計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

春の学会発表は無事に終了

2009年05月31日 | 気象情報の現場から
 

 学会発表は無事に終了しました。今回は、新潟県上越地方のドライフェーン(力学的フェーン)のメカニズムに伴う高温域の数値シミュレーションによる再現実験を発表しました。これまでは主に局地風系に対する地形効果と大気安定度の影響がメインでしたが、今回はさらに局地的な気温分布も解析対象としたのが特徴です。数値実験の結果、局地風系と気温の特徴(高温域の発生)は、数値モデルの単純さにも関わらず良く再現されましたので一先ず成功と言えるものでした。しかし、高温域の気温が実際のケースよりも若干高めに計算される等の誤差も見受けられました。沿岸部ゆえの海陸間の熱容量の違いに伴う熱的条件の考慮・反映(如何に数値モデルへ反映させていくか)が今後の課題になります。



 今回は諸般の事情により、また新フルエンザも怖いので、日帰りの参加となりました。と言う事もあり、結局、会場のつくば国際会議場には3時間滞在したかどうか・・・(非常に過密スケジュールでありました)。前回に引き続き、今回も専門的な意見交換となり、とても良い勉強となりました。また、「フェーン」と一口に言ってもドライフェーンやウェットフェーン、気温の急上昇は全部フェーンと呼称する等、立場(見方、見解)によっても色々な定義があるため、どのフェーンについてアプローチしたのかを明確にすべき、と言う趣旨のコメントも頂きました(テーマについては単に「フェーン」と記載したため)。

 学会も無事終了し、少しはのんびり休もうか・・・と思いきや、既に事務所からは次の指令が・・・
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挑戦者たちよ、大志を抱け!

2009年05月08日 | オピニオン・コメント
 最近、社会問題を扱う番組でも、ご丁寧にも結婚に関する特集を取り上げて、少子高齢化に始まり、非婚化、晩婚化、結婚格差、草食系男子だの・・・挙句の果てには「経済格差が結婚格差を引き起こす」など、新しい単語が次々に登場します(その様相たるや、まるで若者を狙い撃ちした魔女狩りのよう・・・)。

 その言葉の一つ一つは個々の事象を的確に表現しているが、問題の表面しか捉えていないように思います。確かに既婚・未婚、男性・女性それぞれに言い分があるようですが、どうも自らの現状の正当性を主張するだけに無理やり「後からこじつけた」理屈にように感じています。それはそれである意味、悲痛な叫びなのですが、そこまで悲痛な叫びを上げなければならない程に精神的に追い詰められていると換言する事もできるでしょう。

 では、何が本質的な問題なのか、簡単に言えば今の社会情勢においては「一人一人が自分の人生に対して前向きになれない事」ではないでしょうか。要するに「夢や希望を持てず、将来に対して絶望せざる得ない」事こそが真の問題なのではないでしょうか。社会の「根っこ」にこのような問題がある以上、一人一人が守りに徹するのは無理もないのではないでしょうか。その結果、出産を控え、結婚を控えるようになったのは、ある種当然の結果と思います。つまり、「結婚格差」や「恋愛格差」の云々以前に、今の社会は「希望格差社会」なのではないでしょうか。

 これからの時代、老若男女を問わず、一人一人が自分の人生に対する挑戦者となっていくのではないかと考えています(←敢えて「かくあるべき」とは申しません)。短いタイムスパンで時代背景は激変しています。まるで、荒波の中を突き進む船のようなものではないでしょうか。この航海の「羅針盤」となるものが、自らの夢であり、目標なのではないでしょうか。

 私も一人の挑戦者として、自らの夢に向かって挑戦し、何らかの形で、その成果を社会に還元したいと思っています。一人一人が自らの目指す夢や目標に向かって挑戦し、その結果を社会に還元できると共に、自分の人生も充実したものになれば、社会全体としても少しずつでも良い方向に向かっていけると思います。そして、夢や希望を持つ事に、男女・年齢・家柄等の制約は一切ありません。敢えて言えば、夢と希望に満ち溢れる挑戦者こそ(←「若者」とは書きません)、輝く未来(←必ずしもお金とは限りません)を手にする可能性があるのではないかと思います。(それでも、決して保証されるわけではありません・・・しかし、生きる力やエネルギーはなるでしょう)。

 かつて、私は大学教養課程の1年間、学生寮に住んでおりました。学部進学に伴って、学生寮を巣立つ際の歓送会の席上での先輩からの激励?の言葉を今でも鮮明に覚えています。その先輩は半ば泥酔した状態で何度も叫びました。

「自分のために生きろっ!そして自分のために死ねっ!それだけだーっ!」

 一見、過激でエゴイスティックな言葉にも見えるが、あれから10年近くを経て、私は今、次のように解釈しています。

「自分の意思で、自分の人生を生きろっ!そして自分の人生を最期まで生ききれっ!」

 先輩がそこまで考えていたかどうかは、今となってはもうわかりません。しかし、考えれば考えるほど、深い言葉です。「自分のために生きる」とは?、そして「自分のために死ぬ」とは?・・・実に深い問題です。やがて来る臨終の際も「無茶苦茶な人生だったけど、めっちゃ楽しかった!自分の果たすべき仕事をやりきった!世のため人のためになる仕事もできた!もう悔いはない!全力で生き切った!」そう笑って逝きたいし、そのような人生にしたいと思っています。

 大事なのは、形式的な事ではなく、自分の人生を精一杯生きると言う事。そして、その人生で何を成し得たか・・・ではないでしょうか。クラーク博士の言葉に「少年よ、大志を抱け!」と言う有名な言葉があります。今、私が言うならば「挑戦者たちよ、大志を抱け!」
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