撮り散らかし鉄の記憶

撮り散らかした鉄道写真の中から記憶に残るシーンを

阪急 塚口住宅踏切(2020.8.11) 6012F 普通 塚口行き 阪急伊丹線開通100 周年記念HM

2020年08月19日 21時41分44秒 | 阪急神戸線系統
8/11に、阪急伊丹線 塚口~稲野駅間の塚口住宅踏切で阪急伊丹線開通100 周年の記念ヘッドマークを掲出した6000系を撮りました。
1枚目は、塚口住宅踏切へ向かう100 周年記念ヘッドマークを掲出した6012の普通 塚口行きです。



2枚目は、塚口駅で撮った6012の100 周年記念ヘッドマークです。
塚口側にデザインされているのは、1920年に神戸線と同時に開通した際に伊丹線で運用された47形が塚口駅を出発し伊丹駅へ向かって走るシーンのイラストです。



3枚目は後追いで、塚口駅へ向かう6162です。



4枚目は、塚口駅で撮った6162の100 周年記念ヘッドマークです。
伊丹側にデザインされているのは、伊丹線開通当時の沿線のイメージがデザインされたイラストです。



阪急伊丹線は1920(大正9)年7月16日に、当時の阪神急行電鉄が神戸線と同時に開業してから100周年を迎えました。
神戸線では9000F、1017Fの2編成に神戸線の100 周年記念ヘッドマークが掲出されてますが、伊丹線では6012Fの1編成に伊丹線の100 周年記念ヘッドマークが掲出されています。

47形は1920年に伊丹線の開業に合わせて成田電気軌道より譲渡され、開業当初に運用されていました。
1910年の成田電気軌道の開業時に登場したデハ1形15両の内、4両が当時の阪神急行電鉄に譲渡され、3両が47形47~49号車として竣工しています。
阪急では、廃止された北野線以外で運用された唯一の手動ブレーキ固定4輪車です。

1921年には、新造の37形に置き換えられて早くも休車となりました。
1924年には48、49号車の2両は九州の門司築港電軌へ譲渡されています。
1927年には47号車は路面用に改造されて150へ改番し、大阪市電から譲渡された151~154とともに150形として北野線で使用されました。
1933年には、北野線の車両が箕面線用として南海軌道線(阪堺線)の電1形が譲渡された34形に置き換えられ、150は再度、休車となりました。
車体はそのまま西宮車庫の詰所に転用され、車籍上は1947年に改造名目で新造した920系の種車となったそうです。

47形も自分の年代では見たことがありませんが、自分は30年ほど前に千葉県成田市に住んだことがあります。
その頃、成田電気軌道の廃線後に車道になったトンネルを通ったことがあり、何かの縁は感じます。