計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

大晦日・2006年を斬る!

2006年12月31日 | 何気ない?日常
 2006年を表す漢字は「命」でありました。私達はその命がある限り、生き続けます。それでは、私達は何のために生きるのでしょうか。すなわち「人生の目的」とは何なのでしょうか。ふと、そんな事を考えています。

 旧年中は「いじめ」による自殺という痛ましい事件が立て続けに起こりました。「生きているだけでも大きな価値がある」と思えるような力を与えてあげられる存在が、まず「家庭」であって欲しい。今、強くそう思います。

 自分を愛してくれる人がいる、必要としている人がいるという事が、どれだけ尊い事か、どれだけ価値あることか。今、私達は再認識すべきなのかも知れません。

 改めて「人生の目的とは何か」を考えてみると、壮大且つ深遠な問題だけに確固たる解を示す事は出来ません。ただ、少なくとも「自分の持ち味を存分に発揮し、人々から感謝されるような仕事を成し遂げる事ではないか」と私は思います。自分の理想や信念、使命感に裏付けられた専門性を持つ事ができれば、自分自身の生き方がぶれる事はないでしょう。もしそれができれば幸せな事ではないか、と思います。

 そのために大切なのは「自分はどうするか」という視点では無いでしょうか。自分が成長でき、自分に誇りを持って、納得して生きていける方向性を考えるための思考力と判断力、そして決断する勇気を培う事が重要です。私達を取り巻く状況は日々刻々と変化しています。自らの価値観も変化していきます。今の延長が未来永劫に渡って続くことはありえないのです。従って、軌道修正は必然的に必要となります。最後は自分で決断しなければならない。その判断を的確に行うためには、それに相応しい判断基準となる人生観や価値観と思考力・決断力を培う必要があるのです。

 2006年は高校の未履修問題が全国的な規模で発覚しました。そもそも、人はなぜ学校に行くのでしょうか。確かに、社会システムそのものが学校へ行く事を前提として構築されているため、という考え方もできるでしょう。私はやはり、学校とは「勉強をする場所」なのだと認識しています。しかし、その内容は、単に知識や技能の授受に留まらず、多くの集団生活を経験する事を通じて、周囲と調和し協調しながら生活していく術も学ぶ事だと思うのです。

 社会もまた大きな規模での集団社会です。学校生活とは、広い社会の社会の入り口なのかもしれません。色々な個性が集まって色々な勉強や体験をします。ある意味、社会の縮図なのかもしれません。その中では当然、辛い事や苦しい経験をする事もあるでしょう。嬉しい事や悲しい事もあるでしょう。その一つ一つの経験が知恵となり信念となり、自らの進むべき道を指し示す羅針盤へとなっていくのではないでしょうか。

 つまり、私達が学び続けるのは「自分の人生の目的を見出し、それを全うする」ためなのではないかと思うのです。

 自分が人生を通して目指す事、それが自分の生きる「目的」であり「意味」なのかも知れない。もし、今その答えが見えなくても、探し続けていれば、その答えを見出す時がきっと来るでしょう。

 もしかしたら、それは華やかなものや大きなものであるとは限りません。ささやかなものかもしれません。地味なものかもしれません。しかし、それは他の誰かでは成し遂げられない事なのでしょう。そして、その実現が他の多くの人々を喜ばせる事ができるのです。

 一人一人が「誰かを喜ばせよう」そんな気持ちになれたなら、きっと未来は明るくなるのではないでしょうか。大きな可能性があるのなら、より良い方向に羽ばたいていくべきでしょう。だからこそ、可能性を狭めてはいけないし、奪ってはいけない。ましてや殺してはいけない

 この一年は、親が子供を殺め、子供が親を殺める事件も発生しました。そもそも「家庭とは何か」という問題を生物学的見地から見てみると「子孫反映のためのメソドロジー」と見る事が出来るかもしれません。男(オス)と女(メス)が出会い結ばれ、性の営みを経て子供が生まれ、家庭(群れ)の中で生きるための基本的な規律や生きる術を学び、生かされ育てられ、やがて巣立って行く。そしてまた新たな家庭を築いていく・・・この繰り返しなのではないでしょうか。

 戦前・戦後・そして現在では家族・家庭の形態は変遷を重ねてきました。大日本帝国憲法下での旧制民法では「家督制」が法として定められていましたが、日本国憲法公布後の民法改正と同時に家督制度は廃止されました。そもそもこの制度は「武家社会」の名残と思いますが、戦後の高度経済成長と国内産業の多様化に伴い家族・家庭のあり方も多様化が進み、核家族が普及したのは周知の通りです

