さて、2月ともなれば、いよいよ確定申告の季節ですね。
皆さんもう準備はお済みですか?
実は私も、先日ちょいとした用事で税務署へ行かねばならず、
まあ自転車で行ける距離なのですが、久々にこいつに乗って出ていきました。

乗って楽しいモトコンポ♪
そういうわけで、ほぼ数分の距離なのですが、
小さく遅いモトコだと、それでも十分楽しめる。
確かにツーリングには程遠いけれど、散歩といえばそれで満足できるかのような、
そんな感じ。
おまけに、いつも歩いているコースでも乗り物に乗っているだけで結構楽しい。
視線や移動速度の差もあるけれど、絶対にそういうのだけではないような気がします。
さて、先ほどの画像ですが、実はこれ近所にある中野鍼灸院の門構え。
かなり立派でしょう?
それもそのはず、古くは平安初期(7~8世紀ごろ)から続くものすご~く、由緒正しき鍼灸院で、
院内には、当時弘法大師から授与されたというツボのありかを示す木像(遂穴偶像)や、
金針や古文書などの貴重なものが、今でも大切に保管されているとのこと。
こちらがその木像。

大人と子供、それぞれツボが違うようで二体あるようです。
(かなり不気味で怖いですね…)
なんでも南北朝の頃、足利軍により戦火で家屋を焼失したものの、
これらのものだけは、と大切に持ち出され、今に至っているとのこと。
いや~、本当に歴史がありますよね。
(ちなみに、その技術は一子相伝でただいまなんと44代目とのこと。)
ですのでむろん長く地域の名士であり続けたわけで、
大正時代には、地元に鉄道の駅を招致したこともあり、
駅名はもちろん、今では地名もこの鍼灸院にちなんだものとなっております。
この時の道しるべの「はりみち」というのも、

実はこの鍼灸院へ至る道を示すものであったのです。
実はまた、この道しるべの側面には、「でんしやのりば」とあるのですが、
その指示通り進んでも駅には出ません。
というのも、ここでが示す「電車乗り場(駅)」とは、前述の鍼灸院の名前が付いた駅ではなく、
それ以前より存在していた路面電車の駅(停留所)のことなのです。

「みなさんよく勘違いされるんですよね~。」
でもそれも仕方がないこと。
なんせ、その路面電車の駅は今は地下鉄にとって代わられもうないのですから。
実はこの道しるべは、この鍼灸院が最も人気のあった大正時代に設置されたもので、
当時近所には路面電車しかなかったので、そちらの方を指示しているのです。
ですがその直後、大阪鉄道(現近鉄)が開通し、その際に前述のとおり新駅ができました。

a=路面電車、b=大鉄駅 矢印=道しるべの指す方向、赤丸=鍼灸院
この時の明治の地図にはどちらの線路もまだありませんが、ほかにも大きな集落はいくつもある。
こうしてみると、わざわざ二つの駅が近接してできるほどに、
この界隈はにぎわっており、その原動力は、やはりこの鍼灸院にあったともいえそうですね。
ちなみに、先ほどの門の裏側がこのような診療所になっております。

私も子供の頃は祖母に連れられ、ここで治療を受けたことがあり、
当時は画面左は時の部分が、子供用のおもちゃやお菓子を売る売店となっておりました。
ただでさえ子供はお医者さんが嫌いだし、
そのうえ、針やお灸でしょう?
そのイメージだけで怖くて泣きだす子が多かったから、そういうお店は必須だったんですよね。
むろん私もよく泣いて、ここでおまけ付きの大箱ミルキーを買ってもらった記憶があります。
で、「はりみち」というくらいなんで、針のように細い路地もあり、
学生時代は通学の抜け道としてよく使いました。

