計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

キャベツの中から大空へ・・・

2010年03月23日 | オピニオン・コメント
 卒業、そして新たな旅立ち。それは時として、それまでの限られた狭い世界や狭い価値観の枠に、自らを雁字搦めに閉じ込めようとする「殻」をぶち破って、より広い視野や自由度の高い価値観や知識・情報の交流の中に身を置く事を意味します。例えは悪いのですが、キャベツの葉の中に巣食う「幼虫(青虫)の世界」から、新たに大空を自由に飛び回る「蝶の世界」に変わるようなものです。「温故知新=故きを訪ねて新しきを得る(知る)」事はもちろん大切ですが、逆に「縛故無新=古きに縛られ新しきを得ず」では本末転倒です。

 現代における社会の形態は、以前のような狭い範囲の「村社会」的なものから「多様性」のある社会へと変質しつつあります。この(古き良き?)「村社会」の中では、人々は基本的に「同質」である事が前提となります。つまり、皆と同じような価値観を持ち、また皆と同じような人生を歩む事がデフォルトであり、そこから外れる者は、周囲から(例え家族・親戚からでさえ)非難・否定されてしまうのです。これはある種の「村八分」です。これについては以前「地方の若者のため息?(2009年11月22日)」では、敢えて「衆人監視の管理社会」と書きました。

 かつて、人・物・情報の移動・交流するスケールはごく限られていました。しかし、今ではそれこそ「地球規模」です。まさに古の「ナノ・コミュニケーション」の時代から、現代では「メガ(またはグローバル)・コミュニケーション」の時代に変貌を遂げたのです。

 今も尚、郷土の古い意識と自分の新しい価値観やライフスタイルとの間で息苦しさに喘いでいる若者も少なくないかも知れません。かく言う私も無意識の内に心の中に息苦しさを抱えていました・・・いや、未だ根強く私を苦しめているのかもしれません。幾ら物理的に故郷を離れたとしても、その伝統的な価値観から完全に逃れる事はできません。とは言え、私自身がこのような事を理解できるようになったのは、ここ最近の事です。これまで、自分自身を見つめ直すと同時に、様々な価値観や考え方に接する機会に恵まれたからこそ、私は自分の中で燻っていた疑問や問題意識に目覚める事が出来たのかもしれません。

 かつて「他人と違ってどこが悪い!」と書いた事があります。視点を変えて見ると、今のサービス業は如何にして「他社との差別化を図るか=自社サービスの独自性」がコア・コンピタンスとなります。つまり、少なくともビジネスの世界では「村社会的な同質性ばかりを重んじる姿勢」では確実に勝てない時代になったのです。つまり「頭ごなしに個性を潰す」のではなく、一人一人の個性や能力を「如何にして活用していくか」が重要視されるようになったのです。協調性ももちろん大切なのですが、自分の個性を主張する事はそれ以上に大切なのです(正確には協調と主張のバランスが最重要なのですが)。

 もちろん、無理をしてまで「独自のライフスタイル」を追求する必要は無いと思います。しかし、自分が様々な人生経験を通じて至りついたライフスタイルや価値観といったものが、仮にそれまでの価値観から逸れるものであったとしても、それは頭ごなしに即否定されるのではなく、「自分なりの個性」として受け止めるだけの許容はあって然るべきではないでしょうか。当然、伝統的価値観を一方的に押し付けてくる人間との衝突は避けられないでしょうが、こういった人達は、無責任に口出しするだけ口出しして、結局の自分の発言には一切責任を持ちません。彼らは新しい価値観を頭ごなしに否定するだけでしょう。

 誤解の無いように強調しますが、私は伝統そのものを否定する意図は全くありません。伝統に学ぶ事も少なくないですし、大切に受け継ぐものもあって然るべきです。但し、伝統的な価値観が必ずしも「唯一無二の絶対的な価値観や真理ではない、と言う事です。単純に「他人は他人、我は我」すなわち「個々の自立」なのです。最近は特に「個々の存在=一人一人の価値観」が重視されるようになりました。

 大切なのは「多様な価値観が共存する」事実を、まず受け入れる事ではないでしょうか。以前は皆が皆、同じような価値観一色に染まっていたわけですが、現在はそうではありません。この事実を「知っている」だけでも、心の準備は整うのではないでしょうか。このためには、様々なカルチャーに触れる事が大切であり、そのような環境に身をおく事が望ましいでしょう。私にとって、その鮮烈な第一歩が、大学初年度の学生寮でした。この寮を旅立つに際しての先輩からのはなむけの言葉が「自分のために生きろ!そして自分のために死ね!それだけだ!」という強烈なフレーズだった事は、今でも印象に残っています。その後も、専門分野や職場、会社さえも変遷を重ね、様々な困難に直面し、乗り越える内に、自分なりの世界観を持ち始めたのです。

 この変遷の出発点が「伝統的な価値観」であったとしても、そこから新たな時代に適合した伝統の形を生み出していく事が、むしろ若者に課せられた役割なのかもしれません。だからこそ、古い意識で一方的に縛られてはいけないし、縛り付けてもいけない。一度、キャベツの葉のような村社会的な価値観から脱却し、自由に大空を飛ぶ蝶になる事が、これからの時代を生き抜くために必要です。もう一度、自分の力で、自分の頭で考える事です

 卒業、そして新たな旅立ちが、その良い契機となる事を願わずにはいられません。それまで自分を縛り付けていたものから「解放」され、新しいものを吸収し、自分の新たな力にしていくための、その新たな船出・・・それが「卒業」なのかもしれませんね。
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