 多くの家庭における「嫁をもらう」や「長男」や「跡取り」という言葉を聞くと多少の違和感を覚えます。例えば、「嫁」という字は「女+家」です。単純に「女は家に居て家庭を守る」という解釈もできますが、「女は○○家に来て○○家の存続を守る」と解釈する事も出来ます。これは天と地ほどの違いです。嫁を「もらう」という表現についても他に適切な動詞が無いという理由もあるかと思いますが「よそから物をもらってきた」という感覚を覚えるのです。

 かつては「○○家」という家督制度に執着することはむしろ当たり前でしたが、現在では。むやみに「○○家の跡取り」等と桎梏(しっこく)に縛り付ける事が、当事者にとっての幸福になるのかどうか疑問を生じるようになりました。縛り付けるという事は、図らずも「子息の人生における可能性を奪い取る事になりかねない」と私は思います。

 子息の人生は親の所有「物」ではないのです。以前、テレビで「子供は投資と回収の対象になっている。回収が期待できる子が『良い子』になっている」と指摘した方がいました。面白い比喩ではありますが、思わず「なるほど!」と唸ってしまいました。実際にあれこれ干渉して我が子の人生を支配しようとする親がいるのは事実。その結果、最悪の場合は本人の自立を阻害するのみならず「ひきこもり」「家庭内暴力」と言った状態を引き起こす事もあるのです。

 私の場合は、幸いにして一人っ子の長男であるにも関わらず「○○家の跡取り」を強要される事はありませんでした。しかし、「結婚する事」それ自体は激しく強要されております。それはもう「結婚できない人間はダメ人間だ」と言わんばかりです。

 確かに「家や親戚等との付き合いが大事」とは思いますが、これは究極的には「子孫繁栄を基軸とした、皆の幸福実現のためのツールでありメソドロジーであり具体的な形=システム」だと思うのです。この従たるシステムの存続や世間体のために、仮にも主たる若者の未来が犠牲になってしまうのであれば、本末転倒以外の何物でもないのです。

 但し、これを持って非婚化・晩婚化の傾向を正当化つもりは勿論ありません。むしろ精神的な親離れ・子離れもままならない状態で、結婚して夫婦二人で新しい家庭を築けるのでしょうか。まず「本人達が自力で人生を切り開いていこうとする姿勢を持つ事」が大事なのではないでしょうか。これは男も女も関係ありません。

 さて、非婚化・晩婚化については若者世代の個人主義意識が顕著になった結果、引き起こされたものだ、と考える人が少なくないようです。しかし、これは社会現象の一面を捉えているに過ぎません。結婚したくとも先の見えない不安の中で結婚に踏み切れない若者も多いのです。正社員にもなれず、派遣社員や契約社員、フリーターといった就業形態を余儀なくされた結果、結婚どころではない状況の若年層が大量生産されている社会システムが実現しつつあると言っても過言ではないでしょう。

 うがった見方をすれば、少子化は起こるべくして起こっている当然の現象だ、と見ることも出来ます。その上、話題の「ホワイトカラー・イグゼブション」が実現すれば、会社や上司に対する部下や従業員の視線はより厳しいものになるでしょう。私も前職の悲惨な体験から、モチベーションや労働の質の低下、ひいてはモラルハザードが容易に懸念されます。お上の立場でこの案を提案した委員の皆様におかれましては、是非過労死するまで働きまくって欲しい位です、残業代はゼロで。

 また、以前も言及しましたが、そもそも「人の上に立つ」という事は「自分自身の発言に責任を持つ」という事です。少なくとも「その姿勢を持ち、そして見せていく」事が必要です。それだけ自分自身にもハイレベルが要求されると言う事なのです。部下より一段も二段も高い見識に立ち、部下を凌駕する幅広い知識を持ち、部下を指揮・指導しなければならないのです。つまり、常に見聞を広め勉強をし続けていかなければならないのです。

 真にプロフェッショナルを目指す人間なら誰でも当たり前に行っている事ですし、このような人材の上に立とうとするならば、尚の事、その上を行く見識を持たなければならない。だからこそ尊敬に値するものなのではないでしょうか。私は真にそう思います。なぜなら「人生の目的とは、自分の持ち味を存分に発揮し、人々から感謝され喜ばれるような仕事を成し遂げる事」と考えるからです。

