、居住者が高齢化したときの福祉施設の応用を考え、災害時の避難所を兼用することを深慮し、単に従来型の独立した私的な集合住宅でなく、汎用的で公共的な機能と属性を持たせたところの、デジタル田園都市の21世紀型マンションを建設する。そのモデル住戸をUR(住宅都市整備公団)が設計し、嘗ての高度成長時の高島平の公団アパートのように宣伝する。「経験したことのない」自然災害が定常的に発生し、パンデミック禍が日常化した時代の、それらに耐えられ、その環境に適用した規格と仕様の建築物を作る。新概念の日本人の居住空間を作り、テレワーク環境をプラットフォームにする労働者の地域定住圏を作る。
前の記事を書きながら、広い間取りの住宅構想のコンセプトには、二つの重大な効能と利点があるのではないかと気づいた。一つは、結婚した夫婦の子ども数が増えることである。日本の新生児をどうやって増やすか、出生率をどうやって高め、人口減少をどう食い止めるかは、まさに国家の第一の問題だ。新築マンションの規格が狭すぎることが、子どもが増えない、子どもを増やせない要因の一つだったのではないか。単に収入の問題だけでなく、供給され市販される住戸の部屋数やスペースも足を引っ張っていたのではないか。3LDK70平米の標準的な仕様は、夫婦が家族として迎える子どもを一人に限定づけ、二人目を躊躇させる桎梏のサイズだったと言える。標準面積を150-200平米に倍増させることで、この問題を突破できる政策的展望が開かれるのではないか。そう楽観する。もう一つ、ややクリティカルな問題だが、いわゆるアスペルガーとかADHDなどの子どものコミュニケーション障害の問題、すなわち、急増する特別支援学級の子どもの問題がある。
自然に親しめる環境だとそれが少なくなるのではという点もあるが、着眼の急所はそこではない。テレワークが働くスタイルの標準になる時代になれば、アスペルガーとかADHDの評価や認識は今とは違ってくるのではないかと。ビル・ゲイツがその障害を持っていることは有名で、三木谷浩史もそうだと言われている。東大生の4人に1人はアスペルガーで、他の大学の学生と比較して際立って多いという情報もある。テレワークが標準になり、リモートで労働の価値を生産する時代になると、いわゆるコミュ障の問題は労働力の評価において相対視されるようになるかもしれない。そんなことを漠然と想念する。一方で、どう考えても、日本の企業のITスキルは中国や台湾や韓国と比べて劣っている。民間企業のITスキルの水準の低さが、政府機関のその能力の低さと連動している。国民全体の平均レベルが劣っていて、技能向上が焦眉の課題だ。この時代、国力や企業力、産業競争力は、まさにITスキルによって担われ、競争力全体に反映し影響する。コロナの時代は特にそうだ。
マクルーハンが提えた「グローバル・ビレッジ」の概念は、われわれの世代には昔懐かしい子守歌だが、まさに、企業も労働者も「グローバル・ビレッジ」の森に住む時代になった。それは、分業と協業が物理的に異空間となり、個が個としてより独立して(孤独に)労働する世界の出現だと言える。労働者は今よりも格段高いITスキルを身につけなくてはいけないし、高度で最先端の技術を使いこなせないといけない。それを使いこなせる国が競争で勝ち残る。仕事をするということ、労働の生産物を作り出すということが、ITの技術を身につけ、中国語など他国言語を身につけることと境目がなくなるような、そういう勤務の実態になるような気がする。労働がIT化され、労働過程がITで秩序づけられ編成され、労働の生産物の価値の中身が、ITの知識や技術の対象化(マルクス)で大半を占めるような、会社の会議もIT・AIの専門用語が半分以上飛び交って進行する、そういう時代になるのではないか。今はTOEICが高得点でないと執行役員になれないが、プログラマでないと執行役員どころか部門のマネジャーにもなれない時代になるかもしれない。
