七月九日の朝日新聞朝刊に、『心はどこに』「研究相手はダンゴムシ」なる記事が出ていた。
昔から「一寸の虫にも五分にの魂」という。ダンゴムシだって心があるとの研究。
研究するまでもなく、人間以外の生物にも心や神経があると、吉天は信じる。(鈍感か、敏感かは別として)
常々思う人間は残酷だと。生きたまま、火にあぶったり、ゆでたりして魚介類を料理して食べる。弱肉強食、焼肉定食?
食べ物は、天の恵みとか、魚には痛いと言う感覚がないとか、人間の勝手な言い分で、生きる糧としていただいている。
夏の土用ともなれば、沢山の鰻が引き裂かれて焼かれて人間どもの胃の腑におさまる。ぬるぬると逃げ回っても、料理人の手にかかって最期をとげる。
痛かろう熱かろう。
夢、人間様のお役に立てて本望などとは思っていないであろう。
上野の池之端弁天堂のそばに、「ふぐの塚」がある。ふぐ料理の料理屋や料理人の組合で建立した供養塔である。そろそろ池の蓮の花がさき始めた。
ふぐや、魚にも心あること、その命をいただいて、生業(なりわい)とする料理人のしょく罪の気持ちが「塚」である。
ダンゴムシにも心がある。
「選挙民にも、心がある」ことを忘れるな。
喝!