 一年の最後に、思う存分書かせて頂きました。遂に4000文字を超えました。このような長い文章におつきあい頂きありがとうございました。

 それでは皆さん、良いお年を!!
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2006年・今年一年を振り返る・・・

2006年12月26日 | 気象情報の現場から
 ・・・と言うわけで、印象に残った個人的な出来事「ベスト5」を選んでみました。第5位から順に紹介してみます。


第5位・独自研究の集大成・山形県の局地気象シミュレーションの大論文の製本

 全てはこの「山形県置賜地方の冬」に対する挑戦から始まりました。当初はホームページ「救急?『お天気』診察室」で「雪やこんこんあられやこんこん♪」と銘打って山形県米沢市の雪について解説し続けておりました。これが私の気象予報士としての原点となりました。当時は、基礎理論の土台となる熱流体方程式のハードルを越えることがどうしてもできず、この壁を乗り越えるまでに数年の歳月が流れました。


第4位・苦節一年・日商簿記検定3級に合格!

 財務諸表を通じてお金の動きを理解するためのスキルは、気象予報士云々の前にビジネスパーソンとして必須。実際に自社の決算報告書を見てみるとまだまだ見たことも無い勘定科目がゾロゾロ出てきています。ネットで色々な意見を拝見していますが、3級は入門レベル、実務は最低2級以上、と言うようにさらにもう1ランク上を目指さなくてはならないようです。経理・会計の専門家に転身する事は今の所、考えてはおりませんが、万が一にも転職やキャリアチェンジを余儀なくされるような場合や、そうでなくとも気象情報の経済効果を評価する上でもお金の知識は活きて来ると思います。少なくとも、幅広い知識があればビジネスの幅は広がる、と言う事です。
次は簿記をお休みして漢字検定2級。2月に受験予定なので・・・私これでも「受験生」なんですね、一応。


第3位・その日は突然訪れた?タウン情報誌の取材を受ける!

 記者が抱いていた「気象予報士=お天気キャスター」の既成概念への挑戦でもありました。「天気図だけでは局地的な天気の動きを予報するのは不可能、これらの基となる数値データを、弊社独自に分析した知見を組み合わせて局地的な予報を行う必要がある、この部分が気象情報会社の独自のノウハウとなるもの」との持論を展開。コンピューターシミュレーションを次々と見せて「天気図から大気の全体像が浮かび上がるがそれを基に、その時の局地的な大気の動きを予測するために独自のシミュレーション技術が必要となる。私がやっていることは、局地予報の理論的研究」と力説。「天気予報がこのような高度な計算によるものだったとは知りませんでした。良い勉強になりました。」とは記者の言葉です。


第2位・積年の悲願達成!CAMJ仙台で山形県内の数値シミュレーションの話題提供!

 気象予報士となってからのささやかな夢の中に、「東北地方に気象予報士会の地方組織が結成されたら、山形の天気に関する研究を発表したい」というものがありました。ホームページ「救急?『お天気』診察室」で「雪やこんこんあられやこんこん♪」と銘打って山形県米沢市の雪について解説し続けていたのは先述の通りですが、その当時は東北地方に気象予報士会の地方組織は存在しませんでした。時は流れて仙台支部が発足し、私も設立総会に遠方から応援に駆けつけたのでした。そして今年4月に満を持して山形県内の数値シミュレーションの話題提供に漕ぎ着けたのです。


第1位・24時間実況監視&局地予報業務の実施!!

 やっぱりこれがダントツ!!事実上の休日ゼロは・・・さすがにフラストレーション溜まりました。それ以上に、局地予報における決断とプレッシャーの連続。しかし、それを通じて得たものも大きかったように思います。

まあ、来年はもっともっとエキサイティングな年になりそうな予感・・・。静かな余生とは行かないようですねえ(←まだ早い!)。
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クリスマスプレゼント届く。

2006年12月19日 | 気象情報の現場から
業者に依頼していた大論文の製本が届きました。さすがにこれまでの集大成だけあって分厚いです。この1冊に、これまで研究してきた解析理論や種々の離散化手法が盛り込まれているので、研究成果報告書でもあり備忘録でもあり熱流体解析ハンドブックでもあるのです。それに星の数ほど存在した関係資料も体系付けて統合されましたので、スッキリしました。

