マスミンのピアノの小部屋

ピアニスト兼ピアノ指導者松尾益民が、ピアノや教育、世の中の出来事など日々感じることを、徒然なるままに綴ります。

2012年フランス旅行4日目③

2012-11-17 16:15:26 | 日記
さて、大聖堂の隣のトー宮殿は、修復前の大聖堂に置かれていた彫刻や、戴冠式の際使用された王の装飾品などが展示されている美術館ですが、入場料も必要だったし、展示品を見てまわるのはけっこう疲れるので、パス。
その後、ちょっと距離はありましたが、サン・レミバジリカ聖堂まで歩いていきました。
聖堂着工は1007年で、ロマネスクとゴシックの様式が混在した造りです。
写真は、合成です。
幅広なので、一度では撮影できず…空の色は貼り付けなのでちょっと変ですが…。

中は派手さはありませんが、ここで椅子に座ってみると、厳かな気分になりました。

 

見学を終えると、そろそろお昼。
けっこうな距離を歩きましたから、街の中心部まではバスを利用しました。
路線がありすぎて、どれに乗ったものか迷いました。
巡廻バスがあって、一日乗り放題というチケットもあるようです。
駅前まで、と思いましたが、大聖堂の近くで降り、トー宮殿内にあったレストランでランチにしました。
トー宮殿の正規の入り口ではなくちょっと後ろからレストランに入れるのですが、このまま中も見ることができるか…という感じでした。
トイレに入るにも、入場料を払わないといけなかったのですが、レストランから入ると難なく入れましたから、なんか不思議…。
もちろん、入場料を払ってまでトイレには行っていません。
サーモンのタルタルとかいうのにしました。

パンではなく、ポテトがド~ンと出て来て、びっくり!!
でも、このポテトおいしかったですよ。
ここのセットメニューは、他のもみんなこのトレーで出て来てましたし、やっぱりポテト付きでした。
これにデザートとコーヒーを。
クレムブリュレです。

おいしかったぁ。



2012年フランス旅行4日目②

2012-11-17 12:24:51 | 日記
いよいよランス本題です。
ランスは、ノートルダム大聖堂、トー宮殿、サン・レミバジリカ聖堂という3つの世界遺産、日本人画家でノートルダム大聖堂で洗礼を受け、礼拝堂を建てた藤田嗣治のフジタ礼拝堂などがあり、シャンパンの町でもあります。
シャンパンセラーの見学ができるので、まずノートルダム大聖堂の近くの観光案内所に行くことにしました。
ガイドブックの地図を見ながらですが、ルート的に初めに美術館に行きました。
コロー、ミレー、ブーダン、ピカソ、などの絵も展示されているというので楽しみに行くと、その日はそのフロアは開放していないということで、その地方の画家の絵を見てもよかったのですが、やめました。
ノートルダム大聖堂の方に行くと、目に入ってきた大聖堂はやはり圧巻でしたね。
左右対称な塔で、厳かな雰囲気にあふれていました。
機会あるごとにあちこちの大聖堂を見て来ましたが、一番か…と思えるくらい。
やはり国王の戴冠式をする大聖堂にふさわしい威厳がありました。

何度か火事で焼失し…大聖堂は火事に遭うことが多いようです…ゴシック期の建築で、今の建物は、第一次世界大戦時に壊滅的な被害を受けたものを、1938年に修復竣工した後に一般に開放され、現在も一部修復作業が行われています。
この日も後ろの方では工事が行われていました。


大聖堂の中を見学する前に、観光案内所に行ってシャンパンセラーの予約のことを尋ねました。
そこの案内所では、3つのセラーの予約ができるというので、日本にも輸入されているマム社の予約をお願いしました。
午後2時より後の時間がいいな、と思っていたら、3時が予約できると言われ、ちょうどよかったのでお願いしました。
一人€12、シャンパンの試飲付です。

予定が決まったので、やっと大聖堂の中に入ることにしました。
まずは正面入り口、立像や彫刻は見るべき価値のあるもので、中でも、微笑の天使像は、13世紀ゴシック期の彫刻の美と神聖さの象徴として有名だとか。

中は、バラ窓やステンドグラスが美しく、シャガールのステンドグラスも必見!
 
 シャガールのステンドグラス。
シャンパンの町らしく、シャンパンの製法が描かれたステンドグラスもあります。

南側と北側から見た大聖堂。
 
大聖堂に行くと、塔に上ってみたいものですが、この日は金曜日で、塔に上れるのは土曜日だとかでダメでした。
残念…。階段は大変だけど、塔の上から見る景色は格別のものがありますからねぇ。

大聖堂の入り口近くには、ジャンヌ・ダルク像もあります。

ジャンヌ・ダルクは、14~15世紀、イギリスとの百年戦争の折、イギリス軍に包囲されていたオルレアンの解放をもたらし、シャルル7世をランスに行かせて戴冠式をさせました。
歴代のフランス王がこの地で戴冠式を挙げていたので、シャルルの王位継承権の正統性を世に知らしめるためには何としてでもランスで戴冠式を挙げる必要があったからです。
ランスまでの道のりは困難を極めたそうですが、それを成し遂げたということで、高く評価されましたが、出る杭は打たれる…のでしょう、1431年、ルーアンで火刑されます。
2年前ルーアンに行き、実際にジャンヌ・ダルクが火刑された場、ジャンヌ・ダルク教会、ジャンヌ・ダルクの像を見て、胸が締め付けられるような感覚になりました。
ルーアンのジャンヌ・ダルク像は、ランスとは打って変わって、処刑の時の最後の祈りとでもいうような像です。
オルレアンもゆかりの地で、ランス同様の像がありますから、機会を見つけて行ってみたいと思いました。
つづく…。