◎遭難の理由と変性意識の隙
登山に良い季節になった。『ドキュメント 単独行遭難/羽根田治/山と渓谷社』を読んだ。
登山には、グループで登るのと単身で登るのがある。警察庁の統計では、全遭難者中の3~4割が単独行。登山は冥想修行と同じで、他の誰かが登ってくれるわけではなく、自分で登らなければならない。
この本に上がっている遭難例は、ほとんどが50代から60代であって、泊まる可能性がある登山をできるのはほぼ中高年だけに限られることがわかる。
また遭難した山岳は、
奥秩父・唐松尾岳、
北海道・羅臼岳、
秩父・両神山、
北アルプス・徳本峠、
加越山地・白山、
北アルプス・奥穂高岳、
尾瀬・尾瀬ヶ原(豪雪時)
である。
遭難の理由は、やや無理をしてその日の踏破距離を伸ばそうとしたとか、ちょっと別ルートに入ったとか、道に迷ったとか、予定ルートを進んでいたが、足を踏みはずして転落滑落したというのが多い。一律ではないが、生還例だけが挙がっていることに注意。
道迷いについては、迷った後で『迷った』と気がつくもの。
足を踏みはずして転落滑落ということについては、Great traverseの田中陽希が700名山を踏破しても足を踏みはずして手指を骨折したのが1回きりであるということを思うと、田中陽希の心肺機能が凄いとか、筋力が凄いということもさることながら、目に見えない浮石の踏み方、目に見えない滑りやすい草の踏み方が精妙であって、ほとんど何年も転落滑落がない一歩一歩を履めるからこそ名人なのだと思う。
だが、それを名人と言えば判断停止しがちだが、変性意識のブレ(隙間)を防ぎつつ歩くことが何年も何秒も継続してできていることこそ見逃せない。
また、ちょっと別ルートに入っても必ずしも遭難するわけではない。
そして日本の山岳では、標高8千メートル以上の死の地帯という呼吸が苦しくて異常心理になりがちなエリアはない。だが標高数十メートルの低山や平地であっても、夜に単独で歩けば、狐や狸を人と認識して化かされるような変性意識状態はあり得る。
この本には、いるはずのない人物を認識した話はいくつか出ている。
大悟覚醒は、トランスとも呼ばれる変性意識状態の近所にあるわけだが、聖者覚者はそれを心理と見ることを戒める。最終的には現実そのものなのだ。
単独行遭難は、生還した事例ばかりだが、バス転落事故で亡くなった方たちの死以後のルートを霊視した丹波哲郎の「霊界旅行」という本もある。
瞑想修行でも単独行遭難は無数の例があることはご承知のとおりである。