私達の気象ビジネスも大きく発展していくと思いますが、そうなるといずれ若い気象技術者を採用する曲面が出てくるかも知れません。そのような時代においても、このハンドブックを一冊読めば一通りの知識水準に達する事が出来るわけです。いきなり小難しい専門書を何冊も読破するのは大変骨が折れるものです。まずはこの1冊を読めば、計算気象の専門基礎知識は把握できる筈。これで導入研修は終了!と言うわけです。

タイムマシンがあったなら、数年前の自分自身にこの一冊をプレゼントしたい位です。当時読み込んだ、どの専門書よりも分かり易く敷居が低いと思うから。あの当時のζ‐ψ法で2次元キャビティ流れを初めて再現できた時の喜びは今でも覚えています。確か・・・2001年の11月初旬の事です。あれから5年が経ち、今では熱輸送を伴った3次元乱流数値シミュレーションを高次精度有限差分スキームを適用して、実際の地形条件や大気場を模擬して本格的な解析を行っているわけです。

今振り返ると、あの頃は半導体設計に従事していたので、気象の研究に注力できたのは週末だけでした。その限られた時間と知識と技術の中で、アイデアを最大限に振り絞り、独自の数値シミュレーション技法を探求していました。いつの日かその格闘が報いられる日を夢見ながら・・・。

さて、前職の導入研修を語る上で欠かせないのが、泣く子も黙る「半導体基礎技術講座」略して「半基礎」です。これは主に技術系の新入社員に半導体技術の基礎理論を約半年に渡って講義するものです。本社も子会社も技術系は全員です。設計編・製造編・プロセス編・・・等々、様々な関連技術分野の講義が週2~3日行われ、各分野の講義が終了すると共に試験が行われます。しかも、大学の試験のように単位認定があり、不合格の場合は翌年も再受講が義務付けられるというものでした。でも・・・結局試験の結果が知らされることはありませんでした。まあ、再受講の必要が無かったと言う事でしょう。この他に年に1回「設計競技会」という名の半導体グループの全社一斉試験が行われました。技術知識を正しく理解しているかどうかのマークシート試験です。これらのテキストは20冊程度に及び、膨大な量がありました。当時は業務に追われながらも勉強したものですが・・・今となってはほとんど忘却の彼方。ちなみに事務系所員は「事務競技会」、技能職には「技能競技会」という試験があるようです。今もやってるのかなあ・・・。

今の会社だったら「気象予測基礎技術講座」であったり「予報競技会」になるのでしょうかねぇ。でも・・・「気象予測基礎技術講座」は気象予報士試験で振り替える事が出来ますし、「予報競技会」については一人一人の専門分野や技術・経験が異なるので統一試験はナンセンスと思われます。それよりも各自が問題意識を持って、自ら勉強するなり、研修を受けるなりしてスキルアップを図って行かなければなりません。私が今回、大論文を纏め上げたのも勉強の一環を兼ねています。

年末年始を間近に控え、計算気象技術の研究が新たな段階へと進んだのだ、という現実と向き合っています。
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12月も半分が過ぎて・・・

2006年12月16日 | 気象情報の現場から
 ふたご座流星群のピークも過ぎたようですね。ここぞとばかりに「ふたご座」にちなんで、お天気お姉さんが「ふたご」になって「ふたご座流星群」の解説、ってな粋な演出ってのはないのかなあ・・・。最近はデジタル合成技術も発達しているので出来ない事は無いと思いますが・・・(爆)。以前、インターネットの動画で見たことがあります。「あ、ホントにやってるよ~~」と関心してしまいました。まあ、弊社(ウチ)の場合はお天気お姉さんとは全く無縁の世界なので、ヒトゴトなんですけどね~。

 それはそうと、気象予報士の中でも珍しい事に、私は天文にはあまり興味がありません。こんな事を言うと「気象予報士さんって、天文にも興味があると思っていたのに・・・珍しいですね」と言われてしまう事も。

 ちなみに、私の場合は「天気の不思議を理論的に解き明かし、その知見をもとに新しいビジネスを展開する事」に興味があります。だからこそ、数学や物理学、気象力学や計算力学と言った理系の分野のみならず、財務や法務にも関心があるのです!単なる法律オタクというわけではありません。最近は漢字の勉強も細々としております。メールマガジンやブログ、技術資料、日々のメール等々、文章を書く量も半端ではありませんので、正しい漢字の知識が要求されるのです。近い内に漢字検定でも受検しようと思ってます・・・もとい出願しました(しかも初受験なのに、いきなり「2級」)。