そんな狭い道も、モトコンポなら乗ったままで通り抜けれます!
てなわけで、いつもの道もこうしてみるとなかなかに面白く結構楽しめるから、
モトコにまたがりでかあけると、少しお得な気分なのですよ。
(*^人^*)
皆さんもう準備はお済みですか?
実は私も、先日ちょいとした用事で税務署へ行かねばならず、
まあ自転車で行ける距離なのですが、久々にこいつに乗って出ていきました。

乗って楽しいモトコンポ♪
そういうわけで、ほぼ数分の距離なのですが、
小さく遅いモトコだと、それでも十分楽しめる。
確かにツーリングには程遠いけれど、散歩といえばそれで満足できるかのような、
そんな感じ。
おまけに、いつも歩いているコースでも乗り物に乗っているだけで結構楽しい。
視線や移動速度の差もあるけれど、絶対にそういうのだけではないような気がします。
さて、先ほどの画像ですが、実はこれ近所にある中野鍼灸院の門構え。
かなり立派でしょう?
それもそのはず、古くは平安初期(7~8世紀ごろ)から続くものすご~く、由緒正しき鍼灸院で、
院内には、当時弘法大師から授与されたというツボのありかを示す木像(遂穴偶像)や、
金針や古文書などの貴重なものが、今でも大切に保管されているとのこと。
こちらがその木像。

大人と子供、それぞれツボが違うようで二体あるようです。
(かなり不気味で怖いですね…)
なんでも南北朝の頃、足利軍により戦火で家屋を焼失したものの、
これらのものだけは、と大切に持ち出され、今に至っているとのこと。
いや~、本当に歴史がありますよね。
(ちなみに、その技術は一子相伝でただいまなんと44代目とのこと。)
ですのでむろん長く地域の名士であり続けたわけで、
大正時代には、地元に鉄道の駅を招致したこともあり、
駅名はもちろん、今では地名もこの鍼灸院にちなんだものとなっております。
この時の道しるべの「はりみち」というのも、

実はこの鍼灸院へ至る道を示すものであったのです。
実はまた、この道しるべの側面には、「でんしやのりば」とあるのですが、
その指示通り進んでも駅には出ません。
というのも、ここでが示す「電車乗り場(駅)」とは、前述の鍼灸院の名前が付いた駅ではなく、
それ以前より存在していた路面電車の駅(停留所)のことなのです。

「みなさんよく勘違いされるんですよね~。」
でもそれも仕方がないこと。
なんせ、その路面電車の駅は今は地下鉄にとって代わられもうないのですから。
実はこの道しるべは、この鍼灸院が最も人気のあった大正時代に設置されたもので、
当時近所には路面電車しかなかったので、そちらの方を指示しているのです。
ですがその直後、大阪鉄道(現近鉄)が開通し、その際に前述のとおり新駅ができました。

a=路面電車、b=大鉄駅 矢印=道しるべの指す方向、赤丸=鍼灸院
この時の明治の地図にはどちらの線路もまだありませんが、ほかにも大きな集落はいくつもある。
こうしてみると、わざわざ二つの駅が近接してできるほどに、
この界隈はにぎわっており、その原動力は、やはりこの鍼灸院にあったともいえそうですね。
ちなみに、先ほどの門の裏側がこのような診療所になっております。

私も子供の頃は祖母に連れられ、ここで治療を受けたことがあり、
当時は画面左は時の部分が、子供用のおもちゃやお菓子を売る売店となっておりました。
ただでさえ子供はお医者さんが嫌いだし、
そのうえ、針やお灸でしょう?
そのイメージだけで怖くて泣きだす子が多かったから、そういうお店は必須だったんですよね。
むろん私もよく泣いて、ここでおまけ付きの大箱ミルキーを買ってもらった記憶があります。
で、「はりみち」というくらいなんで、針のように細い路地もあり、
学生時代は通学の抜け道としてよく使いました。

そんな狭い道も、モトコンポなら乗ったままで通り抜けれます!
てなわけで、いつもの道もこうしてみるとなかなかに面白く結構楽しめるから、
モトコにまたがりでかあけると、少しお得な気分なのですよ。
(*^人^*)