とまれ。私は、政治はやはり若者に夢を提供しなくてはいけないと思う。石破茂の地方創生と、岸田文雄のデジタル田園都市構想は、それがどこまで国民に内在したビジョンなのか不明だけれども、聞いて前向きな感想を持つ政策論であり、未来の日本に思いを馳せる契機になる政治素材である。野党こそ、本当はそうした夢を日本の若者に提供しなくてはならず、その可能性や具体論を言わなくてはいけない。この10年、20年ほど、そうした夢のある政策論が全く語られることがなく、富裕層と外資と大企業がさらに金儲けして労働者から搾り取る政策と、国に何かの給付をお願いしたり、給付削減や増税は困りますと泣いたり、そんな夢のない政策論ばかりだった。
ドイツは8兆円の農産物・食料品の輸出額を誇っている。フランスにも同規模のその産業がある。ワインやチーズやチョコレートを生産して、世界に輸出して国富を築いている。前回も述べたが、日本には恵まれた市場的条件があり、日本ブランドの製品をほとんど信仰のように愛好し、品質や安全性を信頼しきっている14億人の胃袋が隣に存在する。その向こうにはさらに6億人のASEAN圏があり、中間層の所得と生活を持ちつつある消費者がいる。日本がやるべきは、チーズやチョコレートのような食品類型を開発してマーケティングすることだ。嗜好品・スイーツの定番商品とブランドを確立し、アジアと世界の日常の食習慣に定着させることである。それを成功させれば10兆円の新産業を実現することができ、地方に就業機会を作ることができる。私はこの大型の国家戦略事業を、新しく公社を作って実行するべきだと考える。地方創生公社を立ち上げる。優秀な人材を民間から集め、満鉄みたいな組織にして経営したい。経産省には所管させない。
コロナの時代になり、テレワークの時代になり、俄に人々が地方に自宅を持って暮らすことを考え始めている。自然の豊かな地方に定住するライフスタイルを夢見始めている。ぜひ政府は、若者たちに夢を持たせるべきなのだ。嘗て、高度成長の初発のとき、政府は2DKの公団住宅を設計建設し、宣伝し、農村の若者たちに夢の都会生活を憧憬させ、東京や大阪に労働力人口を集中させた。そうやって日本経済を発展せしめた。それと同じことを逆方向でやればいい。今回、岸田文雄がデジタル田園都市構想を打ち上げ、大平正芳の田園都市構想が回顧されている。40万人の定住圏が構想されていた。大学生だった頃の話で懐かしい。これは、高度成長で大都市に人口が集中しすぎた歪みを是正しようという動機から発想された四全総の政策案だった。私は、平井卓也のデジタル田園都市構想を何も知らず、20万人規模のテレワークタウンを分散して新規に建設をと書いたが、考えることは誰も同じなのだなと思わされる。つくばのような新都市を各地に造成すべきだ。
岸田文雄や平井卓也になく、私のコンセプトが独自なのは、その中核に住宅構想のアイディアが入っている点である。これからの若い日本人に広い間取りのマンションを供給するという革命的な住政策だ。一戸150平米から200平米の快適な住居を与える。テレワークとオンライン授業に十分なスペースを持ったフロアプランにする。また、居住者が高齢化したときの福祉施設の応用を考え、災害時の避難所を兼用することを深慮し、単に従来型の独立した私的な集合住宅でなく、汎用的で公共的な機能と属性を持たせたところの、デジタル田園都市の21世紀型マンションを建設する。そのモデル住戸をUR(住宅都市整備公団)が設計し、嘗ての高度成長時の高島平の公団アパートのように宣伝する。「経験したことのない」自然災害が定常的に発生し、パンデミック禍が日常化した時代の、それらに耐えられ、その環境に適用した規格と仕様の建築物を作る。新概念の日本人の居住空間を作り、テレワーク環境をプラットフォームにする労働者の地域定住圏を作る。