 さて、前回のブログでも書きました、独自研究の集大成でもある山形県の局地気象シミュレーションの大論文の原稿もまとまり、印刷・製本も専門業者に依頼しました(しかもたった1冊だけ)。いまから到着が楽しみです。大袈裟な話になりますが、3次元乱流数値シミュレーションで山形県の局地気象シミュレーションが実現できるなんて、かつての自分には想像も出来ませんでした。それなりに進歩してる、ということなんですね。

 最近は、ちょっと一区切りついたのを良い事に、感度の高いスキーム(高次精度有限差分スキーム)を使って、気になっていた局地的な大気現象の2次元シミュレーションに取り組んでいます。対流項の離散化に関しては、1次精度風上差分をはじめ3次精度風上差分であるUTOPIAスキームやK-Kスキーム、CIP、VONOS、コンシステントスキーム等、色々なものが紹介されていますが、感度の高いスキームであればあるほど扱いにくくなるようです。つまり、数値解が直ぐに発散したり異常な解を示してしまうのです。要は数値計算の安定度が思わしくないという事です。私の職場では、この現象を「解が爆発する」と言っています。ちなみに、私が言い出した本人です。実際に苦労してプログラムを完成させてテストランさせたと思ったらいきなり解が異常値を示してしまう、というその衝撃の光景を「爆発」と言ったのがその始まりです。感度の高いスキームは数値粘性が低いので、細かい渦の発生を捉えやすくなります。従って、特に乱流解析の場合はこのようなスキームを用いる事が望ましいのですが、ビギナーの方は1次精度風上差分辺りから始めるのが良いかもしれません。数値粘性によるダンピング効果で解の爆発は抑制されます。

 局地気象を理論的に解き明かす挑戦はようやく形になってきました。新しい時代の局地気象予報の実現も、そう遠くない未来に・・・って書くと・・・後が怖いなあ・・・しかし、ノウハウが蓄積されているのは事実です

 それもそうですよね・・・気象予報士になってまもなく10年になるのです。21歳になるかならないかで取得した私も、30歳になってしまいました。この10年を振り返ってみると、本当にいろいろありました。でも、その全ての血と汗と涙と、そして並々ならぬ執念と怨念が、今こうして結実しているのです。

 年末に乗じて、交響曲第9番と洒落込みましょうか・・・。エ?その前にクリスマス!?
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精度検証報告書が終わって・・・

2006年12月11日 | 気象情報の現場から
 いよいよ年の瀬を実感し始めました。年の瀬と言えば年賀はがきで頭を痛めるのですが、それ以前にこの精度検証報告書(以下「精検」)で脳味噌大流血状態になってしまいます。でも、別にプロレスやってたわけではありません

 技術資料を書く事それ自体は別に苦ではないのですが、この「精検」だけは別。文字通り、予報精度を検証して誤差の原因を分析するのですが、私が担当している部分は自分が行った予報の検証ではないので(←正確には、配信されてくる予測データの方なのです)、誤差の原因を突き止めるといっても、なかなか一筋縄ではいきません(極論を言えば大手町に引きこもるしかない鴨)。

 自分の予報の検証だったり、自前のシミュレーション予測の検証だったら・・・そりゃあシューベルトが歌曲「魔王」を作曲したようにスラスラと報告書も書けるのですが(爆)。この精検はなかなか・・・誤差の発生状況から「このような原因が考えられる」という推測は出来ますが、さらにどこまで踏み込むべきか・・・それが問題。まあ、将来的には疑わしき現象を数値シミュレーションで本格的に検証するしかないだろうと思っています。

 そしてなにより、この報告書はカスタマー提出の書類なので、専門用語や難しい解釈は厳禁です。それならば、今年の精度は○○でした!チャンチャン♪で終わり・・・と言う路線もあるのですが、これだと「分析不十分」と言う事になり・・・なかなかこの辺の匙加減が難しい所。とにかく何か「理由付け」をしなくては、それでいてとにかく簡単・簡潔に、と非常に追い詰められた状態で・・・、それでもしっかり期限には間に合いました。その結果、最終調整で大幅にカーーット!!・・・

あの地獄の苦労は何だったんだーーーぁ!!

