ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

めだか・命

2006年09月01日 | まち歩き

ものすごく感動した。小さな命。

昨日 天神様の奥様から、めだかの子を見せていただいた。

奥様は、茶道や華道の先生で、さすが夏らしい 「しつらい」で硝子鉢に珊瑚や藻とともに、メダカの稚魚を飼っておられる。生まれて一日ほどのメダカは、誠に小さく一ミリ余、動いていないと水中のごみに過ぎないほど。

それが動き回って、一匹、一匹が命を得て無心に泳いでいる。

じいっと眺めていると、自分もその中の一匹になったような不思議な気分になる。 この小さい命、どこから来たのか。透き通るような微塵のボデイに もう黒目だけは しっかり確認できる。

少し大きくなって、ジュニアのメダカは別の鉢に移され、さらに大きくなって、大人のメダカはお庭の蓮池に放たれる。

三センチほどが、俊敏な泳ぎで蓮の葉陰に隠れる。別に三枚におろして、刺身して食われるわけでもないのに、人影におびえてさっと身を隠す。人間って信用なら無い悪だとメダカは、そう思っているらしい。

池の蓮も、古代蓮で2千年も前の種が、芽を出し蓮になり見事な花をつけていると奥様。

大宇宙からすれば、人間も このメダカよりも ちいさなものナノだ。

メダカ、蓮、人間、みんな一瞬の命の輝きにすぎない。

生命の不思議について考える。 生きて生かされている有難みをメダカは、蓮の花に訊ねているだろうか。

 「何思う 蓮の葉陰の メダカかな」 秦 吉天子


健全なる精神は、健全なる・・・・

2006年09月01日 | ニュー・諺

「健全なる精神は健全なる財布に宿る」

宿るのは「身体」でなく 「財布」なのでありまし。

ローマの詩人ユヴェナリスの「健全な身体に健全な精神があるように祈るべきである」という原文から、「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の諺となったそうじゃ。

お守りやお札の、祈願文に「身体健全、家内安全」がある。

当節、祈りたいほど体のすべてが健康であることは困難。

無病息災、五体満足と願っても、どこかに患いや不自由が付きまとう人のほうが多いのでは。 そんな現代人は、健全な精神は持ち得ないのか。否である。

健全で、ゆったりした精神になれるのは、豊な財布である。健全な財布にこそ、健全な精神が宿る。

昔から「金持ち喧嘩せず」というではないか。

それゆえ、この爺は、常に百万財布に入れて持ち歩くことにしている。

豊な気持ちで明るく日常を過ごし、まさに健全な精神でいられるのじゃ。

使うことも無いので減らないし、欲張って増やそうともしないので、家出るときの百万は、帰ってきても百万入ったままじゃて。

心豊に、笑顔が絶えない、健全な生活を送っていますよ。

不当に得たものでもなく、偽札でもないこの百万というものは、財布の中でぬくぬくと休んでいるよ。

百万だよ。豊だなあ~。 うらやましか。財布の中にひゃくまん。

誰が百万円といった。 ただの百万だ。

ある日 心をしずめ、墨をすって和紙に百万円と清書して、たたんで財布の奥深くに入れただけじゃ。

掏りにすられても、被害ゼロ。安心して健全な精神の持ち主で居られるとよ。

使わないで持っているだけなら、真券でなくても、自筆の紙切れでも同じ。使うときは生きた金を使いなされ。  今日の教訓。