その後、思い残すことのないようにもう一度「MOMA美術館」に行くことにしました。
ふつう月曜日と言うのは、図書館にしても美術館にしても閉まっているのですが、ここ「MOMA美術館」は月曜日を開けて、火曜日が休みにしています。
と言うことは、「ニューヨーク」に来た人に、どこかの美術館へいけるように工夫をしているのではないかと思いました。
ちなみに、「アメリカ自然史博物館」はクリスマス期間と「サンクスギビングデイ」以外は年中無休です。
この画像は「MOMA美術館」の中庭ですが、こういうところには人が集まってきません。
中庭から上を見上げると、いかにも「ニューヨーク」らしく、高いビルが見れます。
アメリカの画家と言えば、「アンドリュー・ワイエス」という画家が有名ですが、この絵が見れたのはここ「MOMA美術館」だけでした。
この作品は初期の作品で「クリスティーナの世界」というタイトルの絵ですが、足の不自由な女の人が我が家へ向かって一生懸命帰ろうとしている場面です。
いろいろなアメリカ絵画を「メトロポリタン美術館」等でも見ましたが、この絵と同じようなテーマの作品が多く、「人の孤独と大自然」のようなものを表しているものが多かったように思えました。
「アメリカ」という大国の中に一人の個人が、いかに「孤立」しているかそれを「アンドリュー・ワイエス」等の画家は描いています。
これに反して「ヨーロッパ絵画」は自然の中にとけ込んだ、人々の「喜びと賛歌」のようなものが多数感じられたのには驚かされました。
「モンドリアン」の「ブロードウェイ・ブギウギ」にしても、うえから見た「ニューヨーク」の町を抽象化して描いていますが、そこには人の姿がなく、あるのは町の形態だけです。
「リキテンシュタイン」のこの絵もよく見ると、アメリカ人の一人ひとりの内面を表していて、「自立」と言う言葉の裏に潜む「投げやりな孤独」の影が読み取れます。
私も「ニューヨーク」に行き、今回いろいろなことを学んで来ましたが、本当に「ニューヨーク」に住んでいる人達の気持ちが表れている絵だなとその時つくづく思いました。
我々は何気なくこうした絵を見ていましたが、そこには人々の心の中から湧き出てくるものが理解できなかったと言うこともあります。
「アンリ・ウォーホル」の絵画にしても、どこか無機的な感覚が伝わり、中心に「マリリンモンロー」という女優を置き、周りの空間をとても広くとっていますが、これも私には象徴的な存在はあっても、「一人ひとりの個人」の存在がないアメリカを代表しているようにうつりました。
皆さんも知ってのとおり、「マリリン・モンロー」は若くして自殺します。
これは「ポロック」と言う画家の抽象画ですが、一時的に流行った手法でこの絵画の中にも「混沌としているアメリカ」を見ているようでした。
あまりにも大きな国である「アメリカ」の存在が、つかみどころのないものとして一人の画家の心に映ったのかも知れません。
皮肉にももの画像は、一人のアメリカ人が一生懸命好絵を見て、今の自分を考えなおしているかのように私には見えました。