ものすごく感動した。小さな命。
昨日 天神様の奥様から、めだかの子を見せていただいた。
奥様は、茶道や華道の先生で、さすが夏らしい 「しつらい」で硝子鉢に珊瑚や藻とともに、メダカの稚魚を飼っておられる。生まれて一日ほどのメダカは、誠に小さく一ミリ余、動いていないと水中のごみに過ぎないほど。
それが動き回って、一匹、一匹が命を得て無心に泳いでいる。
じいっと眺めていると、自分もその中の一匹になったような不思議な気分になる。 この小さい命、どこから来たのか。透き通るような微塵のボデイに もう黒目だけは しっかり確認できる。
少し大きくなって、ジュニアのメダカは別の鉢に移され、さらに大きくなって、大人のメダカはお庭の蓮池に放たれる。
三センチほどが、俊敏な泳ぎで蓮の葉陰に隠れる。別に三枚におろして、刺身して食われるわけでもないのに、人影におびえてさっと身を隠す。人間って信用なら無い悪だとメダカは、そう思っているらしい。
池の蓮も、古代蓮で2千年も前の種が、芽を出し蓮になり見事な花をつけていると奥様。
大宇宙からすれば、人間も このメダカよりも ちいさなものナノだ。
メダカ、蓮、人間、みんな一瞬の命の輝きにすぎない。
生命の不思議について考える。 生きて生かされている有難みをメダカは、蓮の花に訊ねているだろうか。
「何思う 蓮の葉陰の メダカかな」 秦 吉天子