前の記事を書きながら、広い間取りの住宅構想のコンセプトには、二つの重大な効能と利点があるのではないかと気づいた。一つは、結婚した夫婦の子ども数が増えることである。日本の新生児をどうやって増やすか、出生率をどうやって高め、人口減少をどう食い止めるかは、まさに国家の第一の問題だ。新築マンションの規格が狭すぎることが、子どもが増えない、子どもを増やせない要因の一つだったのではないか。単に収入の問題だけでなく、供給され市販される住戸の部屋数やスペースも足を引っ張っていたのではないか。3LDK70平米の標準的な仕様は、夫婦が家族として迎える子どもを一人に限定づけ、二人目を躊躇させる桎梏のサイズだったと言える。標準面積を150-200平米に倍増させることで、この問題を突破できる政策的展望が開かれるのではないか。そう楽観する。もう一つ、ややクリティカルな問題だが、いわゆるアスペルガーとかADHDなどの子どものコミュニケーション障害の問題、すなわち、急増する特別支援学級の子どもの問題がある。
自然に親しめる環境だとそれが少なくなるのではという点もあるが、着眼の急所はそこではない。テレワークが働くスタイルの標準になる時代になれば、アスペルガーとかADHDの評価や認識は今とは違ってくるのではないかと。ビル・ゲイツがその障害を持っていることは有名で、三木谷浩史もそうだと言われている。東大生の4人に1人はアスペルガーで、他の大学の学生と比較して際立って多いという情報もある。テレワークが標準になり、リモートで労働の価値を生産する時代になると、いわゆるコミュ障の問題は労働力の評価において相対視されるようになるかもしれない。そんなことを漠然と想念する。一方で、どう考えても、日本の企業のITスキルは中国や台湾や韓国と比べて劣っている。民間企業のITスキルの水準の低さが、政府機関のその能力の低さと連動している。国民全体の平均レベルが劣っていて、技能向上が焦眉の課題だ。この時代、国力や企業力、産業競争力は、まさにITスキルによって担われ、競争力全体に反映し影響する。コロナの時代は特にそうだ。
マクルーハンが提えた「グローバル・ビレッジ」の概念は、われわれの世代には昔懐かしい子守歌だが、まさに、企業も労働者も「グローバル・ビレッジ」の森に住む時代になった。それは、分業と協業が物理的に異空間となり、個が個としてより独立して(孤独に)労働する世界の出現だと言える。労働者は今よりも格段高いITスキルを身につけなくてはいけないし、高度で最先端の技術を使いこなせないといけない。それを使いこなせる国が競争で勝ち残る。仕事をするということ、労働の生産物を作り出すということが、ITの技術を身につけ、中国語など他国言語を身につけることと境目がなくなるような、そういう勤務の実態になるような気がする。労働がIT化され、労働過程がITで秩序づけられ編成され、労働の生産物の価値の中身が、ITの知識や技術の対象化(マルクス)で大半を占めるような、会社の会議もIT・AIの専門用語が半分以上飛び交って進行する、そういう時代になるのではないか。今はTOEICが高得点でないと執行役員になれないが、プログラマでないと執行役員どころか部門のマネジャーにもなれない時代になるかもしれない。
とまれ。私は、政治はやはり若者に夢を提供しなくてはいけないと思う。石破茂の地方創生と、岸田文雄のデジタル田園都市構想は、それがどこまで国民に内在したビジョンなのか不明だけれども、聞いて前向きな感想を持つ政策論であり、未来の日本に思いを馳せる契機になる政治素材である。野党こそ、本当はそうした夢を日本の若者に提供しなくてはならず、その可能性や具体論を言わなくてはいけない。この10年、20年ほど、そうした夢のある政策論が全く語られることがなく、富裕層と外資と大企業がさらに金儲けして労働者から搾り取る政策と、国に何かの給付をお願いしたり、給付削減や増税は困りますと泣いたり、そんな夢のない政策論ばかりだった。