最終章だけど、、、

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善人ばかりの家庭ではよくケンカする!?(続編)

2020-08-15 08:44:16 | 日記
続編なんて仰々しいタイトルまでつけて、私も、ほんと、物好きだわぁ~~と半ば呆れ、半ば、どうしても明るく終わらないと、と自分を奮い立たせます。

二人の兄たちは、それぞれ、首都圏にマイホームを持ち、自分たちの子どもの教育に余念がない時期を経て、あるいは、兄は、母の気持ちもわかるようになってきたようでした。母もケンカしてまでわかる相手として、義姉でなく、兄を、なんといっても実子ですしね。
ケンカして、よく話し合って、ケンカ以前より余計仲良くなるなんて、あり得ない、と、私はここでも意地悪性悪説ですね。

そんな母の一代を間近に見てきた私は、いよいよムスコが自分の家庭を持つという時、一つ心に難く決めました。「お嫁ちゃんとは、一度たりともケンカしない。どんなことがあっても互いに悪意を一瞬でも持つことを避けたい」と誓ったのです。
母はお正月にしても、日ごろ懐石料理をこなしている腕前を発揮して10数人分のお節を準備して、息子娘が家族連れでやってくるのを待ちました。それは母には相当の疲労になったはずですが、ひとりで段取りして涼しい顔できちんと正装して新春を迎える。義姉は、何をどう手伝っていいやら、うろうろ、ばたばた、注意されないようにしても。。。
お盆、お正月は、一斉に一同が揃うので、ほんとうの夏休みや冬休みは義姉にはなかったのではないか、とも思います。
で、私は、帰省してくるムスコ夫婦と一緒にお盆とお正月は二泊、温泉やホテルで過ごすことでだれもおさんどんの苦労をせずに済む、お手軽な方法を取り入れました。
そのあと、お嫁ちゃんは実家に泊まりに行きます。このごろでは、実家よりは、こっちの方が楽だから、と更にこちらで泊まっていくこともあります。そんな言葉が嬉しくて、何でもしてあげたい気持ちが高まります。つまり甘い母なのです。ケンカするところか、何一つ教えることもなく、友人夫婦と一緒に過ごす感覚でしょうか。

厳格だった母を反面教師に、私は持ち前の怠惰そのものを発揮して、だれも働かないで済む休日を、とその準備に余念がありません。

10年経ったこうした新家族とのふれあいが、つい昨日こんな形で「可」という評価を得たように思います。ムスコ夫婦が一緒に選んだというお豆腐の小さい詰め合わせが送られてきました。

コロナも熱中症も心配、とにかく、お二人の元気が私たちの幸せの原点ですから、とお嫁ちゃんが電話口で言ってくれました。

毎年温泉ご招待夏冬2回、誕生日とお年玉を十分気前よくあげる(自分の好きなものを買えるように) 帰省時には、ガソリン料と道中の食事代を家人がはずみます。
まるでお布施をお寺さまにさしあげるように、ですね。←たとえが悪いですが
その結果、


食べ方は


まるで円満家庭の自慢のようになりました。
多年に渡って、真面目に家庭経営をしてきた母とは大違いの手抜きのだらしない私のたった10年の姑歴をたどってみて、

これでよかった、ケンカはしない、させない このままいこう
とあらためてにんまり、笑いじわを深くするぽこなのでした、
お気にさわる記述があるかと思いますが、その際は読まない選択をお願いします。
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善人ばかりの家庭ではよくケンカする!?