・・・と思ったのもつかの間。報告書が終わったら、今度は星の数ほど書きまくってきた技術資料を整理しています(忍法、変わり身の術)。

 数値シミュレーションに関しては、これまで数年間に渡って独自で研究してきた山形県の局地気象シミュレーション研究を軸に1本の大論文(と言うよりも計算力学ハンドブック)にまとめる作業をしています。かなり分厚くなりそうなので、さすがに業者に依頼して製本しようと思っています。研究を通じて得られた様々な知見を体系的に整理するにはとてもよい機会です。それと同時に、色々やってきたもんだなあ・・・と我ながら感心してしまいます。ちなみに、こちらの大論文(ハンドブック)は関係者以外に出す事は想定していないので、「心置きなく」纏める事ができます。
 
 今年の残りの期間は、この1年間の業務の総整理の時期に入ります。今年は色々ありました。24時間の監視体制や局地予報配信、雑誌の取材、熱乱流シミュレーションに精検、CAMJ仙台での発表や定期総会への参加・・・等等。

2006年もあと2/3ヶ月なんだなあ・・・
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エ!?もう12月!?

2006年12月05日 | 気象情報の現場から
 キターーーー!!/(◎O◎)\

 実は、この季節は楽しい楽しい予報精度検証報告書の作成時期。毎年新しい予報内容が増殖してきますので、新規項目についての評価は一苦労です。気象庁から配信されてくる膨大な予報・観測データ等を基に分析作業が続きます。学生実験のレポート漬けの日々と言えばイメージしやすいかもしれません。実験の手間が無い分マシと言えばマシなのですが(爆)。でも、予報誤差の一つ一つの原因について見解を導くのはやはり一筋縄ではいきません。

 どのような時に予報が外れやすいのか、原因は系統的な誤差なのか、それとも局地的な気象特性によるものなのか・・・。そして、どのような点が改善されているのか?様々な観点から切り込んでいかなければなりません。また、精度評価手法も多種多様にありますので、それらも同時に勉強していかなければなりません。毎年毎年新しい予報内容が出てくると、まずどのように検証するか、という問題にもぶち当たります。毎日が暗中模索です。

 この分析を行っていると、局地気象の予測の難しさを痛感すると同時に、地域特化型の局地気象モデルの実現の必要性を感じます。今年は24時間体制もあり、特定用途向け局地予報配信業務も経験しただけに、局地予報の面白さと恐ろしさを体感しました。

 そういえば、CAMJ仙台にも4月に行ったきりで今年も終わってしまいました。3次元乱流数値シミュレーションによる山形県内の冬季局地風の再現に関するテーマで研究発表をしましたが、山形県内についての再現は成功したのですが、宮城県内の強風が再現されていない、と指摘を受けたままになっていました・・・。でも、肝心の原因については、もう分かっていました。当時のシミュレーションにはある方程式が未だ搭載されていなかったのです(ある意味、いい加減な奴だなあ・・・と我ながら思う)。この方程式を入れて計算をやり直した所、宮城県の風もそれらしく再現される事が確認できました。この詳細は、次に仙台に行く時の発表テーマにしようと思います。

 このように、強風域の発生でも特定方程式の有無によって再現されたりされなかったり、という事は宮城県の冬の強風とこの方程式には何らかの関係がある、と睨む事も出来るわけです。こうやって、局地気象と様々な要因を理論的に解析できるのも数値シミュレーションの魅力。こんな技術を実用化できたら、確かに予報誤差の原因究明にも役に立つでしょう。

 しかし、その一方で数値計算の本質を研究しているために、その限界をもまた知っているので過大な期待を寄せる事も出来ないのです。最後は人間の感性の世界になってしまうのです。感性の自由度を合理的に狭めるのが、数値予測なのかもしれません。

 数値予測は感性の自由度を狭める事によって、選択肢を大幅に絞り込んでくれます。しかし、最後の究極的な決断までは代行してくれません。むしろ、代行させてはならないのかもしれません。数値計算の限界を踏まえた上で、数値予測結果を修正するのが人間の成せる業。このためには精度検証が必要不可欠なのです。

 ところで、この報告書の提出期限って・・・?(恐)

 さて、この報告書が提出されるのと前後して、ささやかな忘年会、そしてシングルベール、シングルベール、鈴が鳴る~♪でクリスマス。

 それが終わると、ようやく年末年始・・・。ン?年末年始って言ったら・・・アレですよ!アレ!

 全然考えてなかったーーーー!!/(◎O◎)\ガーーーーン!

・・・ま、なんくるないさあ!
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