シュパンは、『高級家具付き貸間』の看板の掛かった店先から動かずにいたが、自分も相伴にあずかりたい気持ちで身震いし、思わず舌なめずりした。
「カシスのブランデー割り!」彼は口の中でもぐもぐと言った。「こいつは断る手はないぞ」
この飲み物はマダム・ヴァントラッソンに少し元気を取り戻させ、彼女はさっきよりもっと激しく先を続けた。
「最初のうちは、万事順調だったんです。あたしたちは、ノートルダム・デ・ヴィクトワール通りにオテル・デ・ゼスパーニュ・エ・ド・ナンチュアを買ったんです。あたしの蓄えでね。商売は順調でした。空室のときがないぐらいに。ですが、酒の味を覚えた者はまた飲まずにいられない、って言うでしょ、旦那。ヴァントラッソンは大酒飲みなんですよ。最初のひと月は我慢してました。ですが、ちょっとずつ元の習慣が戻って来ちまいましてね。『パン』のひと言も言えないくらい酒浸りの状態になったんですよ。でも、それだけで済んでくれてたらねえ!不幸なことに、あいつはあまりに男前すぎて良い亭主にゃなれなかったんですよ。尻軽女は一杯いるし……。ある晩、あいつは帰ってこなかったんです。次の日、あたしがちょっと文句を言ったら、ああ、ほんの軽い小言ですよ。そしたら、あいつ罵りを浴びせ、殴ったんですよ。もうおしまいです。あの男、自分が主人だから、もう遠慮なんかしない、と……。酒は飲む、地下の酒倉からワインは持ち出す、金は全部取って行く、って有様で。何週間も家に帰らないで、あたしが文句を言うと、殴るんで……」
彼女の声はかすれ、目の端に涙が溜まったのを、彼女は手の甲で拭った。
「ヴァントラッソンはいつも飲んだくれてんです」と彼女は言葉を続けた。「で、あたしはこの惨めな身体から涙を一滴残らず絞り出してたようなわけで……ホテルは経営不振になり、やがて客は一人も来なくなりました。売るしかありませんでした。あたしたちは売って、小さなカフェを買ったんです……が、それも一年後には店じまいしなくちゃなりませんでした。でも幸い、あたしはまだいくらか金を残してあったので、あたし名義で食料品屋を始める元手にしたんです……ところが六か月足らずで、その元手は食い尽くしてしまい……路頭に迷うことになっちまったんです。もうどうしようもありません。ヴァントラッソンは、それまでにも増して酒浸り、もう金はないと分かってるのに金をせびる、もっと酷くあたしを殴る……あたしゃもう、すっかり意気が挫けてしまいましたよ。それでも生きなきゃなりません。あたしたちがここ四年間、どんな暮らしをしてきたか、お話したとしても、とても信じちゃくださらないでしょうよ……」
しかし彼女はその話はしなかった。ただ次のように付け加えただけだった。
「一度転落し始めると、もう止まりゃしません。どんどん深みに嵌っちまいます。底の底まで……あたしたちのように……。ここで、こんな店をやってますけど、週ごとに家賃を払ってるんですよ。もし、ここを追い出されたら、もう逃げてくところは一つだけ。川に身投げですよ……」
「私があなたの立場だったらですね」とフォルチュナ氏は思い切って言ってみた。「亭主と別れますね……」
「ええ、ええ、よく分かってますとも! みんなにそう言われます。でも……あたしも、そうしようとしたんですよ。三度か四度、あたし逃げました。でもその度に戻ってきちまうんですよ。自分の力じゃどうすることも出来ないんです。それに、あたしゃあの男の妻です。あの男にゃ随分金を注ぎ込んでるんですから、あの男はあたしのもんです。誰か他の女のものになるなんて、そんなの嫌ですよ。あいつはあたしを酷く引っ叩くし、あたしゃあいつを軽蔑して、憎んでる。それでもね……」
彼女はブランデーをグラスに半分注ぐと、一気に飲み干し、怒りの身振りと共にこう言った。
「あたしはあいつを捨てられないんですよ。これが運命ってやつですかね。最後までこうやって行くんでしょう。あいつが死ぬか、それともあたしが!」
フォルチュナ氏は、状況に適した表情を浮かべていた。はたから見れば、彼は心の底から同情し、ほろりとしているように見えたかもしれない。が、内心彼は当惑していた。時はどんどん過ぎていくのに、話題は彼の目的からますます遠ざかるばかり。だが幸いにも、元の話題に引き戻す機会が訪れた。
「私は驚いておりますよ、マダム」と彼は言った。「あなたが元の雇い主であるシャルース伯爵を頼ろうとなさらなかったことに」8.1
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