2020-08-15 08:36:30 | 日記
おはようございます。
昨夜、ふとしたことで、以前よくやっていたゲーム機3DSをどこにしまったか気になりだして、探したら、ピアノの椅子の下にありました。
表面の色が変色するくらい、ずっと手にしなかったのは、自分にとって必ずしも喜べないことかもしれません。ステイホームの流れは、コロナ収束のあとも一つの生活様式として残るかもしれません。その時、ゲームにうつつを抜かすのもひとつの手でしょう。囲碁将棋など高尚なゲームの方がよりいいのは分かっていますが、相手が必要なものは、限界があります。

で、久しぶりに少しだけやってみたら、以前と違って続かないのです。妙に頭が痛くなります。目から来るのか, 3次元の画面に慣れないからなのか、すぐにギブアップしました。
ベッドに入ってからも、目の奥がちかちかして、頭も重く、寝つくことができません。日中のことをいろいろ思いだして、そうだ、今日(14日)の一番気になったのは、あのことだったわ、と思い思いしているうちに、そのことが私には難しすぎる命題だったので、やがて眠っていきました。

今朝早く目が覚めた時には、頭痛が治っていてほっとしています。
そして、昨夜眠れないで考えていたらいつの間にか寝入ったあのことをまた思い出しました。
それは、私の両親の墓参の際、お寺の墓地への入口門の門標のように、書かれてあった言葉でした。『善人ばかりの家庭ではよくケンカする 翻って悪人ばかりだとケンカしない』ネットで少し検索するとどうやら悪人正機説推奨のための諭しらしいです。善人は自分が正しいと思うから主張を曲げない、善人ばかりだとすぐにケンカになる。悪人がそろうとそうならない、とこんなところらしいです。
まあ昨今、いい話はあんまり聞けないのですが、悪人たちも自分の損得に目の色かえて、口角泡をとばして争っているようにも感じられますけどね。
私は、二つの理由で善人がいるところ、ケンカあり、説が気になりました。
第一に、私自身のことです。たぶん、争いごと嫌いの(苦手の)筆頭をいくのでは、と思い、周囲の人の方が、私の代わりに怒ってくれたおまけつきです→私は腹黒なのかもしれない
第二に、自分の育った家庭のことです。父は不言実行タイプで、多くを語らず、自分のすることで人にわかってもらおうというところがありました。母は明るく、気が小さく、一見、頼もしく見えましたが、悩むと底に落ちるタイプでした。子供三人と夫婦とのいわゆる核家族時代は、まあ明るく憂いの少ない家庭でした。いよいよ、長兄、次兄、そして私、とそれぞれが、家庭を持つようになり、その後の実家のありようは、私の今に至るまで影響を及ぼしたと私は思っています。結婚で、戸籍が独立するように、子供たちは家を離れます。両親は二人家族になりました。それまで子供一筋で生きてきた母は、子供たちに日ごろの接触はともかくとして、年に2、3度(お正月、黄金週間、お盆)と帰省を待ち焦がれたのも自然ではあります。
ただ、ひとつのことだけが、後年、私の疑問点になっていきます。
それは、お互い相手が理解できないときは、とことん、話し合う。自分の意見を分かってもらい、相手の意見も聞かせてもらって理解したい。ケンカはその時は、いやなおもいがするけれど、その後のためには、発展的ないい方法だ、という母の考えでした。雨降って地固まる式でしょうか。言わなきゃわかんないでしょ、と長兄妻にも次兄妻にも忌憚ない言葉をまず、母から発したのだと思います。いくら普段は遠く離れて暮らしていても、姑の話は迫力があるうえ、母はいろいろなことに長けた人でもあったので、義姉は二人とも相当緊張したと思います。母には娘の私の存在が自信につながっているという義姉側からは嬉しくない状況もありました。その結果はケンカして余計に仲良くなる、なんて嘘っぱちもいいところで、絶縁に近い期間が常識を超えて長く続きました。義姉は、母を理解することなく、被害意識と報復したいという気持ちしかなかった、と私には思えた局面を何度か見ました。
そんな意味では、晩年は母の方が、静かに逆らわないで、ことを荒立てないようになっていたと思います。
ずっと、母の悩みを聞かされ、皆がそろうとどことなく重い雰囲気になるのも目の当たりにして、私はむしろ、母が、母の考えが、反面教師となっていくのでした。

辛いことが続いて、いったんここまで送信します。 
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