計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

豪雨の過ぎ去った後の現場・・・

2011年07月30日 | 気象情報の現場から
 レーダー・アメダスからも、新潟県や福島県に豪雨をもたらした対流雲の群集は見えなくなってきました。新潟県内は断続的に激しい雨に見舞われました。雨のピークが過ぎたのを見計らって、近場の様子を見てみました。普段見慣れている場所ではそれほど大きな変化はなかったのですが、少し視線を変えてみると、そこには確かに豪雨の爪痕を見ることが出来ました。



 市内を流れる川が増水し、堤防を乗り越えようとしています。橋の上から撮影しましたが、水面が足元に達するまであと10~20cm、と言った感じです。



 少し角度を変えてみました。道路への浸水の直前ギリギリで、で増水が止まったような感じです。道路への浸水は辛うじてセーフ、といった感じです。



 反対側に目を向けてみると、こちらも水面と道路の高さがほとんどありません。



 こちらでは、橋の足元の高さと川の水面の高さとがほとんど同じです。橋の左手側は川の水面です。ここまで増水していたのです。



 この近くでは川から溢れた水が住宅地に浸入していました。道路の手前側は冠水を免れていますが、高度が比較的に低い奥の方では冠水しています。自動車が進入する事の無いように、交通整理が行われていたり、臨時の標識が立てられていました。



 手前側の道路は冠水を免れましたが、より低地側となる奥の方の道路は冠水しています。



 信濃川も非常に増水しています。8月2~3日の長岡花火は無事に開催できるのでしょうか・・・。



 道路にチョーク書かれた不思議な線と時刻・・・?



 ・・・その先には、大きな水面が広がっていました。チョークの文字は冠水の状況を記録していたものですね。



 こちらも橋の直ぐ下まで、増水しています。
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悪夢の再来か・・・。

2011年07月29日 | 気象情報の現場から
 新潟県内では、台風が遠ざかって以来のここ数日、雨が降りやすい状態が続いています・・・。

 一昨日までは、県内は概ね曇りや晴れで経過し、一時雨を伴う所もあるような感じでしたが、昨日からの降り方は一転して、襲い掛かるような豪雨となりました。レーダーアメダスを通じて降水状況を見ていると、非常に強い雨の領域が広がり、その中に猛烈な降水域を見出す事ができました。気圧配置を見ると北陸地方には停滞前線が見られ、過去の「7・13」の記憶を想起されるものでした。

 この雨は明日で一区切りつきそうですが、まだ油断はできません。
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燕雀安知鴻鵠之志哉

2011年07月02日 | オピニオン・コメント
 書き下し文は「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」となります。読み方は「えんじゃく いずくんぞ こうこくの こころざしを しらんや」です。

 「燕雀」とは、ツバメやスズメのような小さい鳥、転じて度量の小さい人や小人物を指し、「鴻鵠」とは大きな鳥、転じて大人物を意味します。つまり、この漢文の意味は「小さな人間には、大きな人間の志がどうしてわかることがあろうか、いや、わかるはずがない」という事になります。

 例えば、何か新しい事や、ずっと思い描いてきたに向かって本気で挑戦しようとする時、殆どの場合、周囲の人間に(例え家族や友人にでさえ)理解される事はありません。場合によっては「お前には無理だ」「夢を見るのはやめておけ」「どうせできっこないよ」等と心無い言葉を投げつけられ、精神的には、まさに孤立無援または孤立無縁の状態に追いつめられることさえあるでしょう。その時の心境を想像してみれば良いでしょう。

 その時、重大な岐路に立たされるのです。それでも(例え、今の周囲の人々と離れ離れになっても)自分の想いを貫いて邁進するのか、それとも(自分の夢や希望を諦めてでも 今の周囲との調和を重んじるのか、の二者択一を迫られます。これは究極的には「貴方は誰の人生を生きているのですか?」と言う問いかけでもあると思います。人はだれでも、「自分の人生」しか生きられないのです。

 かつての私は前者(=想いを貫いて邁進する)を選びました。一時的に精神的に孤独になっても、自分の「想い」を守るために、自らの心に鎧をまとい、武器を携え、武装していくしかなかったのです。当時、私を支えたのは、所謂「絆」の類ではなく、むしろ強い「想い」・・・泥臭く言えば「夢に対する執念」でした。

 この選択によって、私は多くのものを失いました。地元(=故郷)に残って(or 帰って?)、普通に就職して、普通に結婚して、普通に家庭を築いて・・・このようなモデルケースのような順風満帆な?人生からは、大きく横道に逸れていきました。しかし、だからこそ私はそれとは違う、多くの別のものを得ました。モデルケースのような人生では決して感じることのできない感動、見えることのない景色、気づく事もなかったであろう新しい価値観や思想・世界観、孤独に耐え得る強さ、出会うこともなかったであろう人々経験など・・・。それらが私も確実に導いてくれました。未だ私たちの挑戦は道の途中ですが、一歩一歩、しっかりと大地に足をつけながら、日々前に向かって進んでいます。

 私は教科としての「国語」は苦手で、「古典・漢文」は正直、嫌いな類でした。しかし、この「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」は、好きな言葉です。いつか必ず、真の「鴻鵠」になって見せる、その想いを噛みしめています。

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